0.プロローグ
これはもう、燃え尽き症候群とか後遺症とか、そういう類のものだと思っている。
そうでも思っていないと心を保てないからだ。
俺はよれよれのスウェットにパンくずをこぼしながら、ぼさぼさの頭をもたげた。窓の外は鬱屈にいざなう青空が広がっており、バイト先のことが頭をよぎり大きなため息が漏れた。
先日入ってきた高校生の新人アルバイトくん。彼は先日、第一志望の高校に見事入学したらしく、この春から始まる新生活に心躍らせ、まずその一歩目として俺の勤めるスーパーでアルバイトデビューを果たした。
今日はその新人くんとシフトがかぶっているどころか、教育係として研修につかなければならなかった。
正直、気が重い。面倒くさいわけではない。ただ、あの目が苦手だった。
正しい努力と忍耐の結実によって丁寧に裏打ちされた順風満帆な人生を楽しんでいる、そして華々しいエースピッチャーしかのぼれない美しく整備されたマウンドで新たな挑戦に武者震いしているような、希望以外目に入っていないぞというあの目が。
俺は、世界を救ったことがある。
なにも、未来ある若者を妬んで突拍子もないスカタンを食わせようというわけではない。
俺は5年前、確かに世界を救った救世主だった。
この世界はミルフィーユのように複数のレイヤーで分けられている。
それぞれで文明が発展しているが、どこか一つの世界が崩れればほかの世界もやがて崩壊していく。
玄妙なバランスで存在していた世界に綻びが生じ、その修復役に選ばれたのが、ほかでもない俺だったのだ。
それなのに。
「なんで、こんななっちゃったかなぁ」
巻き込まれた形だったが、コミックのような異世界での冒険に苦楽をともにした仲間、そして心の臓から震えた命がけの戦い。
それはもう、充実していた。たとえこの身が滅んでも世界を守るという使命感さえ芽生えた。俺は主人公なんだという実感が、大義を全うするまでに己を奮い立たせていた。
だが、当時17歳だった俺に、世界を救ったという大義は重すぎた。
脅威を取り除き、平和になったこの世界で、俺はなにをしたらいいんだろう?
誰も俺の活躍を知らない世界で、部活も勉強も同級生との交流もすべて捨てていた俺は、何を拾っていけばいいのだろう。
一度はまってしまったドツボから抜け出すのは難しい。
高校は卒業できたものの、ほぼ抜け殻だった俺はまともな就職もできずにアルバイトで食い繋いでいる。事情を知らない親からは若者らしかぬ無気力ぶりを呆れられ、一人暮らしで根性を叩き直せと家も追い出された。
一時期はカウンセリングを利用していたが、親にも言えない、言っても信じてもらえないであろう事情を説明できずにやめた。もし素直にすべてを話していたら、今ごろ俺は精神病棟にでも入院させられていただろう。
この世界との歯車がずれ、無理やり回して変な音がするたびに、あの輝かしい冒険にけちがついていく気がした。誇りが傷つく、という表現が正しいように思える。
だから俺は歯車を無理やり合わせるのはやめた。親に理解されないのはつらいが、それより命を懸けて手にした誇りが傷つくほうが嫌だった。
それなのに、新人アルバイトくんといったら、希望に満ち溢れた目を見境なく振り撒きやがる。それで傷つく人がいるんですよ、と言われても、じゃあ一緒に踊りましょうよととんちき抜かして手を取ってくるタイプだ。
「まさに主人公だな。俺よりよっぽど主人公だ」
胃が痛くなってきた。
ぐずぐずしていたせいでカサついたパンを一気に含み、胃薬と一緒に牛乳で流し込んだ。
ぼさぼさ頭を店長に怒られない程度に直し、適当なシャツを着て家を出た。
出がけに覗いた郵便受けの国保やら税金やらの徴収はがきのせいで重くなった足取りで、俺は垂頭喪気にバイトへと向かった。