転生
金曜日の午後六時。斜陽がビルをや住宅街を照らし、美しいコントラストを描き出している。一週間の疲れを纏った街中がため息を漏らすその中、私あいりはルンルンで歩道を歩いている。なんにせよ今日は私が推している乙女ゲームの最新シリーズの発売日なのだ。
呪われたヒーローシリーズ。このゲームは十年間もの間私をずっと支え続けてきた。
中学生の時に事故で両親を亡くした。遊園地からの帰りだった。雨が降っていた。だから、視界が悪かったのだろう。大型トラックにはねられ。私だけが何とか生き延びた。ざーざーと降り注ぐ雨は両親の身体に残酷にたたきつけ、とくとくと流れる血を、もっと遠い所へ流していった。お母さんの血を、お父さんの血を必死にかき集めた。でも、二人は帰ってこなかった。
その当時は生きる意味も、希望も見つけられず、何度か自死を試みようとしたこともあった。しかし、私は。死ぬ覚悟すらも持てなかった。
死にきれず、生きる屍となって、ひたすら死を願いながら盲目と日常の中を漂うことしかできなかった。
そういう死に対する望みがあるからか、私は「呪われヒーロー」シリーズのゲームにはまるようになった。それはもう狂気の沙汰だった。24時間中24時間私はこのゲームをプレイし続けた。
このゲームはいわゆる死亡フラグゲームだ。約99パーセントの選択肢が死亡にたどり着く中、プレイヤーは何とかして残り1パーセントのヒーローとのハッピーエンドを見つけるのだ。
毒死、溺死、絞殺、拷問死など、多様な死の最後からネットではこのゲームのシナリオを自殺読本と揶揄う声も上がっている。このゲームの異常な難しさにより発売当初は批判も殺到していたが、達成した時の達成感と、よく手の込んだストーリー展開により今も根強く残っているファンも少なくはない。
主人公が逆光の中でも明るく生きる姿に憧れ、私はそのうち日常生活を営めるようになった。そして今ではルンルンと街を歩くまで回復したのだ。まさしく自分と一緒に成長し続けてきたゲームであり、死の縁で彷徨っているとき、私に希望の光を見出させてくれたゲームでもあるのだ。
だから、なにがあってもこのゲーム「呪われたヒーローと愛され王女」を楽しんでやる!
と意気込んだ三時間後、私は川の上を漂っている。何がどうしてこうなったのだろうか。誰も私に聞くな、私が一番それを聞きたい。
ここまで至った背景に思考を巡らしてみるが、頭の中に霧がかかってうまく思い返せない。三時間前、私は家電屋に向かっていた。家から家電屋までの往復の時間とゲームを購入する時間を入れても全部で一時間半もかからないはず。なのに、その意識のない一時間半には一体何があったんだろうか。
考えても答えではない。というか、これはまだ問題ではないのである。一番の問題は私が「呪われヒーロー」をプレイする前に、死んでしまう可能性があることだ。
こんなことがあってもよいだろうか。4か月間日々思いを馳せ、この日を待ち続けた私が、まさかのろひろをプレイせずに生涯を終わらしてしまうなんて、言語道断!
「死んでも、ヒーローを攻略してやる!」
そう誓ったのを最後に、私の意識は途切れた。
まだまだ初心者ですのでどうか温かい目で見守ってください土下座土下座