【真珠が似合うブタになりたくて③】
「優ちゃんは本当に可愛いわねぇ~まるで女の子みたい」
ぱっちりとした二重に大きな黒目。瞬きを繰り返すと、長いまつげの先端が上下に揺れる。潤んだ瞳で優は大人たちを見上げた。首をことん、と右に傾けると決まって大人たちは喜ぶのだ。優にはそれがなんだか面白かった。
優には一つ上の姉、綾がいた。年の近い二人を母親が着せ替え人形のように遊んでいた。綾のフリルが付いたブラウスやスカートを優に着たりもする。時には双子コーデなどといい女の子用の服を着せては喜んでいた。
それは優の五歳の誕生日パーティー日。自分用に用意された子供用の黒いタキシードを母が着せている時だった。優は一年前に綾が着ていた華やかなドレスを思い出した。
「ねぇボクもお姉ちゃんみたいに赤色のお洋服がいい」
「でもあれはドレスだから。優君は男の子でしょう?」
「黒色なんてつまらない」
「綾のドレス優ちゃんも着ていいよ」
「本当?」
「うんっ!だって優君は綾の弟だもん」
母は迷いながらもクローゼットから綾のドレスを出した。シフォン素材にレースのついたドレスだった。優にもう一度、これでいいの?と尋ねると優は飛び跳ねて喜んだ。優は女の子の格好をすることに抵抗はなかった。むしろ女の子の格好をして褒められることの方が嬉しいと思うほどだった。
「優君は本当女の子みたいね」
「優ちゃんは私の妹!だぁーい好き!ねぇ優ちゃんあっちでプレゼント開けよう」
「うん」
「あらあら、優ちゃん今度は女の子の格好だね。良く似合っているよ」
自分と同じサイズほどのクマのぬいぐるみを抱きかかえた優の頭を祖母の厚みのある手が撫でた。他にもたくさんの誕生日プレゼントが用意されている。テーブルの上には母が焼いたクッキーやホールケーキ。優の大好物のハンバーグ。お腹がいっぱいになっても優は食べ続けた。欲しい物は頼めば買ってくれる。食べたい時に好物を言えばすぐに食べられる。優は食べることが大好きだった。自分が食べるとみんなが喜んだ。温かな和の中心に優はいた。
・・・しかし平穏な日々は長くは続かない。のちに姉、綾は優の可愛さはこの時がピークだったと苦々しく話すのだった。
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両親が共働きだった為、同居する祖母が優の世話をよくやいていた。祖母の作る料理はすべて美味しかった。そして育ち盛りの優がリクエストをすれば何でも作ってくれるのである。中でも優は、祖母の作るブタの角煮が大好きだった。そのこってりしたタレを熱々の白米の上に乗せ、丼にして食べるのが更に美味しいのである。
家に帰れば祖母と母が作る夕食二回分。夜食は自分で作るオリジナルレシピ。そしてシメのデザート。そういった生活を送っていた。美味しい物を食べた時がなにより至福の一時だった。そんな甘えに甘やかさた生活を続けた優は中学入学時には身長150cmにして100kg越えとなった。
「んむぅ・・・また増えてるかな。身長伸びたからかな」
「あら、優君体重計になんかのってどうしたの?」
「ねぇおばあちゃん、ボクちょっと太っちゃったかな」
「ふふふ思春期ね。でも心配する事ないのよ。優君くらいの年の子はそれくらいが丁度いいわ。育ち盛りなんだからもっと食べてもいいくらいよ。そのうち身長も伸びるわよ」
優が腹回りを手でさすっていると、祖母はニッコリと微笑んでいる。そして優の手を引き台所へ向かうといつもの様に優のリクエストを聞いた。うんうんと頷きながらキッチンへと入ると直ぐにいい香りがリビングに漂ってくる。わくわくしながら、優は自分のテーブルクロスを用意し、箸出して待っていると祖母はリクエストした料理を運んできてくれた。甘酸っぱい豚丼のタレのの匂いが部屋に充満していく。
「うわぁーボクの好きな豚丼だ!!いっただきまーす」
「ゲッ」
背後から自分を侮蔑する声。誰が入って来たのか直ぐにわかった。優が振り返ると案の定、綾が軽蔑してこちらを見下ろしていた。まるで汚物を見るような目だ。よくそんな目を弟に向けられたものだなと優は思いながらご飯を口に流し込んだ。
「あらあら綾ちゃんもおかえりなさい。今日は早かったのね。綾ちゃんも豚丼いる?」
「今日部活ないから。私はいらない。お母さん達が帰って来るまで待ってる」
「あらそう?おなかすいたら言ってね。これ、夜ごはんに食べてもいいから」
優が中学に上がると綾とは殆ど口をきかなくなった。いや、正確には中学に入る少し前からだ。学校ですれ違うと、他人のふりをされ目を逸らされる。話しかけようものなら「学校で話しかけんな」と一言で突き放される。なぜ綾がそんな風に自分を避けるのかわからなかった。優はその事を母に相談したことがあった。すると年頃の女の子はそういうものだと教えられた。そういえばクラスの女の子に話しかけた時も、あからさまに嫌そうな顔をされたことを優は思い出した。そして納得したのである。年頃の女の子というものは、男の子と話すのが苦手なのだと。
「うわぁ~!!夜空クンかっこいい~!!」
「ほぉ?綾はどの子が好きなんだい?」
「この子!!この右の人!」
「緑の衣装の子かい?」
「違うわよパパ!それは海星クン!私の推しはこの人」
「ハッハハ。パパには同じに見えてしまうな」
「いやね、貴方ったら」
「もう、ちゃんと見てよ」
近頃の綾は人気のアイドルグループにハマっていた。必死で推しを追いかける姿は優にとっては不思議だった。赤の他人にそこまでの熱量を費やせるなんて。なにより一番理解できないのは、ご飯を食べると太って推しに会うのが恥ずかしいと言うことだ。その為に食事を我慢するのだ。目の前の食事の方があきらかに己の欲を満たしてくれるというのに。優は綾の推しを見た。
そしてこうも思っていた。やせれば自分の方が可愛いと。テレビの中で踊るアイドルと昔の自分の写真を見ては勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「フッ」
「なによアンタ。今笑ったでしょ」
「笑ってない」
「ウソ!笑った!!腹立つこのチビデブタ!!」
「ボクその内背が伸びるもん」
「はぁ!?まだそんな事言ってんの?小学校からずっとデブブタじゃない」
「こらこら綾ちゃんそんな口の利き方やめてちょうだい。テレビもその辺にしてご飯食べちゃって」
「ったく。みんな優には甘いんだから」
今夜は今年初めての鍋だった。母親は別の鍋に取り分けた小鍋を綾の前に置いた。今年の冬から何故か綾だけ鍋が別なのだ。どうせ無意味なダイエットでも始めたのだろうと優は思っていた。チラリと綾の鍋を見ると自分が食べ終えた鶏肉が入っている。その鶏肉をこっそり取ると背後から悍ましい気配を感じた。バシッと音が出るほど思いきり後頭部を叩かれた。
「最低っ!何勝手に人の物食べてんのよ」
「いいじゃんちょっとくらい」
「最低最低最低!!!今直箸だったでしょ!?本当にサイテー!!せっかくママに頼んで別の鍋に用意してもらってんのに」
「えっなにそれ。ボクと食べるのイヤなの?」
「当たり前でしょう!!デブ菌がうつる!もぉーママ優が口付けた」
「少しくらいいいでしょう綾ちゃん。早く食べなさい」
余りの衝撃に言葉を失う優。昔はあんなに可愛がってくれた姉が今はこのように自分を邪険にするのだ。傷つかないわけはない。しかも母もそれを了承し別鍋にしていたなど。ここは一言くらいバシッと言うべきではないか。いくら年頃とはいえ、これは差別的な物と同じではないか。こんな家族観でこんな、こんな。優が震える唇に力を入れた時だった。
「そうだ。今度な翔太君の高校の卒業公演があるんだけどみんなで行かないか?」
立ち込めていた不穏な空気を断ち切ったのは父だった。祖父と一緒に野球中継を見ていると思い出したようにカバンからチケットを取り出した。
翔太とは優の四つ上の従兄である。この辺りでは有名な進学校に通い、そこの演劇部に所属している。去年も家族四人で見に行ったのを優は思い出した。
「あら、翔太君もう卒業するの?早いわねぇ」
「なんでも三年で部長も務めているそうだよ」
「私行きたい!それで帰りにデパート寄りたい」
「今年は去年よりいい役だって言ってたから期待だな。優も行くだろう?」
「えー優はいいでしょう。演劇とか興味ないし、去年もヨダレたらしながら寝てたじゃない」
「いいじゃないの。久しぶりに四人で行きましょう」
「そうだぞ。翔太君もチケット四枚送ってくれたしな。会場に空席を作るのはよくない」
あからさまに嫌そうな顔を見せた綾だったが、渋々納得した様だった。そして一人鍋を食べ始めた。先ほど優が手をつけた鶏肉を祖父に上げていた。腹立たしいやら悲しいやらよくわらない気持ちが沸く中、夕食を食べ終えたというのに優の腹は空腹だと周りに知らせていた。
数日後見る舞台で、自分の人生を変えるほどの出会いが待っていると、この頃の優は夢にも思っていなかった。