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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

水の小悪魔

作者: 赤いからす


 目の前をセーラー服姿の金髪の女子高生が、住宅街を駆け抜けた。風を切る疾走音が聞こえそうなほどだった。


 背筋を伸ばし、腿を高く上げていたが、それは速く走るためのフォームではなく、いまにも転びそうな不安定な走りだった。特に手の動きが小さな虫を払いのけているようで、奇妙で不格好だった。


(なんだ?)


 俺は気になって、信号機のない狭いT字路に入っていく。道路は車一台がやっと通れるくらい狭く、女子高生の足音だけが響いていた。


 ストーカーにでも追われて逃げているのかと思ったが、女子高生の後ろは誰もいない。時間帯的に、学校に遅刻しないために必死に走っているだけなのかもしれない。


 ほっと胸を撫で下ろすと、足音が突如として消えた。


 女子高生が急に立ち止まっていた。金髪が風でなびき、校則の緩い学校に通っているのだろうという風貌が後ろ姿からでもわかる。だが、その場で硬直したように動かないのは、不思議というより、不気味だった。


 じっと目を凝らして見ても、呼吸しているのか?……と思えるほど微動だにしない。


 無駄なお節介をしそうになり、徒労感がわく。


 背中を向けて足を踏み出すと「ふ……う……り……ん……」と女性のか細い声が聞こえた。


 俺はよく聞き取れず、「風鈴?」と首をかしげて独りごちる。女子高生が俺に言ったのかもよくわからず、言葉も意味不明だ。


立ち止まり、彼女の様子をうかがっていると、女子高生の身体が、水の波紋のように揺れた。


 静かな水面に小石を投げられたような揺れ方で、彼女の後ろ姿の輪郭が淡く、曖昧になり、まるで現実世界の境界線の外側に存在しているかのようだった。


 俺は起こっている現象の現実的な理由を無理にでも引っ張り出そうと、頭をフル回転させる。


 女子高生の足元にだけ、局地的な地震が起きているのか、あるいは陽炎で揺れ動いて見えるのか……というどちらかの考えに落ち着きたいが、どちらもありえない。


 局地的な地震にしてはピンポイントすぎるし、陽炎で揺れ動くにしては気温が低く、冬の寒さが身に染みている。


 とにかく逃げるのが先だと判断し、無駄な正義感を捨てた。彼女は悲鳴を上げてもいないし、助けを求めているわけでもない。俺には責任がない。


 頭を整理して踵を返し、T字路から離れた……すると、女子高生が背中を向けたままこちらに向かってきた。よく見ると、足首が180度回転して、後ろ向きのまま歩いてくる。


「ひっ!」


 心臓が跳ね上がり、短い悲鳴がもれた。


 ゆっくり近づいてきているので、簡単に逃げられるはずだった。


(こ、今度はなんだ?)


 逃げようとしていた方向から地鳴りのような轟音が鳴り響く。真っ黒い壁が、大地の裂け目から出現した。それが石油のタールのような液体だと気づくのに時間はかからなかった。吹き出してきた黒い水は、住宅街を丸ごと飲み込もうとしている。波打って揺れ動き、家々の屋根を破壊し、波を立てながらバウンドして進んでくる。


「つ……っ……津波だぁ~」


 近所の人々に知らせるように叫んだが、誰も家から出てこない。


 自分の安全を最優先しろ!……と、自ら発破をかけ、津波から逃げようとした。ところが、T字路の中央に女子高生が立っており、道をふさいでいた。


 逃げ道を失い、絶望感が胸を支配する。


「そ、そこを……退()いてくれ」


 俺は正体不明の女子高生に訴えるしかなかった。後ろを見ると津波が見る見る迫ってくる。


 だが、女子高生は無言のまま、動かずに仁王立ち。


 俺が道の隅をすり抜けようとすると、横にステップして行く手を阻み、嫌がらせをしてきた。


 もしかして〝退いてくれ〟が命令口調に聞こえて怒らせたのかもしれないと、肯定的に考えながら、今度は無言で突破を試みる。言葉をかける行為は完全に勇み足だった。


 一刻の猶予もない。フェイントをかけ、逆方向にダッシュする。


 すり抜けられると思った瞬間、女子高生の首が伸び、遮断機のように俺の目の前に下りてきた。


「ふ……う……り……ん……」


 また、あの言葉を口にすると、女子高生は首を捻じ曲げ、頭をぐるりと回転させ、顔を見せた。


 その顔は歪み、凹み、顔の原型など留めていなかったが、目と口らしきパーツは怒りと憎しみが宿り、炎のように揺れていた。


 悲鳴が喉元で滞留して息が詰まり、俺は気を失う。



        ♢  ♢  ♢



 ピチャ……と水滴が落ちる音が耳の鼓膜をくすぐった。


 聴覚が刺激され、視覚よりも先に意識を呼び起こす。


 瞼が重く、ゆっくりと持ち上げると視覚がぼやけていた。灰色の四角いタイルの輪郭が定まり、自宅の風呂場に居るのがわかった。浴槽の縁に頭をもたれかけていた。


髪の毛が冷たい水で濡れている。浴槽の水は黄色い入浴剤で濁っていた。しかもスーツ姿のままだ。


「ふぅ~」と、ため息をつくとアルコール臭い。


 昨夜、同僚に無理やりビールを飲まされたところまでは覚えている。さすがに若い時のように、一晩で二日酔いは抜けず、水風呂で頭を冷やそうとしたのだろう。


「おはよう」


 背後から、浴槽の水よりも冷たい声がした。


「お、おまえ……だ、誰だ?」


 振り向くと、ブレザータイプの制服を着た女子高生が立っていた。金髪を肩まで伸ばし、自分でブリーチしたのか毛先が痛んで縮れている。ネクタイをルーズに緩め、スカートはヒップラインまで折り込み、短い裾から日焼けした長い脚をさらしている。グロスを塗った唇は光り、細い目にアイシャドウや涙袋の陰影をつけ、目を大きく見せようとしている。


自由奔放な着こなしと派手なメイクで、社会と常に戦っている小悪魔にしか見えなかった。


「私の名前は(うら)木音音(きねおん)。あなたの不倫相手の娘よ」


(ふ……う……り……ん……不倫……)


 俺は上司の(うら)木琴(きこと)()という女性と不倫していた。家庭持ちだと知りながら、出世のためだけに近づいたのだ。


 夢で見た女子高生なのか?!いや、似ているようで、似ていない……そう思う間もなく、彼女が後ろ手に持っていた小型のハンマーで頭を殴られた。


「うっ……ッつ!」


 血が飛び散り、浴槽の水に赤い斑点が浮く。


「あなたのせいで家庭が崩壊したの。私はパパと一緒に家を出た。優しいパパは毎日泣いて、廃人みたいになった。酒癖が悪いあなたを毎日付けていたの。酔って千鳥足で帰るところを狙ってた」


 早口で言うと、二発目の打撃を受け、鈍い音がした。グワングワンと、頭の中が死を予感させるくらい揺れた。


 俺の身体は浴槽に沈んでいく。


 ぼんやりする意識と視界の中で、浴槽の底にいる恨木琴与と目が合った。しかし、彼女の黒目の部分は白く濁り、水晶玉のように虚ろだった。


 そして、似合わないセーラー服を着ていた。背中に重石代わりに電子レンジを乗せられ、浮かび上がらないように細工をされている。


 あっ、コスプレさせて、家で待っているように頼んでいたんだ……と、俺の死に際の記憶は、浴槽の虚無の水と静かに溶けていった。


                                〈了〉

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