【真珠が似合うブタになりたくて②】
「アンタ、来栖優でしょ!?」
「はっ、はい?・・・あの、どちら様でしょうか」
女子生徒は更に優に顔を近づけるとギロリと睨んだ。甲高い声が教室にも響いている。帰宅しかけた生徒達が見てはいけないものを見てしまったように遠慮がちにこちらを見ると、足早に教室から出て行ってしまう。この事態を外から冷静に眺めようとするが、状況を掴むことが難しい。というのも目の前にいる自分つに心当たりがない。よってなぜ彼女が自分に怒りを向けているかがわからないのである。
「園崎結夏」
「え、えと・・・人違い」
「私を差し置いて代表挨拶した奴の面を見に来てみれば・・・まさかアンタだったとは!!」
「そのさき・・・?あっ、ゆいか?あぁ!!あの泣き虫ゆいちゃんだ!昔近所に住んでた」
「くっ来栖さん良かったね。知ってる人いて。じゃっじゃぁ私先帰るね。また明日~」
「えっあっちょっと待って七海さん!アタシも」
優も七海と共に教室を出ようとするが、背後から首根っこを捕まれた。
園崎結夏、彼女を直ぐに思い出せたことに半ば安堵した。彼女は小学校低学年まで近所に住んでいた女の子である。幼い頃はよくお互いの家に行き遊んでいた。結夏が引っ越しの日。絶対また会おうと約束をしてあれから十年近く会うことはなかった。
「ヒッ・・・久しぶりだね。うっうわぁ~結夏ちゃん全然変わってなーい」
「アンタが変わりすぎなのよ!何よその格好はっ」
「あぁあああ!!!」
「んぐっ」
優は結夏の続く言葉を遮るために口を両手でふさいだ。まだ教室に残っているクラスメイトが、再び驚いた面持ちで優と結夏を見た。苦笑いを向ける優。誰だって入学初日から騒ぐ生徒にはなりたくはない。穏やかに慎ましやかに日常を送りたいと考えているはずだ。
「苦しいわねっなにすんのよ!」
「ちょっといいから来て!」
優は興奮する結夏の手を取ると、急ぎ足で教室から出ていく。どこに連れて行くつもりだと、声を荒げる結夏。優は返事をすることなくどこか落ち着いて話が出来る場所を探した。
結夏は優に引っ張られる手を見つめている。当たり前だが、幼稚園の頃よりもお互い大きくなっていることを実感した。遠く離れた記憶がじんわりと温かくなっていく気がした。けれど、なんとなくそこから目を離した。その時、中庭の方からひときは大きな歓声が沸き上がった。
「キャー!響君よ!!」
「今日も素敵!」
「響様ー!!こちらを見て下さい」
「響君、今日は部活ないの?」
優達がいるところは二階だというのにその歓声は近くに感じるほど大きかった。二人は窓から外を見た。そこには女子生徒を引き連れながら中庭を横断する一人の男子生徒がいた。全て計算しつくされたような端整な顔立ちに、長身ないでたちは人目を引く存在だった。周りを取り巻く女子生徒へ一人一人受け答えするその配慮や仕草がなによりも美しい。
彼こそがこの椿ヶ丘高等学園一の人気者、鈴之塚響だった。あまりの人気ぶりに学園にはファンクラブも設けられ、この学園の女子半数以上がそこに所属しているとのウワサだった。
「すごくキレイな人ね。びっくりした」
「鈴之塚先輩だ!うわぁっ本物だ!やっぱりかっこいいな」
「すずのづか?優知り合いなの?」
優は窓に張り付き、その一行を食い入るように見つめた。芝生を横切るその姿は実に華やかで優の目には神々しくも映った。隣で話す結夏の声が届かない程に魅入っている。響がこちらに気付いたようだった。暖かい風を運ぶ春風が吹き、咲いたばかりの桜の花びらがふわりと数枚舞っていく。太陽の光に目を晦ませた響と優の瞳が重なった。
「ヤバイ・・・今目あったよね。死んじゃいそうに胸がいたい」
「アンタ何言ってんの」
感嘆を零す優に対し、結夏は更に嫌悪感を露わにした。このまま帰ってしまおうか迷った時、目の前にいる優の横顔が幼い頃と重なった。そして、あの淡いくすぐられるような感覚が胸の中に蘇る。
「私、頭痛くなってきたわ。そもそも何なのよその奇天烈な格好は」
「似合う?」
「ムカつくくらい似合ってるわよ」
「ふふふ、結夏よりカワイイでしょう」
その言葉に結夏は思いきり優の頬をつねり上げた。癇に障ったのだ。可愛い子に自分より可愛いだろうとみせつけられて。女としてのプライドが結夏をそうさせた。
「痛い痛いっ!!!ってぇ~もう冗談だよ。乱暴だなぁ。まるで姉貴みたいだ」
二人は理科室にやって来た。一年の校舎にある理科室など入学初日に訪れる者はいない。いるとすればよっぽどの理科マニアか変質者である。私立ということもあり理科室の整備は整っていた。トルマリン漬けにされた生物や昆虫の標本が壁に掛けられている。黒板には去年の生徒の忘れ物か、物理の計算式が書かれていた。ツンとさすアルコールの臭いと湿った黴臭さがあった。廊下から微かに生徒達の声が聞こえてきた。
「それで?聞かせて貰おうかしら」
教卓に立つ結夏がまた優に向かい睨みをきかせた。春のうららかな陽気は一変し凍り付いたように、その教室を冷たさで覆った。太陽は雲に隠れ、健やかに芽吹いていた草花が急に心細く揺れ出す。
この学園に同じ中学出身の生徒は一人もいないことを優は入念に調べ上げた。だからこの学園には自分を知る者は誰一人いないと確信していた。けれど、その確信は目の前の古き友人により打ち砕かれた。
「男のアンタが女の格好をしている真っ当な理由を!!」