再度行く 樺太
去年、樺太のウシカに“暖かくなったら会いに行く”と約束したものの、仕事に追われて気づけば季節は秋になってしまった。
彼らはすでに冬ごもりの支度に入り始める頃だ。今行っても迷惑かもしれない…そう思いつつも、土産を船に山ほど積み込み、舵を樺太へ向けた。
ピラ村は、半年前と変わらぬ姿でそこにあった。
焚き火の白い煙が静かに上り、海風に揺れながら散ってゆく。
波の音がすぐそばで寄せては返すだけ。
まるで時間がここだけ止まったような、そんな暮らしだ。
船からその光景を眺めながら、翔馬は考える。
アイヌは、長い歴史の中で日本とある程度の交流があり、支配に対する抵抗感は少ないだろう。
しかし、樺太中部のウィルタ、北部のニヴフ族は違う。
元来が大陸系で、言葉も生活様式も異なる。
大陸との行き来も深い。
…日本の統治を、すんなり受け入れる気はないだろう。
一方的に、鎖国のため大陸との交流を禁ずると押し付けても、逆効果な未来しか浮かばない。なぜなら、ニヴフの民は、蒼国に朝貢する間柄だからだ。
彼らを統治するということは、自動的に蒼国の逆鱗に触れるのはセットで考えねばならない。
「自然に流されるまま、自由に生きる」
AIの説明では、彼らの人生観は物質文明との親和性が薄いらしい。
アイヌの時と同じアプローチで通じるのか。
もし拒絶されたら…史実でルーシがやったような実力行使が必要になるのか。
そんな世界を、できることなら作りたくない。
他国、他民族との衝突。その時どうするのか。答えはまだ出ていなかった。
「よお、ピラ村のみんな! 遅くなってごめん!」
着岸すると、村人たちはすぐに翔馬一行だと気づき、笑顔で出迎えてくれた。
ウシカは川に鮭取りに行っているらしく、留守を預かる女性や老人、子どもたちが案内してくれた。
渡した土産を囲みつつ、村の一年の話を聞く。
驚いたことに…この一年、村人の多くが“響き箱”に夢中で、特にコミュ力の高い女性達は、片言の日本語を話せるようになっていた。それが村のブームになっている。
クルーが話すと、村人たちは嬉しそうに覚えた日本語で返そうとする。
「ラオチのうた、うたえる!」
「にほんのうた、こころ、たのしい!」
(歌の力はこんなにも影響力があるのか・・・)
歌の力は、文明の壁を超える。
翔馬は息をのんだ。
そこへ、背中に大量の鮭を担いだウシカが帰ってきた。
「おお、翔馬か! 来たんか! ちょっと待っててな、まずは鮭の掃除をせんと」
赤錆びた刃のナイフで、ギコギコと鮭をさばく姿に、翔馬は思わず声をかけた。
「ウシカ、これを使え。錆びないし、刃こぼれもしない。俺の研究所の最新作だ」
特製ステンレスナイフ。
ウシカは恐る恐る刃を当て…次の瞬間、鮭の表面を刃が抵抗なく滑るように切り裂いた。
「な……なんだこれ……!」
掃除はあっという間に終わった。
そして、いよいよ本題になる。
「交易所の件だろ?」
ウシカが切り出した。
「ああ。進展は?」
「俺はいいと思うんだが……他の村の意見が割れている」
翔馬は、しばし黙って焚火の火を見つめた。
それから静かに言った。
「ウシカ……今は平和に見えるかもしれない。でもな、北にはルーシが虎視眈々と狙っている。そして蒼国は、影響力を与えかねないルーシと日本を牽制する。南からは日本が状況を見守っている。
この均衡が、いつまで続くかは分からん。
ルーシか蒼国か日本か、いずれかが動けば、樺太は戦場になる」
ウシカは眉をひそめた。
「……そんな情勢なのか。わしらは平和に慣れてるからな。そんなことを考えることもなかった。
でも、日本が南樺太を取ったら、蒼国やルーシが怒って降りてくるんじゃないか? あいつらも鉄砲を持ってるはずだ」
「ああ。でも心配はいらん。 断言する。日本が負けることはない。
勝つか、または相手が消えるだけだ。
要は、どちらの陣営につくのか、そこだけでも決めておいた方がいい」
翔馬は革鞄からアルバムを取り出した。
カムチャッカ、チュクチでの戦い…ほんの数か月前の記録だ。
「千島から海沿いのルーシ勢は、全部掃討した。捕らえるか、殺害した。こちらの被害はゼロだ」
村人たちは息をのみ、写真に見入った。
そして精巧な極東地図を前に、初めて“世界”を認識したようだった。
「……世界は広いんだな……周囲は大国だらけじゃないか……
このあたりで色が塗られていないのは、この島だけ……」
「そうだ。三国の睨み合いの真ん中にあるのが樺太だ。
嫌でも現実は見ないといけない。
いずれここは戦場になる。10年後、50年後、必ずそれは起きる。
その時に、日本の庇護下にいれば、戦場はもっと北になる。君たちの生活は保障される。
だから俺はこう焦って交渉しているんだ。
この話は他の村にも伝えてくれ。」
ウシカは深くうなずいた。
「……すべてと仲良くする、そう上手くはいかないようだな」
「ああ。他国は俺らみたいにお人好しじゃない。 だからルーシと戦ってきた。
あいつらは住民を虫けらほどにも思っていないからな。蒼国も、上か下かの視点しか持ち合わせていない」
焚火がパチ、と爆ぜた。
重苦しい沈黙がしばらく続いた。
それでも…最後にウシカは、どこか覚悟を決めた目をした。
「わかった。理解した……他の村の連中とも、腹を割って話すべきだな。彼らはこのような広い視野で考える材料を持ち合わせていない。彼らに見えているのは目の前の川と明日の飯の種だけだ。」
「だろうな。だから、この冊子を彼らに見せるといい。見せるだけだ。他国に流出したら困るからな」
そう言って、翔馬はピクトグラムで感覚的に理解できるようなこの地の現状を描写した冊子を与える。モシリの現状の写真も加えて。
「頼む。三月になれば、響き箱の時事番組の中で再訪の時期を告げる。
その時は、知っている限りの村の長を集めてくれ」
「任せとけ」
夜の樺太の空気は冷たかったが、
焚火の火は、不思議と温かかった。
翔馬はその光を見つめながら、
まだ答えの出ない未来と向き合い続けるしかないのだと、静かに思った。




