あなたが読むべき二冊の本
久々のエッセイ。
まぁ、なんとなく。
偉そうなタイトルに見えますが、決して強要する訳ではないし、もうすでに読まれている人は多くいると思われます。
また、私より深い理解を得ている人の方が多くいるであろうと思っています。
ただ、まだそれらを少しも読んだことが無いのであるならば、読んでおいた方が良いと思われるので、おせっかいを兼ねた紹介になります。
では紹介させて頂きます。
それは……
一つは「古事記」、一つは「(旧約)聖書」です。
この二冊です。
ただ、気をつけて貰いたいのは、宗教の教えというものとしてではなく、あくまでも「物語」として読んで欲しいのです。
そのどちらも神話と言えるものでありますが、現代人は宗教だから、あるいは宗教色が強いという理由で、まったく手をつけない人が少なからずいます。
あなたがもし、その様な人たちの内に入っているのならば、私は思うんですよ「勿体無い」と。
確かに神話と言われるものには、現実にはあり得ない様な記述があり、そこを忌避する人がいるのも理解できます。
それ以上に、宗教にまつわる歴史から「関わりたく無い」という想いがあるのも理解できます。
ですが、有名な十戒のモーゼの海が割れる記述は、現代技術のシミュレーションで、潮の干満と強風などの天候状態によっては、当時として実際に起こり得た、という研究結果もあったりします。
また、イエスの「水をワインに変えた」とは、庶民がそれまでに飲むことが許されなかったワインの飲食を、イエスの出現によって飲むことが許される様になった事を暗に示した記述ともされています。
このように「奇跡」とされるような突拍子もない記述は、誇張されているとは言え、実際に起こった事である可能性があり、「暗に示した文章」として書かれたものであるということも充分あり得ます。
読み手の解釈によっては、大きく変わるでしょう。
この解釈こそが、宗教戦争の根源と思う部分でもあると思えるのですが……
ですが、当初の、その当時の偉大な神や人物を後世に伝えるために、物語として残しておく事は、現代でも理解できると思います。
いつ、どこどこで、何々という人物が、どうした。
そのような単なる連絡のために書かれたような文章では、面白みがなく後世に伝わる事は難しいでしょう。
(私は新約聖書は諦めました……)
なので私は、「古事記」も「(旧約)聖書」も、「神話」という「読ませるための物語」になっていると思えるのです。
日本の神話であるイザナギとイザナミの物語も、男性と女性の身体の違いから、互いの愛憎を含めてこの世の成り立ちを「物語」として教えてくれます。
それに私は「神話」は、最初の「異世界物語」でもあるとも思うんです。
文字もまだ無かったような時代から受け継がれた「物語」。
事実と空想が入り混じって出来上がった。別の世界のようで、共通の大事な真理は現実と変わらない。それを暗に隠され示されている「物語」。
私たちの書いて読む「物語」は「神話」が始まりであり、基本のように思えます。
このような理由から、「古事記」と「(旧約)聖書」は一度はお読みになってはいかがでしょうか? と思う次第でございます。
人間は物語の存在であると想っている。