3.悪魔の所業
翌朝、僕の回りにはいつも通り空気の円ができていた。なんと今日の円は昨日より半径が2メートルほど大きくなっている。おそらく、昨日柚子と言い争ったことが原因だろう。1度やらかすだけでこの有り様なら、100回やらかすと僕は一人でスクランブル交差点を歩けるようになるのではないだろうか。
しかし、今日はこんな軽口を叩いている場合ではない。柚子の現状をどうにかしなければならないのだ。朝霧先生はいったい僕に何を期待しているのだろうか。僕は信頼に値する人間なのだろうか。しかし、先生は現状、唯一僕を信頼してくれている人だ。
「僕だってこの信頼に答えるくらいやってみせる」
あとは流れに身を任せよう。僕のとる行動は決まっている。
まずは高田さんに話しかけるノルマを達成。
今日も反応はなし。そして1日が動き出す。
一限は数学。僕の頭ではノートをとるだけで精一杯だ。僕の場合、先生の話を理解するよりノートをとる方が優先順位が高い。ノートをとり忘れると誰にも見せてもらえず、復習ができなくなるからだ。
二限は古文。担当教師はいつもよりおしゃれに気を遣っているようだ。デートの予定でも入っているのだろう。
三限は現代文。朝霧先生の授業だ。先生は僕を一瞥するわけでもなく、いつも通り授業が終わった。
ここまで柚子は誰とも話していない。一人黙々と授業に取り組んでいる。と、彼女がペンを落とした。ペンはこちらに転がってきて、僕の足下で止まる。
仕方ない。とらないわけにはいかない。ペンをとり、彼女に渡す。
「ありがとう」
柚子は目を会わせず、お礼をいう。
「僕に話しかけるなって言っただろ」
「…」
「何だ?自分は美人だから転校初日からたくさんの人に話しかけられるとでも思ってたのか?」
柚子は無言だ。
「かわいそうに。高校に入ったら友達がたくさんできて毎日笑顔で過ごせるなんてことを想像してたのか?それが1日目で誰にも話しかけられないから、堪えちゃったのかな?それで中学が一緒の僕に話しかけた。でも君は話しかける相手を間違えたんだ。ただ顔見知りというだけで僕に話し掛けたのが間違いだったんだよ。知ってるかい?僕は悪魔って呼ばれてるんだ。佐久間と悪魔。響きがにていて違和感がないのが滑稽だ。君は悪魔に話しかけたんだ。もう人間の集団には戻れない。そして、その悪魔にも見捨てられた。君はこれからずっと孤独なんだよ。」
なるほど自分の気持ちを吐露するのはこんな気分なのか。
柚子は下を向き震えている。今にも泣き出しそうだ。いつの間にか教室は静まり返っている。
朝霧先生も成り行きを見守っている。教師はもう止めていい頃合いだと思うが。
「思い出した。小鳥遊、お前中学でも1人ぼっちだったよな。空気が読めなくてよく笑われてたっけ。あ、もしかしてお前、高校でもいじめられたのか?そうかそれで、入学から2ヶ月もたたずに転校する羽目になったんだろ。滑稽だな。いくら環境を変えようと本人が変わらないと周囲の対応も変わらない。」
「…私だって、私だって変わろうとしたよ!」
「確かに、転校前日にあったときは話し方も立ち姿も別人みたいだったよ。頑張ったな。変わろうとしたんだもんな。初日に誰にも話しかけられず心が折れたんだろ。可哀想に。いくら取り繕おうと、君が空気を読めないっていう本質は変わらないことに気づけなかったんだよね。同情するよ。さあ、新たな居場所でもまた失敗したね。次はいつ転校するのかな。どうせまた逃げ出すんだろ。できるだけ早くがいいな。
ほら、先生のところまでいって転校手続きしてこい。ちょうどそこに担任がいるぞ。」
「おい、佐久間それ以上はダメだ。」
朝霧先生が止めに入ろうと動く、前に柚子が立ち上がる。
「そうそう、さっさといけよ。」
「…」
「ほら、早く」
パチン
「…何するんだよ」
僕を叩いた柚子の顔は涙で濡れていた。
「…」
「おい、まて、小鳥遊!」
朝霧先生の静止も聞かず、柚子は教室を走り去った。教室の空気は地獄だ。
「悪魔」
「性格悪。」
「キモい」
「小鳥遊さんかわいそう」
僕への悪口が飛び交っている。
さすがの悪魔もこの空気には耐えられそうもない。四限はサボるか。
僕は教室という地獄をあとにした。
5限に教室に戻っても柚子の姿は教室になかった。これまでは僕を無視していた視線が、僕にまとわりついてくる。…5限もサボろうかな。
放課後、案の定朝霧先生に呼び出された。
なんと校長も同席し、人生で一番長い説教をうけた。朝霧先生は退室する際に、
「お前を信頼しすぎたようだ」
という言葉を残していった。それと同時に頭をポンポンしてきた先生の手からは優しさが伝わってきた。
職員室から解放されると日は沈み、町は闇に覆われていた。闇というのは孤独に染みる。何故ならば、1人でいても闇に溶け込み、自分という存在が曖昧になるからだ。
ふと、目に公園がとまった。懐かしい。小学生のころ、よく柚子と遊んだ。たしか柚子はブランコが好きだったな。
しかし明日からどうなることやら。ただでさえ悪魔なんてあだ名なのに。新たなあだ名が増えるだろうか。グレーターデーモンとか。
どうせなら魔王まで昇格したっていいぞ。
統べる配下がいないか。滑稽だ。空気にむかって命令するのだろうか。
「悪魔」
後ろから声がした。
「違うな、今の僕は魔王だ…ぞ、…小鳥遊。」
振り返ると柚子がいた。
「…何してるんだ。」
「悪魔が通りかかるのを待ってたの。」
だとしたらもう3時間も待っていることになる。
「『はなしかけるな』じゃないの?」
「…」
話しかけられるはずがないと思っていた。
「…じゃあな。」
これ以上彼女といてもお互い気まずいだけだ。
「逃げるの?君も?」
「…これ以上何を話すことがあるんだよ。」
「まだ私は君に何も伝えてないよ。」
背中ごしでもわかる。彼女はやはり中学の時とは違う。成長している。自分の意見もはっきり伝えられる。空気に呑まれていない。彼女は僕よりよっぽど大人だ。
「…何であんなことしたの?」
「あんなことって?」
聞かなくてもわかる。
「どうしてみんなの前で私の悪口をいったの?」
「…僕は君に思ったことを伝えただけだ。」
「違う。」
「違わない。」
「違う。全部間違ってる。」
「なんのことだよ。」
「君はあんなことをする人じゃない。」
「僕は悪魔だ。それぐらいするさ。」
「違う。それも違う。君は悪魔なんかじゃない。」
「違わない。僕は悪魔だよ。みんなに嫌われた。」
「…」
「それじゃあ。明日からは人間どもと仲良くやるこった。」
「やっぱり。やっぱり君は悪魔じゃない。
全部違う。君は悪魔なんて言われるような人じゃない。あんなことしたのも私のためでしょ?私が一人にならないように。また中学のときみたいにならないように。」
「…」
「それにやり方も間違ってる。わざわざみんなの前で私の悪口を言う必要もなかった。」
「あれは」
「わかってる。私が君と、悪魔と仲がいいって思われないようにでしょ。私が君と同じ中学で、君と仲良くしようとしたから、警戒されて一人になったこともわかってる。」
「じゃあ」
「でもあんなやり方をする必要はなかった。二年ぶりにあったときにあんな避け方をする必要もなかった。」
「…」
「君が私を避けたのは私が他の人と仲良くできるようにするため。君がみんなの前で悪口をいったのは、私と君が仲良くないことを証明するため。みんなが私に同情して話しかけるきっかけを作るため。私がこれ以上君に話しかけないよう嫌わせるため。」
「…全部お見通しか。」
「そう。全部わかってる。だから君が全部間違えたこともわかってる。」
「僕は最善を尽くしたよ。」
「確かに君は私をクラスの輪に入れるっていう目的を達成するには最適な解決方法を思い付いた。でも、間違ってる」
「何がだよ」
「目標が間違ってる。」
「…」
「君が目指すべきだったのは私をクラスの輪にいれることじゃない。君が目指すべきだったのは、君が私を受け入れること。私と仲良くすることを選べばよかった。」
「でもそれじゃあ君がクラスの輪に入れなくなる。」
「それでいいっていってるの。私が何で転校してきたと思う?」
「…」
「私はいじめられてなんかない。中学を境に私がいじめられることはなくなった。私が転校してきたのは、君を見つけたからだよ。君がこの学校にいるってわかったから。」
「そんなわけ」
「そんなわけあるんだよ。佐久間は私にそれだけのことをしてくれたの。小さいときから佐久間はずっと私のことを守ってくれた。中学まで。私は佐久間に、浩介にとてつもない恩がある。」
「別に僕は」
「浩介は私にそれだけのことをしてきたの。だからこの学校にやってきた。そして浩介を見つけた。嬉しかった。二年ぶりに会えたから。でも浩介は私を突き放した。悲しかった。でも浩介のことだから理由があると思って我慢した。そしたら浩介があの事件のせいで避けられてるって知って、やっぱり私を守るためだったんだって納得した。そしたら浩介が私に悪口言い始めるんだもん。ビックリしちゃった。傷ついた。」
柚子はブランコをこぎ始めた。
「久しぶりに浩介にあったのにまともにしゃべれたと思ったら悪口なんだよ。そんなの傷つくにきまってる。でも浩介はずっと私を守ろうとしてくれてた。あの時も。それに気づいたらなんだか涙が出ちゃって。」
柚子は恥ずかしそうに笑う。
「浩介は私のことをいつも守ってくれてる。でも間違ってる。私はクラスメイトなんかより浩介と仲良くしたい。浩介以外の100人に嫌われるより、浩介1人に嫌われるほうが嫌。だから浩介は間違ってる。浩介は私と仲良くすればよかったの。」
そういうと彼女はブランコを飛び下りて僕の前に着地する。
「私は浩介を選んだ。浩介はどうするの?」
「僕は君とは…」
明日になればクラスの人間は悪魔の被害者として柚子に話しかけ、柚子が一人になることはなくなるだろう。でもそれは柚子がそれを受け入れた場合の話だ。
「…わかった。僕の敗けだ。」
「よっしゃ!」
朝霧先生から頼まれたのは彼女が1人にならないようにすること。仕事は早く終わらせるに限る。柚子は隣ではしゃいでいる。
「君はいつまで喜んでるつもりだ。もう帰るぞ。」
柚子が動きを止める。
「ねえ、いつまで『君』って呼ぶの?」
「小鳥遊」
「違う。ちゃんと中学の時みたいに。」
「…それはまだ早い。」
「は?どういうこと?」
「まだ僕と仲良くしながらクラスメイトとも仲良くできる可能性は残されてるからな。僕に話しかけるのを認めただけで昔に戻る訳じゃない。だから親密さを出しちゃいけないんだよ。」
「何それ。そういうの屁理屈っていうんだよ。」
「契約の穴をついたといってもらいたい。」
「この悪魔」
「やめろやめろ。だいたいそのあだ名はまだこの学校じゃ広まってないんだからな。」
「あだ名広めるために友達増やそうかな。」
「増やせるもんなら増やしてみろ。僕というデバフの脅威を思い知れ。」
別に柚子と呼ぶのが恥ずかしかった訳じゃない。そう、柚子なら友達ができるかもしれないからな。ただ、もう少し自分が美人ということを自覚してくれ。
「なあ小鳥遊、この学校にきたのはホントに僕に会いに来るためだけなのか?」
「そうだよ。担任の先生に話したら笑われちゃった。」
「担任って朝霧先生か?」
「たしかそんな名前だったような」
全く、最初から僕のためだったって訳か。
素直に話せばこんなにこじれることはなかったのに。
まるで悪魔の所業だ。