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雪女の指輪と姫の願い

作者: 宇多瀬与力



 むかしむかし、この国が雪に包まれる前のことです。

 その頃は、夏もあり、大地は青々とした木々が茂っていました。


 森には、ゾージンというとても偉い魔法使いが住んでいて、悪い魔物から国を守っていました。

 彼には一人の弟子もいました。弟子の名前は雪女といい、氷を使った魔法が得意だったからそう呼ばれるようになったのですが、ゾージンの弟子になって他の魔法も学んでいました。


 ゾージンには宝物がありました。それは、彼のお師匠様から貰った願いが一つだけ叶うといわれている魔法の指輪です。雪女は、それがとても羨ましく、いつか手に入れたいと思っていました。

 彼はそんな雪女の心を知っていましたし、いつか雪女が一人前の魔女になったら譲ろうと考えていました。


 しかしやがてゾージンは、彼女が魔法を学ぶ目的が悪い魔物から力のない人々を守る為ではなく、自分の為だけに使うつもりであったことに気がつきました。これでは彼女に自分の役割と指輪を譲るわけにはいきませんし、魔法を教えるわけにもいきません。

 ゾージンがそう考えていたことを雪女も気がつきました。

 このままでは、指輪も手に入れられません。雪女は指輪を盗むことにしました。

 しかし、指輪を盗もうとしたところをゾージンに見つかってしまいました。ゾージンは雪女を叱り、弟子をやめて出ていくようにと言いました。

 雪女は、悔しさと指輪が欲しいという気持ちに負けて、ゾージンを殺してしまいました。雪女はゾージンの目を盗んで、ずっと他人を苦しめたり、命を奪ったりする呪いの魔法を勉強していたのです。それはあまりに強力で、偉大な魔法使いであったゾージンでもそれを防ぐことができなかったのです。


 ゾージンは死んでしまい、雪女は指輪を奪って姿を消してしまいました。


 それ以降、この国は春も、夏も、秋もなくなり、一年中雪が降る冬の国になりました。





『雪女の指輪と姫の願い』





「はあ」


 雪の積もった広場に立つわたしは、冷たく凍える自分の手に息を吐きかけた。白く浮んだ息はわたしの両手の中で消える。

 うん、まだ大丈夫。

 わたしは一人頷くと、目の前に佇むゾージン様の石像を見上げた。石像は国に伝わる昔話に出てくる彼を偲んで、城の近くにある広場に大昔に作られたもの。その顔はくしゃりと笑っている穏やかなおじいさんといった印象で、わたしは幼い頃から大好きだ。


「ゾージン様、お父様のご容態は今日もよくありません。毎日少しずつ弱っている様です。………どうか、お父様をお助けください」


 わたしは石像に積もった雪を払い落としながら、願いを口にした。

 弟子に裏切られて命を落としたと伝わる彼の像に願い事を叶える力があるといわれるようになったのが、果たしていつからなのか、わたしは知らない。

 でも、今のわたしにすがれるのは、この像くらいなのだ。

 半年前から城では不吉なことが続いている。

 発端は確かお義兄様のペント王子が馬車の事故にあった事から始まる。大変な事故だったそうで、彼は今も杖なしでは上手く歩けない怪我を片足に負い、長年専属で身辺警護をしていた兵士が一人亡くなっている。

 それから間もなくして、国王であるお父様が原因不明の病で臥せってしまった。


「ホリー様、……姫様。今日はもうお城へ戻りましょう。このままでは姫様までお体を崩されます」


 広場の隅で待機していた黒いフード付コートを着ていた女性が痺れを切らして、わたしのところへ歩み寄ると言った。

 彼女は現在わたしの従者をしているユーナ。

 ちなみに、姫というのはあだ名ではなく、国王の娘を指す意味。一応、わたしはお姫様なのだ。


「待って、このままだとゾージン様がまた寒い思いをされてしまうわ」


 わたしは像を見上げて言った。今は雪がやんでいるが、しばらくすればまた降り出すはずだ。


「姫様……」


 わたしの耳元でユーナが声を低くさせて囁いた。思わずわたしは背筋が強張る。

 こういう時のユーナは恐い。


「私はペント様から姫様のお世話を任されています。もし、お風邪をひいてペント様を悲しませる様なことがあったら……」


 わたしはゆっくりと背後に立つ彼女の目をみた。やっぱり目が座っている!


「わ、わかったわ。……あ、そうだ!」


 わたしは慌てて首に巻いていた紺色のマフラーを外す。首に冷たい空気が直接触れて、思わず体が震えた。


「姫様!」


 咎めるユーナを今は無視し、手を伸ばして像の首にマフラーを巻いた。


「これで少しは暖かいでしょう?」


 わたしは顔を綻ばせて言うと、魔物の様な形相で睨むユーナに笑顔を向けると、その首に巻くマフラーの端を自分の首に巻いた。


「これで寒くはないわ」

「姫様ぁ」


 ユーナの顔が、天使の微笑みに変わる。こういう笑顔をすると、ユーナがとても美人なのがよくわかる。


「さ、お城へ戻りましょう」


 緩みきった笑顔でユーナはわたしを城へと連れて行く。

 これで今日の外出は終わりだ。わたしはこれでも姫であり、外出は一日一回しか許されていない。


「また明日も来ます」


 わたしは振り向くと、石像に一言告げた。







 城へ戻った時には雪がちらつき始めていた。


「ホリー! 帰りが遅いから心配したよ!」


 城のエントランスに入ったわたしを迎えたのは、涙を浮かべて両手を広げたペントお義兄様の姿であった。

 彼の大げさな声で、その周囲にいた人々の視線が一斉に集まる。といっても、大部分は毎日繰り広げられているこの光景に別段驚いた様子はない。

 彼の隣に立つ新しい身辺警護兵の青年も苦笑いを浮かべている。

 むしろ、お昼の時間だと気がつき、食堂へ向かう姿が見られる。わたしもこの声を聞くとお腹が減りだす。慣れとは恐ろしいものだ。

 わたしが暢気なことを考えている一方で、お義兄様の口はとても忙しく動いている。とても色々なことを語っているが、要約するとわたしが心配だったという一言で片付く。


「……僕だけでなく、父上までも心配をかけてしまうよ」


 最後に言った言葉だけはわたしの心に突き刺さった。思わず俯いて反省するフリをしていたわたしは顔を上げる。

 丁度お義兄様が肩を落としたところだった。彼の黒く綺麗な前髪が揺れる。

 彼は美しく整った顔と細い肢体をしており、その動きは一つ一つが絵になる。

 黙っていれば、という条件がついてしまうのがとても残念だけど。

 ちらりと、わたしは隣に立つユーナの顔を見た。うっとりとした目で彼を見つめている。

 わたしは心の中で溜め息をついた。







 お義兄様から解放されたわたしは、昼食の前にお父様のいる寝室へ向かう。

 途中、水差しの水を交換する為に給湯室へ足を運んだ。


「その様なお手間は私が致します」


 ユーナが共に歩きながら主張してきたが、こういう事は自分でやるのが大切なのだ。

 それを告げると彼女は食い下がってきた。


「それでは私が何の為にペント様からホリー様のお世話をお願いされているのかわかりません!」


 確かに彼女の主張も間違っていない。

 彼女は元々お義兄様のメイドだ。しかし、その彼が何よりも大切に思っているわたしの世話をする事が、彼女にとっての最大の奉仕だと考えているらしい。

 でもね、もう少しその気持ちを素直にお義兄様へ向ければ、わたしも嬉しいんだけど。と思うが、これは口に出来ない。

 何せ、彼女は影でとても苦労している人だ。本当はお義兄様を愛しているのに、身分の差がそれを許さない。それで、彼の言いつけを忠実に行っているのだ。

 例えば、わたしの従者達からこの仕事を手に入れるにも相当な苦労をしたと噂で聞いている。

 もっとも、その内容は尊敬できる内容でないけれど。


「とにかく、今日のところはいいでしょ? お願い」

「……はい」


 ユーナは少し目を伏せて頷いた。その際にコートの隙間から首にかけられたネックレスがちらりと見えた。

 見覚えのないものだ。

 わたしは好奇心からそれについて聞こうとしたが、彼女はその前に落ち込んだ様子でその場を後にしてしまった。


「ま、いっか」







「おぉ、ホリーか」


 扉をノックして、水差しを持ったわたしが寝室に入ってきたことに気づいたお父様は、痩せた体の半身を起こして笑顔で迎えた。

 目じりに寄る皺は、少し影が帯びており、あまり体調が優れていないのが伺える。


「お父様、無理をなさらないで。横になっていて構いませんから」


 わたしは慌てて彼を寝かせると、布団をかけた。


「いつもすまないな」

「それは言わない約束でしょ」


 わたしは笑うと、テーブルの上に置かれた水差しを用意してきた新しいものと交換する。


「今日も石像のところへ行ってきたのかい?」

「はい。ゾージン様なら、きっとお父様のお体も治して下さります」

「わしはお前の方が心配だ。石像と城の距離が近いとはいえ、世の中には悪い考えを持った者もいる」

「人攫いになんて遭わないわよ」


 彼の言葉に返しながら、コップに水を注ぎ、テーブルに用意してある薬と一緒に渡す。

 再び半身を起こした彼はそれを飲むと苦い顔をした。


「相変わらず不味いな」

「よいお薬に美味しいものなんてありませんよ」

「だが、ちっとも良くならない。霊薬が聞いてあきれる」

「だからと言って、飲まないと更に悪くなってしまいます」

「ふむ」


 お父様は空になったコップをわたしに返すと、体を横にした。


「……そろそろお前も15になる。本格的に王になる為の準備をしなくてはな」


 唐突に彼は切り出した。コップをテーブルに置いたわたしは振り返った。


「そんな必要はありません! お父様はすぐに良くなります」

「わしの体の事を言っているのではない。お前はいずれ王位を継ぐのだ」

「私は……王位に興味があるわけではありません」

「しかし、ずっとわしが王を続ける訳にもいかない。お前よりはわしのが先に逝く。それは事実なのだ。……まだお前はペントに王位を譲りたいと考えているようだが、そうはいかないのだ」

「しかし!」

「ペントは確かに私の子どもだ。だが、それと王位は別だ。わしと正妻の間に生まれたお前が王位を継ぐことで、国の平和が守られるというのもあるのだ。ペントが悪いのではない。ペントが王位を継ぐことを利用して、自分の利益だけを考えている者もこの城の中には少なからずいる。そうすれば、お前を守ると心に誓っている者達との間で争いが起こる。それで幸せになれる者がいると思うか?」

「それは………」


 わたしは何も言い返せなかった。お父様の考えていることはよくわかる。

 わたしは王位第一継承者で、お義兄様は第二継承者。この事実は揺らがない。

 それにわたしは一日一回でも外出する自由があるけど、お義兄様は事故以来一歩も外へ出ていない。

 わたし一人でこの運命を変える事などできない。それは遥か前からわかっている。

 でも、わたしはみんなが幸せになれる未来にする方法があると信じているのだ。


「お父様、今はお体を治すことだけに専念して下さい。……また、昼食後のお薬の時間に伺います」


 わたしはそれだけ言い残して寝室を後にした。




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 昼食を終え、わたしは再びお父様の寝室に向かった。


「あら?」


 扉が半開きになり、光が薄暗い廊下に漏れていた。誰かいるのだろうか?


「お父様?」


 扉を開き、わたしはゆっくりと部屋の中に入る。

 寝室にはお父様以外に、全身に白い衣を羽織った者がいた。その人物はお父様の寝台に身を屈めていた。


「あなたは?」


 怪訝に思って近づくわたし。

 白い衣の人物は慌てて寝台から離れた。

 同時に、金属の鎖が切れた音と絨毯に何かが落ちる音が聞こえた。


「ん?」


 音が気になったわたしが視線を寝台の下に向けたその隙に、白い衣の人物は扉に向かって走り、そのまま廊下へ出て行ってしまった。

 寝台の下に落ちていたのは、球状の赤い宝石が一つ付いた指輪であった。

 それを拾い上げて首をかしげながら、わたしはお父様に話しかけた。


「お父様、今の方はどなたですか? ……お父様?」


 お父様の返事がないことに気がついたわたしは彼を見た。

 すぐに、異変に気がつき、肩を揺すった。


「お父様!」


 お父様は死んでいた。


「どうした、大きな声を上げて?」


 そこへ杖を突いてやってきたのは、杖をついたお兄様であった。その後から警護兵の青年も部屋に入ってきた。

 わたしは思わず寝台から離れた。彼らは眉を寄せて近づき、お父様の様子を伺う。


「……亡くなられています!」


 驚いた顔で兵がお義兄様に告げた。

 彼は慌てた様子で、壁際に立つわたしを見た。


「まさか、ホリー。君が?」

「違います! お義兄様、私じゃない!」


 しかし、お義兄様はともかく、わたしに近づく兵の顔には、王を殺したのはお前だ! と書かれているのがはっきりと見て取れる。


「姫様、調べればすぐにでもわかることです。まずは落ち着きましょう!」


 そういう彼が全く落ち着いている様子はない。目が血走り、今にも腰にある剣を抜いて切りかかってきそうだ。


「私じゃない!」


 恐ろしくなったわたしは思わず廊下に逃げ出した。


「待てぇー!」


 わたしの後ろから兵の叫び声が追ってきた。途中から他の兵士達の声も加わる。

 わたしは、ひたすら城の中を逃げた。







 しばらく逃げ回ったわたしは何とか兵士達を撒き、庭にまで出ることができた。

 外は雪が降り、コートを着ていなわたしは思わず身を震わせた。

 吐く息が白く浮かぶのを見て、冷静な思考が回り始め、後悔が洪水の様に押し寄せてくる。


「なんで逃げたのよ!」


 これでは状況だけで自分が犯人だと主張しているようなものだ。

 わたしは、凍える手に握る指輪を確認した。見たことのないものだった。

 犯人の白い衣の人物は、顔は愚か、男か女かもわからない。

 唯一の手がかりはこの指輪だけだが、文字が刻まれているわけでもなく、さっぱり持ち主のことはわからない。


「ホリー」


 その時、物陰から囁く様な声で名前を呼ばれた。

 わたしは驚きのあまり肩を跳ねられて、声の方を見た。


「こっちだ」

「お義兄様!」


 お義兄様が手招きしていた。こっちにこいという意味らしい。

 一瞬、躊躇したが、捕まえるつもりならばそんなことをしないと気がつき、すぐに彼の元へと向かった。


「城門から出るのは無理だ。裏門から人を離した。今すぐ逃げるんだ!」

「でも、お父様を殺したのはわたしじゃないわ。見たのよ! 白い衣を着た人がお父様に何かしているのを」

「わかった。だけど、今は時間を稼ぐしかない」


 早口で言う彼は酷く急いでいる様だ。


「どうしたの?」

「つい先ほど医師が父上の死を調べた。まだ断定は出来ていないが、水差しに毒が盛られていたというんだ。水差しを持っていったのは、ホリーだろ? しっかりと調べれば、お前のしたことではないと明らかになるだろうが、今は兵も城の役人達もお前が犯人だと考えている。今では、何を言っても信じてもらえる様子ではない。僕が何とかお前の無実を信じさせてみるが、今は逃げるんだ! 僕にはそれしか力になれることはない」


 お義兄様の当惑しきった様子から、わたしは既に自分が王殺しの犯人である事実が成立してしまっていることを悟った。


「うん。……わかったわ。でも、お義兄様だけでも信じて下さい。わたしが犯人ではないということを」

「わかっている。……よし、こっちだ」


 お義兄様の誘導で、わたしは城の者に見つかる事無く、裏門に向かう事ができた。


「これ以上は、僕が一緒に行くことはできない。城の者は僕が何とか説得するから、今は身を隠すんだ」


 お義兄様は両目に涙と鼻から鼻水を垂らして言った。辛いのはわかるけど、これでは窮地のわたしを助けてくれたお義兄様のかっこ良さは台無しよ。


「……お義兄様、ありがとう」


 わたしは頷くと、礼を言った。


「それを言うのは無実が晴らされた時だ。その時は是非僕の胸に飛び込んで、『お兄ちゃん、ありがとう。大好き!』と言ってくれ。……さ、行くんだ!」


 わたしは多分そういう感謝の言い方はしないだろうが、ここは素直に頷いた。

 お義兄様に見送られて、わたしは雪の降り積もる城の外へと逃げ出した。







 しばらく森の中を走ったところで、わたしは人影が待っているのに気がついた。

 吹雪始めていた為、相手の姿まではっきりと分からないが人間であるのは間違いない。

 走る足を緩め、ゆっくりとわたしは人影に近づく。人影もわたしに気がついたのか、近づいてくる。


「……あなたは!」


 白い衣の人物だった。今度は顔がはっきりと見えた。死人の様に白いが、とても美しい顔をしている女の人だ。


「指輪を返して貰おう」


 篭ったような声で彼女はわたしに言った。

 指輪を握る手に自然と力が入る。


「お父様を殺したのはあなたね!」

「だとしたら?」

「許せないわ」


 わたしが言うと、彼女の唇がキュッと細く上がった。笑っている。


「でも、残念。その前にあなたもお父上のところへ送ってあげるから!」


 刹那、彼女の目が見開かれた。

 その狂気に包まれた瞳に、わたしの体は蛇に睨まれた蛙の様に動けない。凍える様な寒さにも関わらず、わたしの背中を汗が伝うのがわかった。

 彼女は片手をわたしに翳した。


「さ、死になさい!」


 彼女の目が更に大きく見開かれ、翳していた手から青白い光がわたしに向かって放たれた。

 死ぬ、とわたしはその瞬間に思った。


「え?」


 次の瞬間、わたしは遠ざかる森とそこに立つ白い衣の女性の姿を見下ろしていた。

 冷たい風がわたしの肌を刺す。


「少しの間だから、我慢して」


 わたしの横から声が囁いた。男性特有の低い声だけど、丸みと柔らかさがある何とも安心する声だった。

 そして、わたしは今誰かの腕に抱えられて、空を飛ぶ巨大な鳥の上に乗っていることに気がついた。


「ありがとう」

「何よりも先に礼を言えるとは、素敵なお嬢さんだ」


 わたしが声の主を振り向いて礼を言うと、彼は微笑んだ。

 わたしを抱きかかえているとは思えないほどに細い体をした銀髪の青年だった。いや、青年という表現が正しいのかわからない。

 子どもや老人ではないだけで、その顔からは全く年齢がわからない。顔は整っている。しかし、それが余計に彼の正体をわからなくしている。

 当惑するわたしに彼は、くしゃりと笑顔を向けると、声を高らかに上げた。


「大鷹よ、あの女の追撃が来ない高さまで舞い上がれ!」


 刹那、わたし達を背に乗せた大きな鷹は、凛々しい咆哮を上げて、空高く舞い上がった。

 眼下にある森はあっという間に小さくなり、既に白い衣の女がどこにいるのか、わたしには全くわからなくなっていた。

 しかし、同時に冷たい風が全身を氷の様に冷やす。

 それが何ともいない心地よさとなり、やがてわたしは、彼の腕に抱えられてまま、意識を失った。





+++++++++++++++++++





 ユーナはペントの用意した部屋で一人、ソファーに座って、ホリーの無事を祈っていた。その手にはネックレスが握られている。

 そこに扉をノックする音が響いた。

 彼女はハッとして顔を上げると、扉を開いたペントがいた。

 彼は護衛兵の青年に廊下で待機する様に伝えると扉を閉めた。


「ペント様!」


 駆け寄ってきたユーナに彼は首を振った。彼女の表情が曇る。


「そうですか」


 彼は、ホリーを逃がしてからずっとホリーを王殺しの疑いで捜索するのをやめるように説得していたのだ。

 ペントは口を開いた。


「状況は更に悪くなった」

「どういうことですか?」

「二つある。一つはホリーの持ってきた水差しに入っていた毒だが、コップからは確認されなかったらしい。また、王の体からも毒の痕跡はなかったそうだ」

「では、それで王様を殺したのかはわからないのですね?」


 ユーナの顔がぱっと明るくなる。しかし、彼の表情は変わらない。


「その毒だが、体内に入るとその痕跡が残らない霊薬の一種らしい。ホリーがその様なものをどうやって手に入れたのか、それについて追求されると役人達は返答に困ったが、結局部屋にあったコップを使っていないという事しか、明らかになった事はない」

「二つ目は?」

「ホリーは白い衣を纏った者を見たと言っていたが、数人の兵がそれを目撃していた」

「では!」

「それが寧ろ悪い方へ向かわせた。庭で僕がホリーを見つけた場所のすぐ近くに、その白い衣が脱ぎ捨てられていた。しかも、ホリーと思しき茶色の毛髪が付いていたらしい。正直、庇うのにも限界がある」


 ペントは悔しげに言った。既にその顔は涙と鼻水で完全に崩れている。

 そして、杖を床に倒すと、部屋に置かれたソファーに腰を落としてうな垂れた。


「でも、反対に分かった事もありますわ」

「なんだい?」

「その白衣の者が意図的に姫様を陥れようとしているという事です」


 ユーナの言葉に、彼は頷いた。しかし、やはり表情は暗い。


「うん。しかし、全てはホリーの自作自演であるという可能性も高くなった。もう、僕にはどうしようもない。もう、僕にはホリー助けられないんだぁ!」


 頭を抱えて泣きべそをかくペントの隣にユーナは座ると、その背中を優しく撫でた。


「大丈夫です。私はホリー様を信じています。ペント様を孤独になんてしませんよ」


 次の瞬間、ペントは彼女を抱きしめた。


「ペント様!」

「ユーナ……、しばらくこのままでいてくれ」

「はい………」


 一瞬驚いたユーナであったが、小さく頷くと、その手を彼の背中に回した。




+++++++++++++++++++




 わたしは暖炉の組み木が崩れたパチンという音で目を覚ました。

 氷の様に冷えていた体は、元の温かさになっており、その身を包むのは暖かい毛布だった。

 視界がはっきりとしてきて、周囲がどこかの家であることが理解できた。


「起きたかい?」


 どこからか声が聞こえた。あの丸みを帯びた柔らかい青年の声だ。

 首を回すと、暖炉を背にして安楽椅子に座っている銀髪の青年が、指輪を片手に分厚い書物を膝に乗せて、こちらを優しい眼差しで眺めていた。


「助けて頂いてありがとうございます」


 わたしが言うと、彼は顔をくしゃりと歪めた。どこか懐かしさのある笑顔だ。


「礼ならさっき聞いたよ。……君が寝ている間に預かっていた。どうぞ」


 青年は本を閉じて安楽椅子から立ち上がり、肩から羽織っている紺色のマントを払うと、わたしに指輪を返した。


「あなたは一体?」

「私は魔法使いのジゾー。ここは私の家で、場所は君を助けたところから山を幾つか越えたところにある。あの女も追っては来れない」


 ジゾーの言葉で、お父様の死も白い衣の女のことも全て現実であったことを思い出した。

 同時にわたしの中で何かが切れた。悲しみと恐ろしさが入り混じった思いが、洪水の様に全身を襲い、わたしは恥ずかしげもなく声を上げて泣き出してしまった。


「辛い思いをしたんだね。……今はまず泣くことだよ。泣いて、心を静めるんだ」


 わたしは優しく肩に手を添えて言ったジゾーの言葉に、泣きじゃくりながら頷いた。







「なるほど」


 ひとしきり泣き終え、わたしは彼に自分のことや今までのことを話した。

 詰まり詰まりで語ったわたしの話を彼はゆっくりと根気強く聞いてくれた。

 全てを話し終えたジゾーはそれだけ呟き、安楽椅子に揺られていた。


「わたし、どうすればいいの?」

「それは答えるのが難しい質問だ。このまま逃げ続けることもできるだろう。しかし、この国のことや君の幸せを考えると、それは進められない。辛いかと思うが」

「でも、わたしにはあの女の正体もわかりません。なぜお父様を殺したかも」

「いや、あの女の正体はわかっているよ」

「えっ?」


 わたしが驚いて顔を上げると、ジゾーは頷いた。


「この国の昔話は、雪女の話は知っているかな?」

「はい」

「あれはかつてこの国で起こった事実なんだ。そして、その指輪は紛れもなく、その話に出てくる指輪だ」


 彼はわたしが持っている指輪を指して言った。


「これが?」

「うん。願いを一つだけ叶える力を持った魔法の指輪だ。先ほど書物で確認したけど、やはり間違いない」


 それを聞いて、わたしは指輪を見つめた。

 そして、思ったことを聞いてみる。


「これを使えば、お父様を生き返らせることも?」

「可能だ。ただし、この指輪が叶えるのは、その者が本心から望んでいる願い一つだけ。実際に口にした願い事を必ず叶う保証はない」


 それを聞いた瞬間に、わたしは指輪を使うことが恐ろしくなった。

 わたしの本心からの願い。それが、果たしてお父様を生き返らせることなのか、その自信がなかった。


「その指輪の力は一先ず置いておこう。わかっているのは、王様を殺めたのは雪女で、その証拠もある」


 ジゾーは言った。


「でも、それだけでは」

「私は信じても、城の者が信じるとは思えないね。それはわかっているよ。しかし、それを落とした雪女は必ず取り戻そうと考えているはずだ」


 森でわたしに指輪を返せと言った雪女の顔を思い出した。


「はい。そう思います」

「なら、当然一番確実に指輪を手に入れられる機会のある場所に今も潜んでいるはずだ」

「一番確実?」

「逃亡の身であるホリーを当てもなく探すほど、あの女は愚かではない。城でホリーが捕らえられてくるのを待っているはずだ」

「つまり、雪女は今も城に?」


 わたしが聞くと、彼は頷いた。


「それにホリーの話だと、王様の体調は以前から良くなかったと伺える。その原因はわかっているのかい?」

「いいえ。国中の医師が調べていましたが、何一つわかっていませんでした」

「やはりか」


 一人納得した様子のジゾーにわたしは聞く。


「どういうことですか?」

「王様は病ではなかった。それが恐らく答えだよ」

「え?」

「呪いの魔法さ。それも気づかれない様に、毎日少しずつとかけていたと考えられる」

「そんな!」

「それならば、霊薬でも効果は薄い。呪いを解く魔法を用いらなければ、効果はない。少なくとも、雪女が習得している呪いの魔法はそういう代物だ」


 安楽椅子に揺られながら淡々とした口調で語るジゾーであったが、その言葉には不思議と重みがあった。


「それでは、雪女は」

「城の中の人物。それも、王様に近づくことが可能な程に身近な人物に成りすましている。それが私の考えだよ。……ホリー、その人物に心当たりはないかい?」

「そんな人が私の身近に? いる訳が………!」


 その時、不意にわたしの脳裏をユーナが過ぎった。


「いるみたいだね」

「でも、なんでユーナを?」


 わたしは何故ユーナを連想したのかがわからなかった。記憶を辿り、ある一瞬の光景が浮かんだ。


「ネックレス。指輪を落とした時に聞いた鎖が切れる様な音。……ユーナのネックレスは鎖になっていました」

「確かに、そのユーナという人が疑わしい。雪女は姿や声、年齢までも自在に変えられる魔法を知っているから。もっとも、完全に他人に成りすますには、ある程度相手の事を調べる時間を必要とするが、……容姿に惑わされないのが大切だよ」

「そんな……」


 わたしは俯いた。ユーナは信頼を寄せている数少ない人物の一人だ。


「と言っても、私もホリーの話を聞いて、それは信じたくないと思う」


 わたしは顔を上げた。彼は頷く。


「しかし、雪女は平気で嘘をつける。目的の為ならば、時間をどれだけでも費やせる。それが雪女の恐ろしいところだ」


 しかし、彼の口調はまるで雪女が誰に成りすましているのかが既にわかっている様な印象を受けた。


「もしかして、ジゾー様は雪女が誰かがわかっているのはないでしょうか?」


 すると、彼は微笑んだ。


「確かに。君の話はとても詳細に事実を伝えていたからね。でも、今は憶測であって、それを口にする様な無責任な真似を私はできない」

「ジゾー様は雪女の変身を見破ることができないのですか?」

「不可能ではないだろう。しかし、相手を特定せずにそれを行って成功できるほど、雪女の魔法は単純じゃない」


 そして、一度言葉を切ると、彼は真剣な眼差しでわたしを見つめて言った。


「ホリー、君には辛いだろうが、これから城へ戻ってユーナの部屋を調べよう」

「え、でも……」

「今も言ったが、私の力では雪女の正体を明かすことができない。……まずはユーナが雪女である可能性を排除する必要がある。

 それに、雪女が誰に成りすましているのかも、ユーナの部屋を調べれば確信を持てるはずだ」


 彼の真剣な言葉に、わたしは渋々ながら頷いた。

 そんなわたしの気持ちを汲み取ったのか、彼は自信を持った口調で言った。


「大丈夫。君が願う、みんなが幸せになれる未来を私が示してみせるよ。……さぁ、行こう!」


 そして、彼は安楽椅子から立ち上がり、扉の前に立った。

 その姿を見てわたしは、彼に心底頼っていることを自覚した。それと共に、見ず知らずの他人であった彼にそこまで頼ってしまっていることが申し訳なく思えてきた。


「一つお聞きしてよろしいですか?」

「なんだい?」


 彼は首を傾げた。


「何故、ジゾー様はわたしの事にその様に親身になって下さるのですか? 場合によっては捕まってしまう危険もあるのに」

「私がそうしたいからするだけだよ。ホリーだって、覚えの一つもあるだろう? 知らぬ顔をして放ってしまえる事なのに、つい体が動いてしまうという事が」


 ジゾーはくしゃりと歪めた笑顔で言った。

 言われて直ぐにわたしの頭に幾つもの事が浮かんだ。同時にその都度、ユーナに心配された事も。


「……はい」


 少し沈んでしまった気持ちが声に現れていた。

 しかし、直ぐに気を取り直して、わたしは彼に笑顔を向けた。


「どうもありがとうございます!」

「うん。それでいいんだよ」


 そして、わたし達は外で待機していた大鷹の背に乗ると、城へ向かって空高く舞い上がった。







 日没を過ぎて周囲が暗くなった頃、わたし達は城に到着した。

 大鷹は驚くほど静かに城の頂上に着地し、わたし達を下ろした。


「ありがとう。さぁ、君は自由だよ」


 ジゾーが言うと、大鷹は一瞬にしてごく一般的な大きさの鷹に姿を変え、空にとびったった。


「いいの?」

「あぁ。目的を終えた彼を魔法で縛り付ける理由も権利も私にはない。さぁ、行こう」


 彼は少し寂しそうにわたしに言うと、城の中へ入る扉へと向かった。

 扉には鍵がかかっているらしく、開かない。


「下がって」


 彼はわたしを扉から離すと、小さな声で何か囁いた。


「さ、行こう」


 彼は扉を開いてわたしを中へと促した。


「今のは?」

「鍵開けの魔法。魔法で封じられていない鍵だったら、これで開くことができる」


 わたしの疑問に彼は意図もあっさりと答えた。つまり、彼は簡単に怪盗になれるのか。


「もしかして、私が泥棒をするとか考えているのかい?」

「えっ……別に」

「顔に書いてあるよ」


 わたしは慌てて顔を拭いた。その様子を彼は呆れた顔で見ている。

 それに気がついてわたしは取り繕うが、後の祭りだった。


「まぁ、魔法使いが周囲から嫌煙されやすいのも、魔法で大体のことができてしまうからだからね。……だからこそ、魔法は人を不幸にさせる使い方をしてはいけない」


 彼の口調は真剣なものだった。

 階段を降り、わたし達はユーナの部屋の前に立った。

 ジゾーは再び鍵開けの魔法を使い、扉を開く。


「開いた。……これでユーナが雪女である可能性が低くなった」

「え?」

「鍵開けの魔法を防ぐ魔法は、普通の人にはわからない。雪女が彼女だったら、その魔法を扉に施しているはずだ」


 なるほど。的を射た意見だ。

 ユーナの部屋に入ったわたしは、中を見回す。女の子の部屋とはいえ、姫の従者だ。狭い部屋にあるのは寝台と机とクローゼットだけの実に簡素なものだった。

 わたしは机に並べられた本の中から日記を見つけた。


「日記だわ」

「読んでみよう」

「でも……」

「ユーナには悪いけど、仕方がない。これでネックレスについての事がわかれば、手がかりになるのだからね」


 ジゾーはわたしを説得すると、日記を机の上で開いた

 良心が痛むのを我慢して、わたしも日記の内容を覗き込んだ。

 日記には、ユーナの直向きだが、ささやかにお義兄様を思い続ける日々が綴られていた。

 彼を愛しく思い、その思いを素直に向けることが出来ない苦しみが前半には綴られていた。

 そんな彼女が見出した幸せこそ、彼に頼まれたわたしの世話だった。お義兄様はわたしの身に何かあったら、それこそ命すらもいとわないかもしれない。だからこそ、その愛をわたしへの世話によって示そうとしているのが日記から伝わる。

 少しばかり歪んでいる愛だとも感じられるけれど、その日記から伝わる思いはとても純粋で一途なものだ。

 しかし、半年前に起きた事故で状況は一変した。彼女は最愛の人を失う不安と恐怖で限界まで苦しんだ。

 わたしは当時のユーナを思い出す。確かに、あの時の彼女は普通とは呼べない状態だった。心がなく、いつ命を捨ててもおかしくない状態を心配して、わたしは少しの間の暇を与えた。

 その時のことも書かれていた。時間が出来た彼女は、お義兄様の元で付きっ切りの看病をした。


「知らなかった……」


 わたしがお義兄様のところへ見舞いに行った際、一度としてユーナの姿を見たことはなかった。

 しかし、彼女はわたしが見舞いに来たことも書いている。どうやら、立場のこともあり、わたしにも部屋の中で身を潜めていたらしい。

 人目を忍んでの恋とはいえ、少し極端すぎる気もする。

 しかし、寧ろそれが不自由になっていたお義兄様にとっては良かったらしい。

 少しずつだが、確実に彼とユーナはお互いの気持ちを通わせ合い、お互いが依存しあう関係ではあっても、二人は恋人同士になったことが綴られていた。

 また、この頃からお父様の体調が悪くなったこともあり、それを心配する二人の会話やユーナの心情についての内容が増えてくる。

 一方で、二人の愛は確かに深くなっていったらしい。

 そして遂にネックレスについての記載が現れた。

 どうやら、お義兄様がどこかで見つけて気に入ったもので、それをペアで用意してもらい、一つを彼女の誕生日に渡したらしい。


「えっ? ということは、ネックレスを持っていたのは………」

「誰?」


 突如、扉が開かれ、ユーナが部屋に入ってきた。

 そして、灯りを部屋に向けてわたし達に向けた。


「姫様と、そちらは? そこで何を?」

「いや、わたしはその……別に怪しいわけでは……」

「ホリーの言動が一番怪しいよ」


 しどろもどろになるわたしにジゾーは言い、ユーナに近付く。


「大丈夫だ。私はジゾー。決して怪しくはない。とりあえず、腰をかけてお話をしましょう」


 次の瞬間、ユーナの悲鳴が城中に響き渡った。ジゾーだって十分過ぎるほど怪しいじゃない!








 直ぐにユーナの悲鳴を聞きつけた兵士達が部屋になだれ込んできた。


「落ち着いて!」

「そうだよ。まずは武器を下げよう」


 わたし達の言葉は、武器を構える彼らには伝わらなかった。

 わたし達は素直に両手を上げて降伏の意思を示した。

 そこへ護衛兵の青年を連れたお義兄様も現れた。


「何事だね? ……ホリー!」


 お義兄様はわたしの顔を見るなり、両手を広げて声を上げた。

 お義兄様には申し訳ないけれど、武器を突きつけられているわたしはその胸に飛び込むことなどできない。


「君達、武器を下ろしたまえ!」


 その事に気がついた彼は、兵士達に命じた。彼らは武器を下げた。同時に各々の溜め息が部屋に上がる。


「ホリー!」


 お義兄様は改めて両手を広げた。

 今度はわたしが溜め息をついた。


「ペント様ですね? お初にお目にかかります」


 わたしの隣に立つジゾーが両手を広げるお義兄様に挨拶をした。実に優雅だ。


「ん? ……あ、ごほん! ペントだ。して、君は?」


 両手を下ろして彼に挨拶を返す。語尾に敵意を込めているのがわかる。


「私は魔法使いのジゾーと申します。雪女に襲われていたホリー様を助けまして、その行き掛から王様を殺害した犯人を明らかにする為に参りました」


 彼の言葉に一同は目を丸くさせた。


「何? 君には犯人がわかるのかね?」

「はい。既にその犯人の正体が雪女という魔女であることも、その雪女が誰に成りすましているのかもわかっております」


 そして、驚く一同を見回すと、彼は声を高らかに宣言した。


「雪女はこの中にいる!」






+++++++++++++++++++++++++++






 驚く一同を前に、ジゾーはゆっくり語り始めた。


「まずこの事件を整理しましょう。

 事件が起きたのは今日の昼。寝室で白い衣を着た人物が王様を殺害した。その際にホリーが遭遇し、犯人は逃げた。続いて現れたペント様とその警護兵の青年が王様の死を確認した。ホリーは寝室で犯人が落とした指輪を見つけています。それがこれです」


 ジゾーの言葉に合わせて、わたしは指輪を出して見せた。彼は頷く。


「これはこの国の昔話にもなっている魔女、雪女の持つ魔法の指輪です。これが本物であり、即ち犯人が雪女であることは、私が責任を持って断言しましょう。

 今はこの指輪の真偽よりも、事件についてです。ホリーはその指輪を見つけた際に鎖が切れる音を聞いています。今回、私達がユーナさんの部屋にいたのは、彼女がそれらしきネックレスを所有していた為です」


 この場は完全にジゾーの言葉に支配されていた。

 一同の視線がユーナに向けられる。


「私は確かにネックレスを持っていますが、私は犯人では……!」

「なら、見せてください」


 彼が言うと、ユーナは突然態度を変えて、首を振った。


「いいえ! できません! なくしました」


 すると、ジゾーは微笑んだ。


「嘘は結構ですよ。あなたが咄嗟に庇おうとしている方は犯人でありません」


 そして、彼は視線をお義兄様に向けた。


「あなたもネックレスを持っていますね?」

「あぁ」

「隠す必要はありません。事件を解決する為に、出してください」


 彼の目をじっと見つめて、お義兄様は首に手をかけた。服の下から現れたのは、鎖になっているネックレスだ。


「ユーナさん、これで安心しましたね?」

「はい」


 ユーナは頷くと、首にかけられていたネックレスを見せた。


「ありがとうございます。確りと確認すれば、鎖が切れていないのはわかると思いますし、私は指輪が付けられていたネックレスがお二人のものとは考えていません。問題となるのは、ペント様が半年間、城から一歩も出ていない事実です。それでは、ペント様はネックレスをどこで見つけられたのか? ……教えていただけますか?」

「それは、彼が持っていたものを気に入って、同じものを調達してもらったんだ」


 ペントが視線を向けた相手、それは彼の隣に立っていた身辺警護兵の青年であった。

 これにはわたしを含めた全員が驚いた。

 一同の視線が集中した警護兵は当惑した表情で言った。


「ちょっと待って下さい! 確かに、自分はこれと同じネックレスを持っていましたが、まさかそれだけで自分を雪女だというのではないでしょうね?」


 当然な反応をした彼に、ジゾーは冷静な口調で聞く。


「では、あなたのネックレスをお見せいただけますか?」

「すみません。既に失くしています。まさか、持っていないだけで雪女だと言い張りはしませんよね?」

「確かに。それだけであなたを雪女だとは言い切れません。それから、もし本当に失くされているのなら、後ほど物探しの魔法で見つけて差し上げますよ」


 ジゾーは、彼の返答を予想していたらしく、穏やかな口調のまま言った。


「それはありがたいです。でも、まずは自分を疑ったのですから、その責任を取っていただきたいですね?」

「確かに。……それでは、責任を持って、雪女が誰なのかを別の角度から考えてみましょう」


 ジゾーは視線を彼に向けたまま、再び語り始めた。


「まず、雪女が事件を起こした目的です。雪女はその容姿を他人に変える魔法を持っています。そこから考えられる目的は、国の王位を手に入れること。それには、王様の殺害で王位を得る人物と成り代わる必要がある。では誰に成り代わろうとしたのか?」


 ジゾー視線を移さずに、お義兄様を指で示した。


「第一継承権を持つホリーではなく、ペント様です」

「なぜ僕なんだ? 僕よりもホリーのが簡単じゃないのか?」

「当然、当初はホリーに接近し、成り代わろうとしたはずです。しかし、ある人物の介入がそれを難しくした」


 お義兄様に向けられていた指をユーナに移す。


「彼女が突如、ホリーの世話を独占してしまい、ホリーの接近を難しくした。もしくは、彼女によって遠ざけられた世話係の一人に雪女がいたのかもしれません。慎重な雪女にとって、ユーナさんを排除してまでの接近はリスクが大きかった。

 だから、雪女は急遽計画を変更して、ペント様に標的を変更した。その最初の一手が、半年前の事故です。あの事故で、ペント様は足を不自由にされ、同時にその警護をする人物の穴が開いた」


 再び一同の視線が警護兵に戻る。


「慎重な雪女がペント様に近づく上で、絶対必要な条件があった。それは彼を含めた周囲に決して成り代わっていることを悟らせないことです。その条件を満たす、事故以前はペント様の周囲にいなかった人物こそ、あなたなのです」


 警護兵の表情に一瞬、変化があったのをわたしは見逃さなかった。

 彼は、僅かに口元を歪めた。……笑ったの?


「あなたにはペント様に王位継承をさせ、尚且つ邪魔なホリーを排除する計画があった。その為に、あなたは王様を常に一箇所に居させ、ホリーが必ず同じ時間に現れる状況を作り出した。それこそ、王様の体調不良です。霊薬ですら効果がなかったことから、それは呪いの魔法によるものと考えてまず間違いないでしょう。

 もうお分かりでしょう? 彼の計画とは、王様を殺害し、その犯人をホリーに仕立てた今回の事件です」


 ジゾーの話を聞いて、わたしは納得した。

 お父様が寝込んでからわたしは必ず薬の時間に寝室を行っていた。それを雪女は利用したんだ!


「水差しの交換も、しばらく観察していれば、ホリーが用意していることもわかる。機が熟した際に、ホリーが水差しを交換したら、その日に王様の殺害を実行に移せばいい。

 後は、万が一に供えてホリーが偽装した様に見せかけた犯人の姿、つまり白い衣の人物となって寝室に現れ、王様を殺害。そして、ホリーが現場に向かった後、何食わぬ顔でそこに現れれば、ホリーに全ての罪を着せられる。その為の毒物であり、その為の白い衣だった。……白い衣はどこから?」


 ジゾーが聞くと、お義兄様が答える。


「庭のホリーがいたところの近くだ。しかし、その時彼は一緒にいなかったぞ?」


 お義兄様の意見にジゾーは首を振った。


「それは、ホリーの捜索をしているフリをして、あなたの後をつければいい。ペント様、裏門からホリーを上手く逃がしましたが、どうやって逃がしたのですか?」

「それは人払いをして」

「つまり、誰かに命じて裏門周辺の兵を移動させたのですね? それはどなたに?」

「それは、彼だ。」


 お義兄様は護衛兵を見た。


「もういい加減、正体を現したらどうだい? 雪女!」


 ジゾーは指を彼に突きつけた。すると、彼は肩を震わせ、遂に我慢が尽きたのか、声を上げて笑った。


「あははははっ、まさかこんな事になるとはねぇ! これだったら、さっさとこいつも魔法で元に戻しておけばよかったわ!」


 彼は鎖の切れたネックレスを取り出し、床に放った。その声や口調は、雪女のものになっている。


「それとも指輪なんかに拘らずに、さっさとペントを殺して、入れ替わっていればよかったかしら?」


 ギロリと狂気を帯びた視線をお義兄様に向けて言った。次第にその顔は白くなり、青年から雪女へと変化していく。

 その異様な光景に、一同は思わず後退りする。


「まぁ、仕方ない。ジゾーとか名乗っていたわね? あなたもそんな若作りはやめて、さっさと正体を見せたら?」

「………」


 わたしはジゾーを見た。彼は達観したかの様な目で雪女を見つめている。


「往生際の悪いのが年寄りの特徴かしら? 王もそうだったわ。死に際に私の指輪を掴んできたんだからねぇ! お陰で証拠が残って、ホリーを殺す必要が出来たわよ。まぁ、時機を見計らって自殺に見せかけて殺すつもりだったけど」

「……お前に魔法を教えたのが、私の最大の過ちだ」


 ジゾーはボソリと言った。

 予想はしていた。指輪や雪女のことをあれほど詳しかった理由。彼のマントや笑顔に懐かしさを感じた理由。それらを考えれば、答えはすぐに出てくる。

 でも、わたしはそれを聞かなかった。ただ、彼がなぜわたしを助けてくれるのか。それだけを知れればよかった。

 雪女は遂に決定打を口にした。


「あなた、師匠のゾージンでしょう? 肉体を失って魔法と魂だけになっても、この世界に未練がましく居座っているなんて、なんて往生際の悪い姿かしら?」


 しかし、ジゾーはそんな雪女の言葉に平然として答えた。


「ホリーを助ける為さ。ホリーは私の石像をそれは大切にしてくれた。そして、そのホリーを不幸にしようとしているのが、お前だとわかった時、私は最後の力を今日の為に使おうと決めた」

「ふん。泣かせるわね。それで? どうするつもり? そんな紛い物の体で!」


 雪女は手をジゾーに翳し、その手から光を放った。


「くっ!」


 光を浴びたジゾーは床に倒れ、その体は一瞬にして石像に変わった。マントもわたしのマフラーになった。


「やっぱり広場の石像を器にしていたわね。無様な姿じゃないの!」

「それが……どうした?」


 石像に戻ったジゾー、いやゾージン様は口を動かして、ゆっくりと体を起こす。


「まだ動けるか!」

「それはそうさ。私は全ての力をこの石像に魂を宿らせるのに使っているんだ。だが、このまま力を無駄に消耗する訳にも行かないな」


 石像は、心配と驚きで立ち尽くすわたしを見て、顔をくしゃりと歪めた。


「ホリー、自分の願いを信じるんだよ」


 次の瞬間、石像は砕け散った。同時に、そこには銀色に輝く光の玉が現れた。

 わたしは、すぐにそれが彼の力と魂が一緒になったものだとわかった。


「何をする気だ? 来るな……来るなぁあああああ!」


 喚く雪女に、光は真っ直ぐ飛んでいった。


「うわぁああああ!」


 雪女が悲鳴を上げる。その全身は、銀色の光に包まれ、そのまま燃え上がった。


「うぁああああ! 熱い、熱いっ! おのれぇぇぇぇぇ!」


 炎に包まれ、床に倒れてもがき苦しむ雪女の目が、わたしに向けられた。


「ひぃ!」


 その狂気を帯びた視線にわたしは、思わず小さく悲鳴を上げた。

 雪女の口元が不気味な程に細く裂ける。


「あんだの夢、知っでいるぞぉ! ……あんだの夢、壊ずわぁ! ごの国を永遠の氷で包んであげるがらぁ! がはははは………っ!」


 雪女はそのまま笑い声を残し、完全に燃え尽きた。死体は愚か、灰すら残らずに。

 わたしを含め、その場にいる誰一人として雪女の死を喜ぶものはいなかった。最期の言葉が、耳に残っている。


「姫様!」


 突然、ユーナが窓の外を指差して叫んだ。

 わたし達の視線が一斉に窓の外へ向けられる。


「そんな………」


 わたしは愕然とした。

 窓から見えた景色。それは、雪に包まれていた山や森が次々に氷に変わっていたのだ。その氷は、見渡せる限りの国中を侵食し、次第にこの城へ迫っていた。


「これが、雪女の最期の魔法?」

「このままでは、この国は終わりだ。いや、民も氷りついてしまうよ!」


 お義兄様が言った。わたしもそう思う。

 しかし、もうジゾーはいない。

 わたし達の力で、雪女の魔法を打ち破る方法なんて………!


「あるわ」

「え?」

「この危機から国を、みんなを救う方法があるのよ!」


 わたしはお義兄様に指輪を見せた。

 そう。これは願い事を叶える魔法の指輪なのよ。雪女の魔法だって打ち破れるし、この国に春も夏も秋も取り戻せる。季節の豊かな国にできる!


「………」

「どうした?」


 お義兄様が指輪を見つめたまま言葉を噤んでしまったわたしに声をかけた。


「どうしよう、お義兄様。……わたし、怖い。もしも、わたしの本心で思っている願いが、わたしの身勝手な願いだったら、どうしよう」


 わたしは、やっぱり自分の願いに自信が持てなかった。

 口では皆を幸せにすると言っても、本当は自分だけが幸せになりたいのではないか? 自分だけ無事であれば、それでいいのではないか?

 わたしはなぜ雪女がこの指輪を使わなかったのか、はっきりとわかった。雪女も自分の本心を知るのが恐ろしかったのだ。


「ホリー、自分の願いを信じるんだよ」

「!」


 わたしは驚いて顔を上げた。

 そこで微笑んでいたのは、ジゾー……ではなく、お義兄様だった。


「彼の言葉をもう忘れたのかい? ホリー、君は僕の愛する妹だ! 大丈夫!」


 何一つ根拠のない言葉だけれど、わたしはお義兄様の声にジゾーの声が重なって聞こえた。

 わたしは頷く。


「ジゾー、ありがとう。……わたし、自分の願いを信じるわ」


 そして、わたしは指輪に願いを込めた。





〈FIN〉

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