新井白石との衝突 そして革命
資源鉄道が動きはじめて数年。未来館に集まる鉱物の量は目を見張るほど増え、技術の発展に伴い、加工の際に生じる微量成分までもが回収されるようになった。いまや加工の難しいステンレス製品ですら、溶接技術の発展で市場に出回りつつある。小田原のタイル工場での火山灰の化学処理により、アルミニウムの抽出まで可能になった。
そんな状況の変化を前に、翔馬は手元の一枚の小判をしげしげと眺めていた。
表面は荒く、刻印は甘く、金の純度も怪しい。いや、怪しいどころではない…鉱物に詳しい自分だからこそ、これが「限界の合図」にしか見えない。
経済が伸びれば、必ず通貨は動く。
通貨が動けば、必ず金と銀は不足する。
金銀は欲しいと思って掘れば出てくるものではない。時間がいる。人手がいる。偶然がいる。
先代の綱吉公の時代に底をつきかけた国庫が、代替わりした今でも経済を締め付けている。
そして、今の江戸には、経済発展と比例して質の悪い小判がじわりと増えつつあった。
これでは良くないと、その質の悪い通貨を駆逐するために含有量を高める政策が敷かれ、結果として、国外流出に拍車がかかり、国内の金が枯渇する。
…今まさに、その分岐点が迫っている。
翔馬の懸念は、うやむやにはできぬ。
『新井白石』
質実剛健、理を重んじ、正しさを疑わぬ硬骨の学者。彼の誠実な仕事には絶大な信用を置いているが、彼の持つ貨幣のあり方の思想は大きく俺と乖離している。
彼こそが、史実でその通貨の改革を行った『張本人』だ。
この改革により、それに伴う従来の純度の低い貨幣との交換比率で、世をデフレ不況へ追いやり、更なる金の流出に拍車をかけた張本人でもある。いつかはケリをつけないといけない。それはずっと思っていたことだ。
発端は、家宣が催した小さな食事会だった。
江戸電波放送で庶民から絶大な人気を得た家宣は、上機嫌で翔馬と白石を招いた。
「白石どの。最近、通貨の質が落ちていると聞いていますが?」
翔馬が何気なく問うと、白石の眉がピンと跳ねた。
「お主も感じておったか。今のままではいかぬ。金も銀も、混ぜ物が過ぎる。家宣さまの世で、このような醜態は許せぬ」
すかさず翔馬が口を挟む。
「で、金銀の比率を上げると?」
「当然だ。既に造幣奉行に申し渡しておる」
その言葉に、翔馬は深いため息をついた。
「白石さま。鉱石を扱う者として、はっきり申し上げます。金銀は少ない。だから価値がある。しかし、世が豊かになり、貨幣の需要が増えるにつれ、金銀が足りなくなるのです。足りなくなれば、粗悪品を作らざるおえなくなる。純粋な金銀の価値が相対的に上がれば、外国へ流出します。そうなれば国内の金は……」
一度、翔馬は言葉を切った。
「…二度と…戻りません」
白石はむっと顎を上げた。
「鎖国しておるのだぞ?どうしてそう都合よく外国に流れようか」
「ひとつ例を挙げます。
幹国の通信使には日本の貨幣が与えられていますよね?あれはそのまま祖国に持ち帰られ、蓄財に使われています。向こうは金銀が乏しいので、日本より相対的に価値が高い。そして長崎の貿易では金銀で支払われる物資も多い。つまり、鎖国下でも金銀は ‘勝手に出て行く’ のです。
これを何百年も続けられるわけがありません。必ず破綻します」
家宣は感心したように唸った。
「確かにのう……翔馬、お主には何か妙案があるのじゃろ?」
「もちろんです、家宣さま。未来館だけで作れる特殊合金、それを通貨にします。そして金銀は…紙に変えます」
白石が乗り出した。
「は?紙?ばかを申せ!偽造されればおしまいではないか!」
翔馬は、着物の奥から小さな革財布を取り出した。
そこから現れたのは、透かし、パールインク、凹版印刷……当時の世界では作り得ない、精巧すぎる試験紙幣だった。
さらに銅合金、ニッケル合金、ステンレスなど、未来館で試作された硬貨が並ぶ。
二人は言葉を失い、ただ凝視するしかなかった。
「……ほう。これは見事じゃの……」
「合金は配合が一つ違えば色も重さも変わります。比率と混合物を知るのは私だけ。偽造困難です。そしてこの加工技術。民間では真似出来ますまい。そして紙幣は、このからくりを知るのは私のみ。技術は一切明かしません。
国が管理する銀行を作り、そこで両替相場に合わせた金との交換を行います。これにより、この紙の価値が金と等価になるのです。まぁ、手元に金と等価の紙があれば、わざわざ金に変える人も一部なので、実際には金の保有量よりも多くの貨幣が発行できます。もちろん慎重さは必要ですが。経済発展には必要な施策になると確信しております。」
白石の目が大きく見開かれた。
理屈の人間が、全く別の理屈を突き付けられた時の顔だった。
翔馬はさらに畳みかけた。
「それだけではございません。新貨幣で、決済は劇的に簡単になります。旅も、物流も、商売も改善される。重い金を持ち運ぶ必要がなくなるからです。蔵に表に出ない金銀を隠している者や、偽造をする不届き者への『対策』にもなります。換金の期限を設けることで、蔵に隠し持っていた金銀をこぞって両替しようとするでしょう。そこで事情聴取すればいい。海外との交易でも、この紙の紙幣で支払うことで、彼らはそれを我が国で消費しない限り、結果として損をします。本質的にはただの紙切れですから。それに……」
家宣がわずかに身を前に乗り出す。
「それに?」
「家宣さまの御名は、百年、五百年後の我が国の歴史書に残ります。 ‘近代通貨の創始者’ としてです」
その瞬間、家宣の表情が揺らいだ。
それは確かに、将軍を動かす魔法の言葉だった。
白石はなおも考え込んでいる。
理が揺らいだ。信条が書き換えられた。
よく「目から鱗」という表現をするが、実際、反論の余地もないほど納得してしまい、それが自分でも衝撃だった。
そのショックで次の言葉がでない。
数日後、翔馬と白石は、世間を納得させるための「言い訳」づくりに没頭していた。
翔馬は日本銀行に相当する制度案を書き連ね、白石はそれを必死に現実の枠へ落とし込んだ。
議論は幕府内でも紛糾したが…
最終的に、家宣は宣言する。
『二年以内に、新貨幣へと移行する』
新井白石との衝突は、こうして一つの結論を迎えた。
理屈に忠実な人間ほど、理屈のベクトルが合わさった時にこれほど心強いものはない。
通貨革命はここに生まれ、数百年後にも揺るがない国の基盤となるはずだ。




