北川次郎
目が覚めた。激しい動悸。
ここはどこだ。
見慣れない天井。木の香り漂う温かな空間。
海がない。この世界はどっちだ。
あなた、と呼び止める声に我にかえる。そうだ、俺は帰ってきたんだ。
最近になって奇妙な悪夢を何度も見る。渦巻く怨嗟と濃厚な血の臭い。昼間がないかのような暗い日々と戦友のリュドミラ。
記憶が混濁する。あれは夢ではなかったのか。
結婚して2人の子供に恵まれ、平凡だが幸せな毎日。仕事の都合で長期で家を空けることも多かったが、おっとりしたお嬢さんだと思っていた妻が頑張ってくれていた。
一週間の休暇を終えて、行ってくる、と背を向けて。気づけば荒涼とした暗い世界にいた。ネクタイが風に揺れる。
なんだこれは。まさか白昼夢か?
今風に言えば異世界転移というやつで。ただ今ほどゲームや映画などで慣れ親しんでいなかった時代だったし、俺はなかなかその事実を受け止められなかった。馬鹿みたいに大きな生き物が現れ、その羽ばたきの巻き起こす豪風に飛ばされないよう必死に瓦礫にしがみつきながら、あぁ俺はここでこいつに喰われて死ぬんだなと思った。それがリュドミラだった。
詳細は割愛するが、竜のリュドミラは俺の力を借りて戦乱を終わらせたいと言い、俺は自分の命の保証と元の世界に返してもらうことを条件に承知した。所詮ただの船乗り。自分にできることなど何もないと言ったが、俺の目を貸してくれればそれで十分という。
船から竜に乗り換えても慣れていたのか酔いはしなかった。その分平和な世界では見ることのなかったものを沢山見た。泣いて吐いて、リュドミラを恨んだ。
最終的に無事目的のものを取り戻し。まだ戦乱は治まっていなかったが、リュドミラは俺を元の世界に戻してくれた。お礼だとたまごをひとつ、渡されて。
これは私のたまごなの。夫はとうに戦死した。ずっと守っていたけれど、この子が還ることはない。いつかあなたに必要になるから。
あなたは元の世界に戻ったら、ここでのことは忘れるはず。元の世界、元の時間にちゃんと帰すから。でも私は忘れない。ありがとう本当に。
40年前のその日、なぜか大きなたまごのぬいぐるみを抱えて俺は道端に突っ立っていた。これから出航なのになんだこの荷物は、とも思わずに荷物を預け、数ヶ月後帰宅したときに子供達に土産として渡した。
思い出した。全て思い出した。なぜか枕元にそれがある。
おかしいな。渡されたときは拳大の硬いたまごだったのに。なんでこんなビーズクッションみたいになったんだ?
竜のたまごを抱えて眠る。これが俺に必要な理由をまだ俺は知らない。