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北川りつ子

「海がない」

真夜中に寝室から飛び出して狼狽えるあなた。

あなた、もう船は降りたのよ。

今は私と2人、約束したでしょう?

なのにどうして。扉の向こうに海を探すの。

どうしてあなたの心はここにないの。


夫は長らくタンカーに乗っていた。数ヶ月ぶりに帰ってきても仕事のことなど何も話さない。子育ても1人でやったようなもの。たぶん今のご時世なら虐待って通報されるくらい、毎日怒って泣いて。子供達がたまにしか会わない父親に懐くのも悔しくて。

今となってはわかってる。子供達はいい遊び相手と思っていただけ。仕事に戻るときに玄関先でまた来てね!と手を振られたあなたのショック!みたいな顔。それ見て少しスッキリしたのは内緒だけど。

それでも大きなたまごのぬいぐるみを抱えて帰ってくるあなた。どこに置くのよこれ。

通知表を見て、落ち着きないのは俺に似たのかと落ち込むあなた。まぁ元気なのはいいことじゃない。

3人目を流産したときはしばらく船に戻らずにそばにいてくれた。だからずっと、あなたの妻であることをやめなかった。


子供達が大きくなって、私は仕事を始めた。楽しくなって、夫が定年を迎えても子供達が独立したのをいいことにあちこち出歩かせてもらった。最近になってようやく片付けて、小さな家に引越した。

夫と2人、余生を過ごそうと思って初めて気がつく。2人で過ごす時間自体が初めてなことに。


あなた、こんなにせっかちな人だったのね。朝のコーヒーくらいゆっくり飲みなさいよ。何も予定はないんだから。私だってゆっくりしたいの。


この箱に何が入っていると思う?子供達の小学校時代の作文。捨てるわけないじゃない。古い藁半紙だから千切れないように慎重にめくってね。平仮名だらけで読みにくいけど、丁寧な字を書いていると思わない?ぼくのなやみはお金がないことです。まぁ、小学2年で何をふざけたことを。でも男の子ってこんなものよね。


そうして2人の時間を取り戻そうとしているの。あなた、いまさらどこに行くのよ。あなたの帰る場所は私だって、プロポーズのとき言ってくれたじゃない。


心が還るその場所は一体誰が決めるというの。

あなたにも決められないその場所が、私になるように。

諦めないから。それが妻の務めでしょ。

本当は薄汚れたたまごのぬいぐるみ、まだあるの。

まだ時間はある。私が勝つんだから。


海にあなたは渡さない。

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