08 日常
あの騒動から数週間。既にカレンダーは5月を表していた。ゴールデンウィーク明け実力テストを終わらせた愉愛は完全に燃え尽き、机に突っ伏していた。
「…………死んだ……」
「この間死にかけてた奴がよく言うな」
「シューも単語テスト死んだんねー!!」
二年生後半からは、授業やテストは殆ど文系理系で教室を分けて受けるようになった。そのためクラスが同じとはいえ、愉愛と奏音が教室で顔を合わせるのはホームルームや行事くらいしかない。愉愛は普段は文系選択の友人たちとこうして駄弁ることが多い。
「ってか、こないだも死んだとか言ってて全然平均点超えてたし、どうせ月下は助かってんだろ。……助からなさそうな奴もいるけどな」
碑山 歩立。文系選択の中ではトップの成績を誇る。数学や理科系科目までできるのは愉愛からすれば尊敬に値する。しかも運動神経も良く、バスケ部所属で体育科の奴を差し置いてベンチ入りしてしまうほど。更に男の愉愛から見てもイケメンだ。少し長い髪はサラサラと風に綺麗に靡き、程よく低い声は聴いているこちらを安心させる。少女漫画に出てきてもおかしくないのではないだろうか。何故自分のような奴と友達なのかが本当にわからない。嫌味なのかとたまに疑ってしまう。
「もうテストのこと考えたくねーよねー!」
恩道 衆慈郎。成績は下の中。でかくて高めな声と変な口調、鼻周りのそばかすが特徴的。しばしば赤点を取っては補習を受ける羽目になっている。運動神経も中の中、平均的でバスケ部でも雑用をさせられていることが多い。これに関しては、体育科と対等に争えている歩立がおかしいのだが。やたらと軽々しく触れてくるが、数少ない愉愛より身長が低い人物だからだろうか、あまり嫌な気にはならない。……別に愉愛は身長が低い訳ではないはずである。周りの人物の身体が異常に発達しているだけだ。きっとそうだ。
二人とも、あの事件後に気絶していた愉愛の応急処置をしてくれていたらしい。そこは頭が上がらない。
「そういやー、話変わるけど」
「うん」
「探究論文ってやつ、おまえらはやるんだろ?テストもだけど、あれも評価に大きく響くんじゃなかったか?」
「ああー……」「普通に無理だねー……」
探究論文。内部進学をする生徒が大半のこの学校では、昨年度までならば内申点が希望学部を大きく左右していた。ところが今年から大学側の要望や教育課程の見直しなど、端的に言ってしまえば大人の事情が複雑に絡み合ったことにより様々な改訂が行われてしまった。これまでなら授業を真面目に受け、テストで高い点を出して高い内申点をとればいい話だった。しかし状況は一変。探求論文などという新たな評価項目が追加されてしまったことで、三年生は阿鼻叫喚の地獄絵図と化してしまうこととなった。なぜよりにもよって自分たちの代で、このような悲劇が起こってしまったのか。最初の年なんて対応が追い付いているわけがないのだから、何かしらのトラブルは確実に発生するだろう。悲しいことに嘆いていても状況は変わらない。彼らは自分たちの不運を呪いながら、あまりにも拙い、論文という名前を付けていいのかすらわからない文章を書き上げるしかないのだ。
「いきなり今年入ってから言われたから、準備なんてする暇なかったんじゃね?」
歩立の疑問に答えるように、衆慈郎は一気に捲し立てる。
「シューはさ、ただでさえ外部進学なんてできない頭してるから内部進学狙ってんけどねー。最初は学力以外の評価項目とかラッキーって思ったけどねー。いざやるとなるとやること多すぎるねー……」
対称的に、愉愛は慌てているそぶりをほとんど見せない。
「おれはある程度の指針は決まったけど……」
その言葉を聞いた衆慈郎が物凄い勢いで迫ってくる。愉愛の両肩をしっかりと掴み、めちゃめちゃに揺らし始めた。
「ユッチの裏切り者!!参考にさせろねー!」
「落~ち~着~け~~~」
思いっきり揺らされているため、当然声はぐわんぐわんと震える。それでも聞き取ってはくれたらしく、揺れは少しずつ弱くなっていった。できれば完全に止めてほしいが。
「いつもの宗教関連みたいなやつだけど」
予想はしていたのか、そりゃそうかと言わんばかりの顔で衆慈郎は揺さぶるのを止めた。
「あー……、ユッチそういうの好きだよねー。希望学部もそっち方面だもんねー。残念だけどシューの参考にはならんねー」
歩立も続いて小さめな声で呟く。
「俺も興味はあまり湧かない分野だが……」
興味がなさそうな二人を尻目に、愉愛は少し得意げに話し始める。
「前に話した、家にある謎のめっちゃ古そうな本が宗教の儀式について書いてあるっぽくてさ。大学の教授に質問とかしてパパッと書いちゃおうかと」
「家庭が特殊過ぎるだろ……。謎の古そうな宗教絡みの本が家にあるってなんだ……?」
愉愛の話に、歩立はごく常識的な反応を示す。
「ユッチの家は……まあ特殊ではあるよねー……」
うんうん、わかりますよ。とでも言いたげな顔で衆慈郎はうなずく。
「うわっ出たな同中マウント」
いつものが始まったな、と歩立はあきれる。
「なんか文句あるんかねー!?」
ただでさえでかい声を衆慈郎は更に荒げる。近くにいるからか、少し耳が痛い。
「こうやってユッチと一緒になったんも、ガチで奇跡なんねー!?」
「確かにおれもビックリはしたけどな……」
あの時は、まさか転校先に見知った顔がいるだなんて思ってもいなかった。……同じ中学校だった奴らの中では、一番マシな奴ではあるからそこだけは幸運だった。わざわざあのことについて聞いてくるような人でなくて本当に良かった。少しやかましいのだけは抑えてもらいたいが。
「あれ、そういや今日ホームルーム無しだっけ?」
いつもだったら担任の先生と理系選択の奴らが戻ってくるはずだが、今日はその気配がない。
「俺の記憶が正しければそうだな」
歩立の記憶が間違っていたことは、まだ一度もない。それならばと愉愛はリュックを背負う。
「あ、じゃあおれ行くところあるから。お先に失礼」
「どこ行くのねー?」
少し間が空いた後、愉愛は苦笑いしながら答えた。
「…………秘密基地?」




