1712年9月 伊勢にて、暴れん坊将軍と会う
伊勢の海風は、江戸の湿り気と違ってどこか軽やかだった。
翔馬は船上から城下を眺めながら、胸にわずかな緊張を覚えていた。
…徳川吉宗。
史実なら、今年の暮れに家宣が急死し、後を継いだ息子の家継もわずか8歳で亡くなる。その次の将軍だ。今からだと4年後か。
江戸時代で最も民の声に耳を傾けた政治家として人気な将軍。
未来でも、時代劇やスロットの主役として誰しも一度は聞く名前。
一方で、後継者争いの際、兄二人の急死をはじめ、幕府中枢で起きた不審死の影に名前がちらつく人物でもある。
その真価を、自分の眼で確かめておきたい。それが今日ここに来た理由だった。
かつて地震被害の折に伊勢を助けた縁もあり、藩邸への使者はすぐ通り、翔馬は吉宗の居城へと招かれた。
謁見の間に現れた吉宗は、噂にある豪胆さとは違い、質実剛健そのものの青年だった。
無駄を削ぎ落とした立ち姿。無理に威厳を作らずとも芯の強さが漂っている。
「吉宗さま。お会いできて幸栄にございます。」
「そちが発明奉行の天礎翔馬殿か。その節は世話になった。で、今日はどのような用向きで?」
両脇には、老獪さを隠しきれぬ目をした二人の側近。
恐らくは加納久通と有馬氏倫。
忍びに暗殺を依頼したとの噂もある得体の知れない者どもだ。
天礎翔馬の品定めというところか。
翔馬は軽く頭を下げ、あえて名を口にした。
「加納さま、有馬さまでしょうか? 長年、吉宗さまをお支えなさっていると聞き及んでおります」
わずかな牽制。
“あなた方の素性も承知のうえで来ている”というメッセージだ。
「ふむ、さようよ」と二人はわずかに眉を動かす。
今日来た理由は、後に明かしますという翔馬の弁に、吉宗は、僅かに不機嫌そうに椅子へ身を沈めた。
「わしも暇ではないのじゃぞ」
その反応を見て、翔馬は本題の切り口を変えた。
「吉宗さま、今、幕府が北方で行っている政策をご存じですか?」
吉宗の表情が、興味の火で一瞬にして明るくなる。
「おう、松前を廃して蝦夷を直轄領にしたのだろう? お主も咬んでおるのか?」
「では、吉宗さま。
言葉の通じぬ異国の民を、我が国に併合するとなれば……
どのような政治をなさいますか?」
問いかけは静かだが、鋭かった。
吉宗の側近二人が軽く身じろぐ。
しかし当人は、その挑発を喜ぶかのように笑った。
「面白いことを聞く。……考えたこともなかったな…そうだな、まずは……」
ここから二人は、しばし“民に寄り添う政治”について語り合った。
吉宗は、想像以上に誠実で実務的で、そして温かい思想を持っていた。
強権ではなく協調。搾り取る政治ではなく育む政治。
この時代では異質とも言える視点が、自然に彼の口からこぼれていく。
翔馬は、その在り方に静かに心を打たれていた。
「吉宗さま。……感銘を受けました。自らそのような考えに至る為政者にはお会いしたことなかったものですから」
そして口を開く。
「モシリの現状を、ぜひご覧いただけませんか?」
「モシリ……蝦夷かぁ。さすがに遠いぞ?」
吉宗が苦笑したその時、翔馬は背負ってきた革鞄を紐解いた。
「いいえ、ここにございます」
机上に置かれた分厚いアルバム。
吉宗は怪訝な顔で一枚目を開いた。
「なんじゃこれは? 命を切り取ったのか?」
「いいえ。“写真”と呼ばれる技術でございます。発明奉行ゆえ、多少は…」
吉宗の指が硬直した。
煌びやかな都市の灯り。
街角で甘味を頬張りながら笑い合うアイヌと和人の少女。
交易所で笑顔で鮭の燻製を包みから広げるアイヌのおじさん。
中央議事堂の荘厳な建物。
その議会を背に、正装で並ぶアイヌと和人の議員達。
駅前広場の芝生に転がり、くつろぐ市民たち。
農園でジャガイモを掲げる子どもたちの満面の笑顔。
何百枚もの写真が、鮮やかに“未来の国”の姿を映し出していた。
「う……ぅ……これは……作り物の笑顔ではない……。
なんじゃ、この国は……こんな笑顔を……どうやって作る……?まだ二年ほどしか経っておらんだろう。誰がどのようにして導いておるのだ?」
震え声だった。
「私です。」
加納と有馬が、反射的に息を呑む音がした。
「松前を糾弾し、モシリを作り変えたのも。
今の行政制度も、軍備も、都市計画も。
全て、私が別名で就いている“モシリ長官”としての仕事です。」
そこから日が暮れるまで、互いの政治論のぶつけ合いだった。
吉宗は、目を輝かせながら質問を重ね、論を返し、未来の行政に胸を躍らせていた。
そして彼は笑う。心を許し、打ち解け合った空気を感じる。
「……翔馬どの、と呼んでよいか?
お主は……凄い男よ。噂には聞いておった。
江戸の英雄だの、切れ者だの、でかくて喧嘩が強いだの……!
内心では、そんな奴、ただの誇張だと思ってたぞ。」
側近二人まで思わず吹き出し、緊張がほどけた。
「ぜひ時折、意見を交わしたい。なあ、加納、有馬!」
「はっ、それがしも賛同いたします」
「江戸に行く折には、ぜひまた」
翔馬は深く礼をした。
「多忙ゆえ、時期はお約束できませんが……近くを通る際には、また寄らせていただきます。
吉宗さまが江戸へお越しの折には、私の屋敷に一声を」
思いのほか順調に、吉宗との関係は築けた。
問題は……その背後に控える二人の側近だ。
老獪で油断ならないが、今はむしろ味方につけておくべき人材である。
伊勢の城をあとにしながら、翔馬は海風を深く吸い込んだ。
帰路はのんびりと、近隣の国営工場の進捗を視察し、江戸へ戻るつもりだ。
……吉宗
果たして彼は、未来の日本にとって味方か敵か。
だが、今日見た限りでは……
その器は、十分に“ともに歩むに足りる”。
このまま家宣政権が続き、後任に家継がつけば、吉宗の出番自体ないかもしれない。
彼が共に歩むに足りると判断されれば、俺は野望のひとコマに彼を登場させなければならない。
翔馬は、頭の中で、未来のシナリオを書き替える。




