虚ろの擬花
死体を埋めに行こう。
そう私は思い当たった。そう、本当に泡が湧き立つように。ふつりと思い浮かんだのだ。
だが手頃の死体がない。
可愛がっていた猫はいかがと思った。
だが部屋を見渡しても澄んだ黒い眼と艷やかな黒い髪を持つあの子の姿がない。
可愛がっていた犬はいかがと思った。
だが部屋を見渡しても愛らしい癖っ毛を撫でつけ跳ね回るあの子の姿がない。
――ああ、そうだ。
あの子たちももう、埋めてしまったのだ。
ゆえにとりあえず、私は死体を埋めるため山へ向かうことにした。
むろん、死体はない。歩いている途中できっと妙案が思い浮かぶだろう、と思ったのだ。だから私は着物の裾を整えて、部屋を出た。
外は死であふれている。
私はじりじりと照り付ける陽光で揺らめく外気を前に見据えながら、静かな村の中でゆっくりと歩を進めた。
私は死体を埋めたい。
そして見たいのだ。あの美しい花々が寄り添い、愛情を注ぐ様を。私はその様を羨み、一方で恋焦がれているのだ。
何日前だっただろうか。
もうひと月は経っているかもしれない。
それは愛猫が硬く動かなくなってから数日経った――真夏の黄昏時だった。
私は何日もひどく咽び泣いたあとだった。
いかなる時も寄り添っていた愛猫が、その日は寄り添ってはくれなかったのだ。
ずっと素っ気なく部屋の隅っこで昼寝をして、私のそばには来てくれない。何日も、何日も。愛猫はその場所から離れず、しだいに厭な臭いを放つようになった。私より蝿のほうが好ましかったのか、膨れ上がらせた皮膚の上に蛆虫をのせていたのだ。私はそのことが悲しくて悲しくて堪らず、その愛猫をつまんでお山へのぼった。私のそばへ来てくれないのならば捨ててやろうと思ったのだ。
立ち止まったのはしゃらしゃらと水音のする、川辺近くだ。せめてものの配慮だ。ここならば飲水にも悩むまい。雨風に打たれぬよう木の根元の土を深く掘って、その中に入れてやった。寒くないようにと気を利かせて、木の葉も被せてやった。だが最後まで、蝿と恋仲になった愛猫の目は私に向けられることは無かった。
そのとき不意に、視界に入ったのだ。
一輪の無色の蕾を付けた花に。
不自然に盛り上がった土からにょきりと生えたそれは、茎まで色のない不思議な花だった。葉は無いが、ほんのりと甘やかな香りはある。
銀竜草の類かとも思ったが、何となくそれとは異なる花だと感じた。それどころか、花ではない別の何かとすら思った。
なんとなく私は、その花の下を掘ってみた。
するとその下からは数本の髪の束と薄汚れた骨のようなものが姿を現した。
可哀想に、こんな寂しい場所でひとり死んでしまったのだろう。きっといつかは蝿と愛情を育んでいる愛猫もこの骸と同じになるのだろう。だって、ここには水しか無い。
だが――私はさらに、その死体に根付くものを見て驚いた。あの花のような何かの根が根付いている。まるで決して離さぬとばかりに。
私はその様に見惚れた。羨ましいとすら思った。ぶうん、と耳元を蝿の羽音がしなければきっと、夜が更けてもその場にいただろう。私は、愛猫から嫌われたらしいその蝿に感謝し、お山を後にした。
けれどもあの花が気になって、またお山にのぼった。そして川辺にたどり着いてすぐ、違和感を感じた。
花が数を増やしていたのだ。愛猫の埋まっている辺りに何十も、ひしめくように。あの花は、あの変わった髪と骨となってしまった骸だけでなく、愛猫にまで寄り添ってくれているのだ!なんと愛情深いことか!
いや、これは偶然かもしれない。私は確信が欲しい。
ゆえに殺した魚や鶏を捕まえて、土に埋めた。また翌日その場所を訪れると、今度は魚や鶏の埋めたあたりに花が生えていた。また次の日、さらにその次の日。
そうしてお山の木々も全て枯れ、川も乾き、村のすべてが静寂とあの花もどきに包まれたころ。
ようやく私は確信を得た。この花もどきは死に寄り添っているのだと。私はいつかこの花もどきに寄り添われて死ぬのだろうと安心し、満足した。
そのはずだったのだが今朝方、また花に死体をやりたい気分になった。あの愛情深さをもう一度のこの目で見たい。死に寄り添う様を見て心を落ち着かせたい。
だのにもはや埋めるものが何ひとつ残されていない。
愛猫も愛犬も友人も隣人も、見知らぬあの人やあの人も。みな、あの花に愛される骸となってしまった。死体がない。死が、ない。
いいや。
まだここにあるじゃないか。
まだ花たちが、いまだ花開くことも知らない、無色の蕾たちがいるではないか。
私はお山に、村に火を放った。
ごうごうと炎は最後の命までも燃やし尽くさんと音を立てて広がっていく。私はただ、すべてが紅く染まる様を見下ろしていた。
――ああ、なんと美しいことか。
あの無色の蕾が開かれたではないか!
花弁の形は彼岸花に似ている。それらは燃えた場所から花開いてゆく。ひとつ、ふたつ、みっつ。数え切れぬほどの花が炎までも覆い尽くし、咲いていく。あの甘い香りが、空まで届くようだ。彼らは同胞の死に、自身の死に、寄り添っているのだ。
私は歓喜した。感涙した。びょおびょおと泣き、最期の時まで死に寄り添う彼らの友情に、否、愛情を全身で感じていた。
いま、その土地には何もない。草花も蟲も鶏も人や獣も。あの花の形をした何かが、すべての死を看取ってしまったから。残されたのは無。死すらも存在しない、完全なる無。
在るのはただひとつ。
空っぽの、私だった何か。