第二部:混沌の攪拌
掘削が進むにつれ、深海からは予期せぬ生物や物質が次々と発見された。奇妙な形状の魚、これまで知られていなかった微生物、そして分類不能の有機体。これらは公式記録には断片的にしか残されず、ほとんどが秘密裏に研究されていた。K博士は偶然入手した内部メモから、こうした発見物の多くが各国の秘密研究施設に送られていることを知った。
ある日、K博士は実験室で働いているときに、突然の頭痛に襲われた。彼の視界が歪み、周囲の科学者たちが巨大な蛇や象、神々のような姿に見えた。それは一瞬のことだったが、彼は自分が現実と幻想の間で揺れ動いているように感じた。
施設の管理体制は徐々に厳しくなり、科学者たちの行動は常に監視され、詳細な報告書の提出が要求された。しかし、提出された報告書がどこに行くのか、誰が読むのかは不明だった。K博士の同僚たちは、次第に無口になり、互いの目を見て話すことを避けるようになった。食堂での会話は必要最低限となり、夜間の個人的な接触は事実上禁止された。
K博士はL博士の失踪について調査を続けていた。彼は施設の記録室に忍び込み、L博士の個人ファイルを探したが、それは空っぽだった。まるでL博士がこの世に存在していなかったかのように。しかし、廃棄予定の書類の山から、K博士はL博士の最後の研究メモを発見した。それには「アムリタは意識に作用する」「古代の神々は誤解されている」「私たちは繰り返している」などの断片的なフレーズが走り書きされていた。
その頃、掘削機「マンダラ」が海底で予期せぬ障害に遭遇し、作業が中断された。公式発表では「技術的な調整」とされたが、K博士は内部通信から、マンダラが何か「固形物ではない障壁」に阻まれていることを知った。その間、施設内では奇妙な現象が起こり始めた。電子機器の誤作動、幻聴、そして科学者たちの間での不可解な行動変化。ある者は突然サンスクリット語で話し始め、またある者は食事を一切拒否するようになった。
K博士自身も変化を感じていた。彼の夢はますます鮮明になり、目覚めた後も夢の中の感覚や知識が残るようになった。彼は古代インドの神話「乳海攪拌」について詳細な知識を持つようになったが、それを学んだ記憶はなかった。
ある夜、K博士は施設の地図にない廊下を発見した。直感に従って進むと、彼は施設の最深部にある秘密の研究室に辿り着いた。そこでは、アムリタに触れた生物や物質の変異が研究されていた。水槽には奇妙に変形した深海生物が泳ぎ、その体は半透明で内側から光を放っていた。別の部屋では、アムリタに曝露された人間の脳のスキャンデータが壁一面に投影されていた。それらは通常の脳活動とは明らかに異なるパターンを示していた。
K博士はさらに奥へと進み、最終的に「アーカイブ」と書かれた部屋に到達した。そこには古い文書や遺物が保管されていた。彼はその中に、19世紀のインド洋探検中に発見された古代の壁画の写真を見つけた。それは現代のマンダラ計画と驚くほど類似していた。壁画には、山と蛇を使って海を攪拌する神々と悪魔が描かれ、その海底には今彼らが掘削している場所と同じ座標が古代の数字で記されていた。
掘削が再開されると、作業は急速に進展した。K博士は自分がマンダラ計画の真の目的から除外されていることを悟った。彼は自分の研究データが改ざんされ、真実が隠蔽されていることに気づいた。彼の実験結果は常に「非結論的」と判断され、重要な発見は上層部に吸い上げられた。
ある日、全科学者を対象とした「健康診断」が実施された。それは通常の医学検査というより、奇妙な心理テストと脳スキャンの組み合わせだった。K博士の順番が来たとき、医師は彼の瞳孔を長時間見つめ、「あなたはまだ変化していない」と呟いた。
その夜、K博士は再び秘密の研究室を訪れようとしたが、途中で警備員に発見された。しかし、予想に反して彼らはK博士を拘束するどころか、静かに道を譲った。警備員の一人が耳打ちした。「私たちも真実を知りたいのです。ヴァースキの下へ行きなさい」。
ヴァースキ──それは施設の暗号名だった。K博士は施設の設計図を思い出し、建造物の最下層、実質的には海中に浮かぶ部分へと向かった。そこで彼は驚くべき光景を目にした。巨大な円形の部屋の中央には、アムリタの原液と思われる巨大なタンクがあり、その周りを科学者や管理者たちが、まるで古代の儀式のように歩いていた。彼らの目は青白く光り、動きは人間のものとは思えなかった。
K博士がその光景に釘付けになっていると、背後から声がした。「やっと来たね、K」。振り向くと、そこには消息不明だったはずのL博士が立っていた。しかし、彼の姿は変わっていた。肌は青みがかり、瞳は波打つ海のようだった。「私たちは間違っていた」とL博士は言った。「アムリタは発見するものではなく、アムリタが私たちを発見したんだ」。