表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凪の海  作者: 雪宮鉄馬
1/10

【一】

作者初にして、たぶん最後の歴史小説です。歴史に全く詳しくないため、戦史にお詳しい方々からすれば「ここが違うっ!! ここも違うっ!! 歴史考証がなっていない!!」と、厳しく批難されてしまいそうですが、本作はあくまで「フィクション」として見ていただきたいと思います。


また、本作は戦争賛美、平和主義のどちらの意図も持ち合わせるものではありません。堅苦しいことは考えず、読んでいただけたら幸いかと存じます。よろしくお願いいたします。

               【一】


 遠く聞こえる砲雷の雄叫び。絶命の間際の悲痛な叫び。煙と炎、硝煙の匂いが人々を包み込んでいた。眼前には、無数の発砲煙が唸りを挙げ、頭上には鳥の群れを思わせるかのような、敵の航空機が飛び交う。頭から血を流す士官は、それでも「戦い続けよ」と声を上げる。両足を爆風に吹き飛ばされた学徒は両親の名を呼ぶ。もはやその場に、五体満足な人間などほとんどいなかった。

「総員退艦っ!!」

 艦長からの最後の命令が下された。敵の艦からは、次から次へと砲弾と魚雷が浴びせかけられ、着弾する轟音と悲鳴が反響しあい、そして、遂には壁を突き破った海水が、巨大な魔物のように、貪欲にすべてを飲み込んでいった。あらゆるものの、死の姿として、もっとも惨たらしい瞬間。

やがて、どの艦も敵の攻撃にさらされて、火柱を上げ爆発し、海中へと没していく。その瞬間、千名以上の人の命が、故郷から遠く離れた南洋の海に消えてしまったと思うと、胸の奥が苦しくて仕方がない。

もしも、人の命が奪われていくことが「戦争」だと言えば、もはや返す言葉はない。半ば爆風とともに海上に投げ出されるように飛び出した小野寺は、水面に浮かびながら、ただ呆然とそんなことを思った……。

 目を開くと、すぐにその悲惨な光景は消えうせる。ただ、そこには暗がりの部屋があるだけ。辺りに視線を配ると、目が慣れてきて、そこが小さな和室の一間と分かる。古びた押入れ、直筆の掛け軸、伴侶の仏壇、深夜一時を指す置時計。それらを確認して初めて、凄惨な光景が悪夢の中の出来事だと、認識できた。

 小野寺は半身を起こした。どうやら悪夢にうなされていたらしい。寝巻きの胸から背中にかけて、水でも被ったように濡れていた。

「お爺ちゃん?」

 部屋の開き戸から、自分を呼ぶ声がする。「大丈夫だ」と答える小野寺に、孫娘の千佳がそっと開き戸を開けて様子を伺った。

「なんか、すごい悲鳴が聞こえて。何かあったの?」

 千佳は、祖父を心配して、わざわざ自室から駆けつけてくれたのであろう。小野寺は、そんな孫娘に笑顔を返した。

「良くない夢を見たんだ。千佳、すまないがそこのタンスから、替えの寝巻きとタオルを出してくれないか」

「うん。いいよ」

 孫娘の小野寺の笑顔に少し安心したのか、胸を撫で下ろすと部屋の隅にあるタンスから、小野寺の寝巻きとタオルを取り出した。孫娘の千佳は高校一年生。忙しい千佳の両親に代わって、同居する半身不随の祖父の面倒も、嫌がらずに看てくれる。小野寺にとって、目に入れても痛くないほど可愛い孫だった。

「お爺ちゃん。大丈夫? お医者さんに相談してみる?」

 千佳は小野寺の脱いだ、汗のしみこんだ寝巻きをたたみながら言った。

「いや、大丈夫だよ。分かってるんだ。なんで、良くない夢を見るのか」

 小野寺は、そう言って壁にかけられたカレンダーに眼をやった。秋色の風景写真が飾られたその下、今日の日付は十月二十五日。

「何かあったの、十月二十五日に……」

 小野寺の視線に気がついたのだろう、千佳が尋ねた。小野寺は俯くと、そのまま黙りこくってしまった。置時計の時間を刻む音だけが、聞こえてくる。

「ねえ、お爺ちゃん、聞かせて。わたし、お爺ちゃんのことが心配なの。脳卒中で倒れてから、ずっと元気がないままだし、ここ最近は良くない夢ばかり見てるよね」

「ああ、そうだな……」

 千佳の言葉に偽りはないだろう。ここまで祖父想いの孫は、今の世の中あまりいない。深夜、悪夢にうなされる祖父を心配して、わざわざ起きてきた千佳に何も話さないわけには行かないかもしれない。だが、それは同時に、小野寺自身の罪の告白でもある。優しい孫娘に話したところで、それは懺悔にもならない、小野寺の後悔だ。

「わしも、そう永くはないのかもしれないな」

「そんなこと言わないで、お爺ちゃんっ」

 小野寺の呟きを、千佳は聞き逃さなかった。心配する千佳の表情に、偽りや打算はなく、心の底から、大切な家族を気にかけている。小野寺は、そんな孫娘の顔を見て、あの日のことを語らずに、墓に入ることは出来ないことを悟った。

「本当に、千佳は利口でいい子だ……。千佳、寒いから何か羽織るものを着てきなさい。少しだけ、昔話をしてあげよう」

 小野寺にそう言われた千佳は、急いで自室へ戻ると、薄いカーディガンを羽織った。千佳が戻ってくると、小野寺は不随の体を引き摺るように、戸棚に向かうと、その奥から古びた手帳を取り出した。

「楽しい昔話じゃない」と、小野寺は前置き、そして天井を見上げた。彼の視線に映るのは、板張りの天井ではない。遠い昔の南洋の海と空だった。

「わしは……罪を犯した。もう、ずいぶん昔の話だ。千佳も学校で習っているだろう? かつて、日本はアメリカと戦争をしたんだ。爺ちゃんはな、そのとき海軍さんの兵隊だった」

 そう言って、小野寺は手帳を千佳に渡した。水を吸ったのか、頁は寄れてしまっていたが、手書きでなにやらびっしりと書き込まれているのは、はっきりと分かった。

「一九四四年、十月。日本は各地で負け、敗戦の色を濃くし始めていた。日本軍は決死の逆転を狙うべくアメリカ軍との決戦に挑んだ。その手帳は、当時わしがつけていた日記だ。わしは、海軍大尉として、山城という船に乗って、ブルネイへ向かった」

 小野寺はゆっくりと、六十余年前に封印した記憶を辿り、千佳は静かに、祖父の語る昔話に耳を傾けた。


 それは、一九四四年。まだこの国が果てしないと思えるほどの戦の中にあった時代……。

ご意見・ご感想などありましたら、ぜひお寄せ下さい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ