ep3 潮騒のレコード
春の風が港町を抜けていく。
朝、網を干していた翠は、港の向こうから響いてくるギターの音に顔を上げた。
――修平だ。
半年ほど前に帰ってきて以来、彼は町の古い倉庫を改装した小さな音楽室で暮らしている。
毎朝、潮風の中でギターを弾き、夜には灯台の光を眺めながら曲を作る。
その姿は、どこか昔より穏やかに見えた。
翠は作業を終えると、差し入れのパンを抱えて彼のところへ向かった。
――――――――
倉庫の扉を開けると、木の匂いとコーヒーの香りが漂った。
机の上には紙くずと譜面、そして古びたレコードプレーヤー。
「また骨董品拾ってきたのか?」
翠が笑うと、修平は頭をかいた。
「いや、これは町の古道具屋でもらったんだ。動くかどうかはわからんけど」
「お前のガラクタ収集癖は相変わらずだな」
修平はレコードを一枚掲げた。
黒ずんだラベルには、かすれた文字でこう書かれている。
――**《Minato Folk 1978》**
「“港フォーク”って書いてあるけど、聞いたことある?」
翠は首を傾げた。
「いや。うちの親父も知らないと思う」
「これ、再生してみたいんだよな」
「動くのか?」
「試してみるさ。音が出たら奇跡だな」
――――――――
二人がスイッチを入れると、かすかなノイズのあと、
ゆっくりと古いギターの音が流れ始めた。
低く掠れた男性の声が歌い出す。
> “潮の音が 眠りを誘う
> 誰かの夢を 連れていく”
その旋律は、不思議なほど懐かしかった。
翠は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「この声……なんか聞いたことある気がする」
修平がつぶやいた。
「父さんに似てる」
「修平の?」
「ああ。父さん、若いころ少しギターやってたらしい。
けど俺が物心つく頃にはもうやめてて、話もしなかった」
修平は盤面を見つめた。
“1978年”――彼の父がまだ二十歳の頃だ。
――――――――
翌日、修平と翠は町の古道具屋を訪ねた。
看板には「律古堂」と書かれている。
奥から現れたのは、白髪をまとめた女性――律子だった。
「昨日のレコード、動いたかい?」
「はい、少しだけ。でも、あれに父の名前が――」
「やっぱり、そうだったのね」
律子は懐かしそうに微笑んだ。
「そのレコード、私が若い頃に録音したものよ。
あなたのお父さん――海原誠と一緒にね」
「誠……父さんの名前だ」
修平の声が震えた。
「私たち、あの頃“港フォーク”って名義で町のイベントで歌ってたの。
でも、誠さんはある日突然、東京へ出てしまってね。
そのまま音楽をやめたって聞いたわ」
律子はレコードのジャケットを撫でながら、目を細めた。
「もう一度この町で、あの音を鳴らしたいと思っていたのよ」
――――――――
倉庫に戻ると、修平はギターを手に取った。
レコードの曲を何度も聴きながら、父の音を追うように弦を弾いた。
翠は黙ってその様子を見ていた。
「なんだろうな……。
父さんの曲を聴いてると、知らないはずの景色が浮かぶんだ。
灯台の光とか、潮風の匂いとか。
――まるで、俺たちが今見てるこの町そのものみたいだ」
「血ってやつだろ」
「……かもな」
修平は新しい譜面を広げ、ペンを走らせた。
「この曲、父さんに続く形で作ってみるよ。“潮騒のレコード”ってタイトルにする」
「いい名前だ」
「ありがとう。お前が聴いてくれたら、それでいい」
翠は照れくさそうに笑い、海を見やった。
遠くで灯台の光が回っている。
――――――――
数日後、律子を招いて三人で録音をした。
古いレコードプレーヤーの横で、修平のギターと律子のハーモニカ、
そして翠の手拍子が重なっていく。
音は少し歪んでいたが、確かに“生きていた”。
「父さん、聴いてるかな」
「きっと聴いてるよ」
「だったら、もう一度この町で音楽祭を開こう。
みんなが海の音を思い出せるような祭りを」
修平の声に、律子も翠も頷いた。
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夜。
潮風が静まった港に、修平はレコードを持って出た。
灯台の光が照らす中、盤をそっと海面に映した。
「父さんの歌は、まだ終わってない。
俺たちが続けていく」
波が静かに揺れ、星の光が盤に反射した。
それはまるで、時を超えて響く“潮騒のメロディー”のようだった。
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その夜、灯台の志乃は上空の星を見上げ、
海に微かに流れるその音を聴いた気がした。
「また、誰かが夢を拾ったな」
港町に、穏やかな夜が戻っていった。




