1話 それ、拉致って言うんですよ
東北の田舎から東京まで約8時間。電車を4回乗り継いだ。長い長い旅を経て、ようやく玲は秋葉原駅に降り立った。
黒髪黒目に中性的な顔立ち。身体は非常に華奢で初対面の相手からは女性と間違われることが多い。白シャツの上にベージュのジャケット、黒のジーパンで精一杯のお洒落をしてきた男子中学生、それが如月玲だ。
ショルダーバッグからスマホを取り出し、現在地を確認すると、
「あとは地図アプリに従っていけば……よし!」
玲はスマホを握りしめ、小走りで目的に向かった。
田舎生まれ、田舎育ちの玲にとって東京は魔境に等しい。本当は一人で東京へ行きたくはなかったのだが、どうしても一人で行かなければならない理由があった。
「あと少し……もうすぐで魔法少女キラキラ☆イヴのコラボカフェに行ける……!!」
一歩踏み出す度に気分が高まっていく。魔法少女キラキラ☆イヴは玲が今一番ハマっているTVアニメである。本来は幼児向けアニメなのだが、大人からの人気も高い。
しかし玲の周りで話題にする人間はおらず、家族にも話していない。そのため玲は一人で東京に行くしかなかったのだ。
数分歩くと、キャラクターの等身大パネルが店の前に飾られていた。小さなビルの一階がカフェになっているようで、窓の外からも飾り付けられた店内が見える。事前予約を勝ち取り、数ヶ月間お小遣いを貯め、慣れない東京の地理に悪戦苦闘した甲斐があったと、玲は強く思った。
膨らむ期待と共に店の中には一歩足を踏み入れた瞬間、
「えい☆」
――ドカッ。
突然背後から可愛らしい掛け声。同時に頭に強い衝撃が走った。足の力が急激に抜けていき、身体が前に倒れていく。
意識が遠のいていく中、背一杯の力で振り返ると、
「……え?」
おもちゃのように巨大なハンマーを持った少女が立っていた。
そこで玲の意識は途絶した。
※※※
「あれ……?」
気がつくと玲は不思議な空間に横たわっていた。ゆっくりと上半身を起こして周囲を見回すと、四方を囲む繊細な装飾が成された円形とよく磨かれた大理石の床が目に入った。
「俺は確か殴られて…それで…痛っ」
「あ、ごめんね。ちょっと強く殴りすぎちゃったかな」
突然、鈴のような美しい声がした。声の方向に目を向けると一人の少女が立っていた。淡い紫の長い髪、海のように深い蒼い瞳、人形のように整えられた美しい顔立ち。透き通るような白い装束から滑らかな肌がうっすらと見えている。
何より目を引いたのが頭の上に浮く光輪だ。人間離れした容姿に玲の目は釘付けになった。
「君は……?」
恐る恐る少女に問いかける。少女は玲の顔の近くにしゃがむと、
「おめでとう!今日から君は英雄だよ!」
「へ?」
「ヘベは神様だから、君を異世界転生させてあげる!これからとヘベと君の英雄譚が始まるんだよ!楽しみだね!」
「へ?え?」
戸惑う玲をよそに少女――ヘベはニッコリと微笑む。
楽しそうなヘベに対して玲の頭は疑問符で一杯だった。神様、異世界、転生、英雄譚。突然出てきたファンタジー単語に理解が追いつかない。
「もしかして俺を殴ったのって――」
「うん、私だよ。ゆっくりお話したかったから」
そう言うとヘベは何もない空間から巨大なハンマーを出した。ビクリと背中が大きく震える。間違いない、玲の頭を殴ったハンマーだ。
「ゆっくりお話って、ただの拉致じゃないか!神様がこんなことしていいのかよ!」
「拉致じゃないわ。ただあなたの魂を引っこ抜いてきただけよ。あ、肉体はまだ死んでないから安心してね」
「できるかあ!!」
簡単にまとめると目の前の不思議な少女は神様で、玲を異世界転生させるために殴って魂を拉致したらしい。
異世界転生、それは玲もよく知っている。ラノベの定番であり、今人気のジャンルでもある。死んでしまった主人公が特別な力を貰って転生し、活躍するというものだ。
ヘベは玲に顔を近づけ、まくしたてるように話を続ける。
「ねえねえ、異世界転生してみない?ハーレム?無敵?精神操作?どんな力が欲しい?」
「いきなり異世界転生とか言われても意味わかんない――って、魔法少女キラキラ☆イヴのコラボカフェは!?まだ行ってない!早く戻してくれ!!このままだとキャンセルになるから!!!」
「コラボカフェ?なにそれ、転生よりも大事なの?」
「大事に決まってるだろ!このために数ヶ月お小遣いためてたんだから!頼む!!」
突然の出来事のせいで頭から抜けていたが、玲はコラボカフェに行くためにここまで来たのだ。女神に拉致されて異世界転生なんてやってる場合ではない。玲は「お願いします!」と何度も頭を下げて嘆願した。
鬼気迫る玲の様子に、ヘベは少し不満そうな表情だったが、
「仕方ないなあ。じゃあやるべきことが終わってから転生させてあげる」
「いや異世界転生はしないって……え?な、何してるんですか神様…?」
「ハンマーで殴って魂を肉体に戻すんだよ?それじゃあ――」
ヘベはハンマー持ち上げ、上半身を捻ねる。そして勢いよくハンマーを振り、
「とりゃあ!」
「ぎゃあああああああああ!!」
ハンマーが身体に当たった瞬間、玲の身体はホームランボールのように高く飛んでいった。
あまりの軽さに、本当に今の自分は魂だったのだと思い知った。そんなことを考えていると、いつの間にか意識は遠退いていた。
※※※
「お客様!お客様!」
「はっ……!」
目を覚ますと、玲は自動ドアのマットの上に倒れていた。ゆっくりと身体を起こし、ペタペタと手で触る。
「どこも痛くない…さっきのは夢だったのか…?」
「あのお客様、大丈夫ですか?急に倒れてしまったのですが…」
「え?」
気がつくと客や店員が玲を取りこんでいた。中には珍獣でも見たかのように、スマホで写真を取っている者もいる。玲は慌てて立ち上がると、
「予約してた如月です…あはは」
周りの怪訝そうな視線を浴びながら、愛想笑いを浮かべた。