【ダイヤモンド・ピッグ③】
「おはよう、優」
朝、上履きに履き替えていると結夏が声をかけて来た。
「おはよう」
「昨日は大変だったね。あれから先生達も来ちゃって大事になりかけたみたい」
「うぇ~まじかよ・・・。どうしよう先生に呼び出されたら」
「それは多分大丈夫でしょう。あの後、鈴之塚先輩が先生達説得してくれたみたいなの」
「えっ鈴之塚先輩が!?」
「だ・か・ら・ちゃんとお礼言っときなさいよ」
「すすごい・・・本当に出来た人だ。鈴之塚先輩完璧すぎないか」
あの後、てっきり響も帰ったと思っていた。しかしあの場を鎮める為にわざわざ残りことを穏便にすませてくれていたのだ。また助けられた。そして結夏は知り得た情報を得意げに優に伝えた。
「当たり前よ。優がお熱だから私も調べてみたけど、あの鈴之塚響先輩はとても優秀な人よ。二年の中じゃ成績もトップクラス。おまけに演劇部では去年個人で優秀賞をとっているの。入学当初からあまりの人気ぶりに三日でファンクラブが設立されたそうよ。ウワサではこの学園の女子ほとんどがファンクラブに入会しているみたい。そこで鈴之塚先輩とお茶会が設けられているみたいなんだけど、そのお茶会に参加できるのは上級生のみらしいの」
「へぇ~この短時間よくで調べたな。結夏」
「まぁね。情報収取は嫌いじゃないわよ。まっとにかく、鈴之塚先輩は優が敵うわ相手じゃないってこと」
「いや、それはわかってる。はなから敵うなんて思ってないよ」
「えっそうなの?ライバル心燃やした~ってノリじゃないの?」
「違う違うそんなんじゃないよ。そんなアタシなんかが烏滸がましい。昨日も言ったけど先輩のおかげで変われたってお礼がいいたいだけなんだ」
「優・・・」
春のやわらかな風が校舎へと吹き込んでいた。緊張がまだ残る入学二日目。一年生の掲示板には部活勧誘のポスターがたくさん貼られていた。校門付近では呼び込みもで始まっている。結夏はどこか遠くを見つめる優の顔を見つめ、その表情を察した。
「昨日から気になってたんだけど、優ってそっちなの?」
「ん?そっちって?」
「え、いや・・・だから、その・・・その格好といい鈴之塚先輩のことと言い。優は男の人が好きなのかなって」
結夏は言い辛そうに、スカートの前で指先を絡めている。決して優と目を合わそうとしない。優はそれがどう意味するのかにようやく気付き目を見開いた。勘違いされている。傍から見るとそう見えるのかと頭を抱えた。
「ちっち違うよ!!ぼ・・・アタシはただ鈴之塚先輩に憧れたの。好きとかそういのとはまた別で・・・それに鈴之塚先輩は男だ!アタシは女の子の方が好き」
「そ、そう・・・ならいいんだけど」
「うん?あっでもね、鈴之塚先輩には言うつもりなんだ」
「言うってなにを?」
「自分の正体を。こんなに変われたことに敬意もある」
「ふぅーん。でも鈴之塚先輩は優の正体知ったらドンびくかもよ」
「ハハハどうかな?できた人だからそれくらいで同時なさそうだ」
「でもその後はどうするの?憧れてるなら鈴之塚先輩みたいになりたいとかは思わなかったの?」
「仲良くなりたいんだぁ。鈴之塚先輩と」
「それだけ?」
「それだけだよ。一緒に勉強したり、遊んだりしたいなぁ。学校帰りにどこか寄ったりさ~」
それなら男の姿でも出来たのではないか、と結夏は思ったがあえてそこには触れなかった。優が一番自信を持てる姿が今の形なのだろう。
「優の中の鈴之塚先輩って揺るがないのね。恐れ入ったわ。くれぐれも気を付けなさいよ」
「うん。ありがとう」
教室に入ろうとする優。今日も髪は緩く巻かれている。結夏は優のブレザーを引っ張った。
廊下には登校して来た生徒達があちこちで友達作りの為に話しかけている。早く馴染めるようになりたい。きっとみんなこれから始まる新しい生活に胸を躍らせているはずだ。
「どうした?結夏」
「な、なんか困ったことあったら言いなさいよ。私で良かったら力になるから」
照れているのか、結夏は少し頬を赤らめながら下を見ている。その姿に優は幼稚園の発表会の出来事を思い出した。先頭に立つのが嫌で優が変わったのである。親達の前で歌う中、結夏は優の制服をずっと掴んでいた。優が、ありがとうと告げると結夏ははにかんだ笑顔を零し、自分の教室へ向かった。
「あっ来栖さんおはよう」
「おはよう」
教室に入ると昨日話したクラスメイトの七海が声をかけて来た。トイレに行っていたのか手を拭いている。優はその持っていたハンカチに見覚えがあった。あの小花柄のハンカチだ。
「どうしたの?座らないの?」
「あっうん。そのハンカチかわいいね」
「でしょうー!入学祝いにお姉ちゃんから貰ったの。来栖さんもSOAN好き?」
「うん。大好き」
『それ、もういらない』淡い気持ちを抱いていた、あの子のことがふいに頭をよぎった。どこの学校に進学したのかすら知らない。きっとこのまま会うことはない。けれど忘れることはないのだろうと優は思った。突き返されたハンカチと軽蔑する視線。
人は見かけではないと言う。しかしそれは理想なのだと優は思う。人の見かけは大事である。仮にあの時ハンカチを拾ったのが今の自分だったとしたら、あの子はあのハンカチを捨てただろうか。むしろ拾ったことに対し感謝をされたのではないか。今の自分に侮蔑の視線を向ける者など誰もない。あの時と今の自分の違いとはなにか、それは絶対的な外見しかない。
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「来栖さんお昼は?」
「アタシはお弁当だよ」
「そっか。私も学食にしようと思ったけど混んでるらしいから、購買で買ってきちゃおうかな」
女の子はよく行動を共にするとは聞いていたが優の想像以上だった。トイレ、移動授業、お昼休みと一人の女の子がむしろいない。綾の話によればクラス内で派閥ができてくるというが。さすがに大袈裟ではないかと思っていたが、あながち大袈裟でもなさそうだ。
「あ、そうだ。アタシ少し用事があるから先食べてて」
「用事?私たちも行こうか?」
「ううん。大丈夫。ありがとうね」
そして綾の助言は続いた。必ずお礼を言うこと。そうでないと鼻につくらしい。
優は教室を出て、深呼吸を何度か繰り返した。
そして二年生の教室がある南校舎へと向かった。