「8/9」~「8/12」
「8/9」
八月九日。火曜日。七時二十二分。
良い香りに包まれた居間で朝食。匂いじゃなくて香りだ。発生源は机上のアロマ棒だ。
「どっちが良い」
コーヒーと紅茶のバッグを見せる。割と奮発したものだ。
「……借りが積み重なり過ぎて圧死している。後アロマありがと」
言うな。冷遇が望みなら、希望を無視することこそそれに当たる。俺は全力でお前を冷遇している。
「こうでもしないと僕がそうなる」
紅茶を飲んで、朝飯なり色々終えて高校に向かう。校内はお盆休みの話で盛り上がっていた。良いよなあ。純粋に休みとしか思えなくて。明日からの期末テストで死ね。
放課後はちょっと勉強した。それから、
「お盆出かけるが、来るか? 」
墓参りだ。余所の墓参りなんて詰まらない上に陰気だ。だが「僕お盆出かけるから留守番頼む」では薄情な気がする。行くと言われたら付近の温泉街ででも楽しんでもらおう。泊まる場所を確保出来るか分からないが。
「エーキチが望むなら」
「お前はどうしたい。日中どころか、一日中自由な時間を家で味わってくれてても良い」
こればかりはネットでは駄目だ。墓石に会うことに意味があると思う。行っても余り近づけないが。
「わざわざ聞いたのは、私が同行してもそれはそれでエーキチにメリットがあるってことだよな。だったら行きたい」
「済んだら温泉街で楽しめ」
「それを先に言ってくれたら即答だったんだけど」
釣ったようで悪い。それに、参照点が温泉街になってから墓参りの話聞いたら凹むだろうが。
こうして俺等は温泉街にも行くことになった。
―そうしたことを俺は八年経った今でも悔やんでいる。
それから二日間、土砂降りの中で期末テストが始まって終わる。
その翌日八月十二日。金曜日。今日から月曜まで四日間のお盆休み兼夏休みだ。ずっと昔は一月あったらしい。その間皆何してたんだ?
十三時八分。早めに昼飯を済ませてやって来た。
「大規模ビオトープか。ここは? 」
佐藤が言う。実はそこまで田舎ではない。現在俺等は俺の元自宅がある村前町付近の駅に居る。見た目だけは見花町を凌ぐ田舎だ。
半分旅行なので恰好は少し違う。日光対策のグラサンと幅広帽子だけだが。佐藤はそれとジャージだ。
ひさしの下かつ、人も車もビルも少ないのでいつもより涼しい。辺り一面田や畑と農道だ。昭和と違うのは、案山子の代わりがロボットなところ。それと田舎農業ではなく、穀物メジャーのイメージが近い。
今だって無人機が農薬を散布しつつ、作物の生育状況をチェックしている。隣の区画では人力メインで作業をしている。今日野菜工場は世界中にある。しかしそうでない「自然栽培」をブランドのように有難がる金持ちも居る。人力と昭和までの技術だけ用いた、自然度合いがより強い収穫物を好む者すら居る。
生まれる前に終わった昭和を求めて、田舎に旅行する者も居る。そんな需要がある限り、非合理的だけど懐かしい光景は淘汰されない。
水着姿の小学生たちが自転車で爆走して行く。その手の虫籠では、蝉たちが叫んでいる。駄菓子屋のボロベンチでは小学生たちが菓子やラムネを味わっていた。ラムネは絶滅危惧種のガラス瓶だ。
「夏系の映画やドラマみたいだ。まだこんな光景が日本にあったなんて」
あれは役者とボランティアだ。とは知らせない方が良いだろう。観光客向けにアフリカの部族が以前の生活をする話とほぼ同じだ。
「精々夏と夢を堪能しろ。帰ったら酷暑と現実だ」
ひさしの下から踏み出す。顎から汗が土の道に落ちる。日光に焙られるのはどこも一緒だ。
「何分で着くんだ」
佐藤自身にとっての苦言ではない。自殺的な日光浴は止めて、タクシーでも拾った方が良いとの提案だ。
「もう直ぐバス停だ。歩かせて悪いな」
俺の勝手でそうさせてるので理由も説明する。
「少しつき合ってくれ。この辺り、母さんに連れられてよく来たんだ」
言うんじゃなかったか。それで想起されたのは良いことだけじゃない。来たことを後悔したくないのに。
「お母さんの話をさせてしまって―」
「慣れてる」
謝られる前に言った。やはり支援対象者についてはテロ遺族ってことも含めて知ってるか。
土の道。畑。田。歩いても歩いても風景は変わらない。遠くの山ともっと遠くの都市が、少しずつ大きくなるくらいだ。
「先に謝る。さっき『母さんに連れられてよく来た』って言ってたよな。前の家はここから近いのか」
行かなくて良いのか。そう聞かれている。
「悲しむのと悼むのは違うんだ」
庭がある広い家。狭いよりはとの理由で、広い家にしたそうだ。案の定部屋が余っていた。物置に一部屋使ってもだ。
あそこは楽し過ぎた。両親の墓には両親との思い出はない。当たり前だ。しかしあの家には一年八か月までの大部分がある。追悼と悲嘆は違う。生きてしまった奴が悲しむだけでは犠牲者も浮かばれない。確認しようがないが。
家までそう遠くない。直ぐに着く。それでも。
バス停に着いた。目的地付近の付近で降りる。花を買う。墓どころか、霊園が点のようにしか見えない場所で佇む。花束に力が入る。
「供えてこようか」
「頼む。俺は元気だと言っておいてくれ」
一石二鳥だ。墓の位置を教える。
「二十分は絶対に帰って来ないと約束する」
お見通しだ。確約を得られたことは嬉しいような。知らない振りしてくれた方が嬉しかったような。
「助かる」
「後、さっきはごめん。重ねて謝る」
「支援の一環だ。気にすんな。さっさと行け」
佐藤は荷物を置いて走って行った。俺は路肩の大きな木の裏に行く。日陰になっているし、何より道端なら通行人を驚かせる。
そこで泣いた。佐藤に気にしないよう言ったのは気遣いじゃない。家の話をしていなくとも結局こうなっていたのが分かっていたからだ。あっという間に十分過ぎた。落ち着いてから佐藤に電話する。
「もう良いぞ。二十分もいらなかった」
≪私の作業中誰も接触して来なかった≫
やはり全部知っているようだ。
「そこで待ってろ」
そうやって安心させて、俺が釣り出されるのを待っている恐れもあるが。
走りたかったが暑さと二人分の荷物が邪魔だった。着くと佐藤は離れた木陰に居た。避暑目的だけではない。道中買った瓶ラムネを渡して二人で飲む。渇きが炭酸に勝って抵抗なく飲み干せた。
荷物を預ける。墓の前に立つ。普段忘れさせていることや、晴樹父さんと舞歌母さんとのこと。沢山思い出した。
道中また買った花を供える。隣では佐藤が供えてくれた花が陽を浴びている。木陰の方を見る。佐藤は荷物と共に消えていた。別の涼しい場所に居てくれれば良いんだが。
「ごめん」
墓に頭を下げた。一年と八か月前。中二時代の十二月十七日。犯行は「命の灯」と名乗る組織だった。意識が戻った直後「冬だからこの熱さもまだましか」などと考えたことを覚えている。
直接参れなかった去年の分から、今日までのことをたくさん。ゆっくり話した。二人が生きていたらどうリアクションしてくれるかを一々考えて。考えなければいけないのは、どう言うことかは余り考えないようにして。涙はもう出なかった。さっきの分で打ち止めになったのだろうか。
話が最近の事柄に差しかかった。日常を一変させた奴はもう直ぐ登場する。お客様とは言えそっちに遺産を使っていることも報告しないと。
「永吉君? 永吉君か!?」
馴れ馴れしい。苗字で呼べ。後ろから飛んで来た声。老いて枯れて、しわがれて。二度聞きたくなかった声。記憶力が悪くとも忘れない。その用件で直接では二回、電話でも四回聞いた。
「哲治さん」
宮坂哲治。ハイエナの最右翼だ。通報をちらつかせて、実際にそうするまでつきまとわれた。口を開けばその話だった。運用してやるとか、大金を若いうちから持つと狂うとか。要約すると「金を寄越せ」だった。
背を向けたまま話す。
「金なら渡しませんよ」
一人に渡したら他にも、と言うだけではない。父さんが支社を預けたのに金持って逃げやがって。証拠がないと嘆いていたことを思い出す。
「渡さない、ってことはあるんだよな。金」
無視して歩き出す。同じ単語が反復されているのが分かる。単純接触効果で渡したくなることを狙っているのか? じゃなきゃそれ以外に単語を知らないのか?
この声を初めて聞いた日のことを思い出す。まだ二月しか経ってない。二月前に死んだばかりだ。なのにこいつは。
「走れ、エーキチ」
遠くで佐藤が手を振っていた。心が戻ってくる。今は一年と八か月後だったな。
佐藤は走り出す。追いつく。リレーのランナーのように速度を合わせる。後ろで不法侵入未遂野郎を凌ぐゴミが喚いていた。
「助かった」
「任務だ」
礼には及ばない、か。気が緩んだ。それでようやく現状に目が行く。佐藤は手ぶらだった。走り易いのは分かるのだが。
「荷物は!? 」
ゴミは喚きながら追って来る。二度と会えないことを理解しているのだ。だが七十超えた老人と十代じゃあ勝負にならない。
「霊園事務所の防犯カメラ付近に置いといた。落とし物したって言って後で取りに行く」
そう言いつつ鍵や貴重品は持って来ているのだろう。
「抜け目ないな」
「エーキチから敵の顔写真を貰い忘れた時点で三流だ」
そうしたら霊園内をクリアリングして、敵の有無を調べてくれたのだろうか。しかしそれで敵が居ると分かったらビビってしまっていた。墓前に立てたか自信がない。
だから、
「いや、一流だ」
合計ではプラスが遥かに大きい。
走った。もう罵声は聞こえなかった。肺が爆発しそうだ。だが俺が速度を落とすと佐藤は合わせる。捕まれば今度は佐藤も一緒だ。
走った。山と都市を背にして、わざと非効率なままの田んぼを横目に、捏造田舎の土の道を。
本物は日光と自然だけ。隣に居るのも作り物だ。帰ったら酷暑と現実だ。たまの旅行くらい、偽物だらけの夢も良い。
走りながら、思い切り二人で笑った。
○○○
馬鹿か。今夜は筋肉痛だ。罵声が聞こえなくなった時点で歩きゃ良かったんだ。
通報はしない。もう関わりたくないからだ。念の為バスで駅まで逃げた。今は二人でベンチでラムネを飲んでいる。
駅と言っても田舎だ。電車は三十分に一本。ゴミの接近に合わせて逃走は出来ない。だが今でも来ていない。諦めたか? 鬼ごっこで熱中症になって死んだか?
飲み終わると荷物を回収しに行った。ゴミに遭遇することはなかった。
バスで温泉街まで行く。ここもよく連れて来てもらった。入口のPMSCの列に並んでいる間に、ゴミの説明を佐藤に済ませた。なぜ追いかけられたか知る権利はある。そこまで細かいことは知らなかったらしい。
「話さなくとも気にしなかった」
「助けてくれた礼の一部と考えてくれ」
前の組が軽めの検査をされている。犯罪歴でもあるか、合成人を連れているんだろうか。俺等の番だ。海の時よりも更に厳重な検査をされる。マーク対象が二組連続だ。当然何か疑うだろう。
「政府の道具が……」
「邪魔しに来やがったのか」
「おい。聞こえるぞ」
聞こえてる。
「気にすんな」
「してない」
前の組も呼び戻された。その厳重な検査を受けていた。すいませんとばっちりで。
済むと遂に入城。大楽温泉街。連なる長屋。着物姿のスタッフ。屋根の上の赤と黒の忍者。徒歩以外の移動手段は電動カートを除けば駕籠か輿か人力車だ。昭和と言うか最早江戸時代の風景だ。外国人がフーリューだのワビサビだの騒いでいる。
「……未だに日本が侍の国だって勘違いされる理由が分かった。信じさせる方も原因だけど」
お前も捏造昭和は信じてたけどな。
捏造侍ランドは歩くだけでも楽しい。ある程度歩いてからは走った際の汗を温泉で流した。その後施設中央エリアの旅館に荷物を預けに行った。同室と言うと佐藤に超嫌な顔をされた。二室取れなかったんだよ。旅館の夕飯の写真を見せたら全部許してくれた。直後「豪華だからこそより無駄飯と言うか何と言うか」とまたどうでも良いことを言われてしまったが。
それが済むと手裏剣投げたり模擬刀振ったりしてまた温泉。そうこうしているうち、あっという間に十八時になった。
「飛ばし過ぎた」
炎天下で歩く、墓参り、ゴミ遭遇逃走、温泉街で遊ぶ。盛り沢山。普段映画や本楽しんでいる人間のスケジュールじゃない。旅館帰りたい。しかしそうもいかず。現在、縁日が行われている西部エリア入口付近に居る。これも実物は体験していないだろうから連れて来たのだ。
「凄い! りんご飴が五百円! インフレの国かここは!? 」
楽しんでくれていて何より。でも屋台の前でそれ言うな。ジャージの襟を掴んで引っ張って行く。
「ん? 」
「どうした」
「子供が泣いてる」
合成人には聞こえたのか。佐藤は走、ろうとしたが掴まれたままの襟が喉に食い込んだ。えずいた。
俺は襟を放す。道を挟んで並んでいる大きな灯篭。その一つに佐藤は走って行った。追いついて俺もその裏を覗き込む。
幼稚園児くらいの少年がしゃがんでいた。しくしく、さめざめと静かに泣いている。大声で泣いてくれる子なら、先に誰かが気付いて問題を処理してくれていたかも知れないのに。
「大丈夫ですか。どこか痛いんですか」
佐藤は明らかに優しそうな声で話しかける。擬態だ。
「知らない人と話しちゃ駄目ってお父さんに言われた」
それもそうか。
「だそうだ佐藤。止めとこう。僕等が話しかけると言いつけを破らせてしまう」
利他行動はお節介でもある。それを受けない権利は誰にでもある。それ以上押しつけるのは偽善未満の悪だ。しかし話さなければ良い。施設側に電話して、スタッフが来るまで待つ分には問題ない。
「待った」
佐藤は≪ではこうしましょう。わたしのかくもじにこたえてください。それならおはなしにはなりませんよね≫と端末の画面に入力した。それを見せる。少年は頷いた。それで良いのか少年。
俺は施設に電話した。既に捜索願が出ているそうで、現在地はそっちに伝えてくれるとのこと。その間に佐藤はユウト氏と言うらしい少年と仲良くなったようで。
「ウォータースライダーで人を押す野郎はクズなんですよ」「分かった! そんなことする野郎はクズって覚えた! 」などと話している。そんなクズが居るのか。
「ホラー観てるときわざと咳き込む野郎もクズで―。あ。誰かユウト君を呼んでる。ちょっとユウト君見ててもらえると嬉しい」
「さっさと行け」
佐藤は行って帰って来た。隣にはユウトの父らしき人がいる。ユウトは走って行った。
「お父さん! どこ行ってたの! 」
「僕じゃなくてユウトが……」
「許してあげるから早くお神輿観に行こっ! 」
二人が離れて行くのを見届ける。
「神輿観たいか」
山車や神輿のパレードがある。ここ西部とは真逆の東部エリアでだ。
「エーキチが、いや。私は観たいんだけど、花火の方が観たい」
花火はここ西部で上がる。東部のパレードと同タイミングでだ。わざとタイミングを合わせ客を散らして混雑を防いでいる。
「花火か」
ゴミのことを知らなかったのだ。これもそうなのだろう。まだ駄目だろうか。映画やゲームでなら大丈夫なんだが。
「パレード行こう。それも観たい」
「花火にしよう」
どの程度克服されたか実験したい。傷を深くするだけかも知れないが。花火まではインフレの国を冷やかしたり、時には買ったりして過ごす。
十九時直前。≪まもなく花火が始まります≫と街頭スピーカーが言う。俺等含めた外に居る客が道の端に寄る。屋内の客は窓を開けたり外に出てきたりしてその時を待つ。
口の中を小さく噛む。拳を固める。体中に力を入れる。体に感じる圧力に意識を向けておく。
十九時。薄闇に光の筋がいくつも昇る。ドン、ドンと轟きながら花火が夜空に咲いた。光が炎が熱が目に飛び込んでくる。
「おー。凄げー」
佐藤は楽しんでいる。
「トイレ行ってくる。好きにしてろ」
言葉が聞こえたか確認する余裕はなかった。トイレは結構並んでいた。人が少ない方に向かう。花火からも自然に離れられた。
背を向けていても爆音は響いて来る。内臓が揺さぶられる。あの時は一瞬浮いた。肌が焼ける。融ける。千切れる。
西部エリアの端の端。何とか人が居ない場所まで来た。屈んで側溝に吐いた。
やっぱ駄目だった。去年は一人で花火に行った。昔は両親と、小四からは友達と来ており習慣化されていたからだ。
失敗だった。最初のそれが咲いた瞬間、光と音で思い出した。あの日それを感じた時間は一秒未満だ。目覚めると寒空の下転がっていた。
父さんと母さんが俺より爆弾から近かった。二人が緩衝材になって俺へのダメージが減った。だから俺は助かった。
花火ではありもしない熱まで感じた。覚えちゃいないが泣き叫んだ後、倒れて搬送されたそうだ。だからこれでもましだ。二回目だから慣れたか。もしそうなっていたら佐藤に一番迷惑をかけるところだった。人体実験なんて二度とすべきじゃないな。
座る。視界が涙で歪む。鼻からも涙が出る。両耳を塞ぐ。それでも花火は響いて来る。響く度に震える。肌が泡立つ。だけど離れる気力はない。
あの日が浮き上がる。血の味。焦げた匂い。爆音。閃光。浮遊感。爆風。衝撃。熱。
熱さと痒さで体を掻き毟る。所々、服越しに血が滲んで来た。その傷で少し楽になった。現実の痛みで虚構の痛みが薄まった。もっと強く掻いた。口内に残った吐瀉物を味わう。血の味を塗り潰す。涙と鼻水で息苦しい。だがそれで焦げた匂いが紛らわされている。
「一人で死ねよじゃなきゃ自殺志願者連れて行けよ誰も損しねえだろうが俺等は自爆を頼んでねえ死ね殺す」
俺は合成人を借りる資格が有ったようだ。花火以外でも類似事例でいつこうなるか分からない。日常生活に支障がないから健全に見えるだけだ。
花火は今も叫んでいる。地獄が何回も最初から再生される。もう震えることも肌が泡立つこともない。
「エーキチ、やっと見つけた」
俯いていた。目も閉じていた。顔を上げる。佐藤が花火を背に立っていた。
そこでようやく、一人で墓参りに来なかった理由が分かった。佐藤は右に座る。右耳を塞ぐ手を緩めた。
「随分探したんだ」
「悪い」
「責めてる訳じゃない」
佐藤は全身を軽く観察した。
「救護所行くか? 」
「嫌だ」
方向的に花火に近付く。
「なら止めとこう。本格的にまずくなったら無理やりにでも連行するけど」
それから佐藤は何も言わなかった。花火の音が大きく聞こえた。
「説明した方が良いか」
俺は暫くしてから言った。
「察した。ごめん」
佐藤は言い訳はしない。だがこれもやはり知らなかったのだろう。
「迷惑かけてるな」
俺は身勝手過ぎる。佐藤を悲しませても、パレードを見に行けば良かったんだ。小さな悲劇で大きな悲劇を食い止めれば良かったんだ。
「気にするな」
遠くで轟音が鳴った。ラストの大きな花火だろうか。
「終わったのか」
光がやって来ない。端末で時間を確認する。まだ終わりまで十分以上あるはずだが。また鳴った。光はない。
「あれ」
そう言えばこの音は……。それに、東部エリアの方から聞こえて来るような。
街頭スピーカーがハウリング音を鳴らした。
≪我々は「命の灯」です。神聖なる命の炎によって、穢れた魂たちを清めます。今ここに浄化を開始します≫
父さんの隣に座った男もそう言っていた。
「しっかりしろ! 」
顔に衝撃。軽く殴られたのだと気付いた。声も大きい。いや俺が耳から手を離していたのか。
「どうした急に」
「こっちの台詞だ。急に叫んで暴れたから仕方なく殴ったんだ」
あの日がより強く想起される。これは幻覚じゃない。実際に誰か死んでいる。音は、テロリストの自爆音は東部から聞こえる。どう爆弾を持ち込んだかは簡単だ。
「警備員だ」
命の灯は機械を使わない。そちらへの細工はない。だったら人間しかない。PMSCにシンパが居たんだ。人間の警備員を使う以上、そのリスクは常にある。
「安心しろ。直ぐ機械が制圧する」
「それまでに目的を果たすさ」
自爆だ。銃やナイフで命の限り命を奪うのではない。抑えられても目的は完遂される。一人でも殺せば成功だ。その一人は自爆者本人でも構わない。存在価値を妨害出来ない。だから連中にとって浄化は毎回成功だ。士気は落ちず、また俺のような被害者が量産される。
音が止んだ。全員死んだか。
「東部の方だな」
「ああ」
「ユウトは無事と思うか」
佐藤や父さんと楽しそうに話していたことを思い出す。佐藤は立ち上がった。俺もそうする。
「行くな。死ぬぞ」
ユウトのことは言い訳だ。俺が共感し易い理由付けだ。それで俺に引き留められる確率が下がる。喧嘩別れのように飛び出さずに済む。最期になったとしても俺の後悔を減らせる。
「映画なら格好良く送り出す場面だろ」
「お前より映画は観てんだ。登場人物の心境くらい察せる」
「救急隊や警察が来るまでの間、私だって怪我人を運ぶくらいは出来る」
佐藤は公共物だ。社会にとって一番最適な行動を採る。普段の業務からかけ離れていても関係ない。公務員が災害の際、命令があれば被災者を手伝うのと同じだ。俺はそれを借りているだけだ。
「救助の手間を増やすな。要救助者が増えるだけだ! 」
「それに公共物が含まれていると思うか」
「道具は大事に使うものだ」
「爆弾処理は機械が行う。爆発しても機械が吹き飛ぶだけだ」
「また存在価値か」
「それだけじゃない。さっきエーキチの隣に座ったのと同じだ」
すべきことで。それ以上にしたいことなのだ。悪く言えば社会の狗としての倫理が発達している。良く言えば訓練や教育と無関係に悪人ではない。
「俺はまだ不安定なんだが」
「けど不安定な人間は、それを偽装して私を安全圏に置こうとは考えられない」
行けば二人以上救える可能性がある。ここなら俺しか救えない。自分が死んでも問題ないなら一択だ。
「警戒しろ。敵は全滅したか分からない。それと俺と位置情報交換してテレビ通話も繋いでけ。どうせ警察の回線はパンクしてる」
繋がっていれば何かの役に立つかも知れない。佐藤は従う。警察には一応電話してみたが繋がらなかった。
「じゃあ行って来る。そっちは早くここから離れろ」
「無事に帰って来い」
「当然だ。豪華なご飯を食べるんだ」
「あ」
「え? 」
死亡フラグだ。
「エーキチも死ぬな」
拳が突き出された。そこに拳を合わせる。
「また後で」
「二人でもっと遠くへ行きたいからな」
あ。映画の台詞引用してる辺りもポイント高い。佐藤は通話が良好なことを確認して走り出す。背中が見えなくなってから端末から声がした。
≪もし通信が途絶しても、逸って来るような真似はするなよ≫
「それこそ映画だ。行って役に立てる体力とスキルがあれば最初から同行してる」
同行を許可してもらえるかは別として。
突然明るくなった。腹に響く音もうるさい。見ると花火が上がっていた。ラストの特大の物だ。機械が自動で発射し続けていたのか。音と光が舞って、散った。
逃げる前にやることがある。端末をスピーカーホンにし、ストラップで首にかける。走り難くなるが仕方ない。ポケットに入れたままだと向こうの声が聞こえ難くなる。
施設中央エリアへ走る。佐藤と繋がっている端末を見せる為だ。中央管理事務所やその付近にか対策本部でも出来ているはず。彼らなら警察が来るまで、東部からの情報を役立ててくれる。それで死者が減れば佐藤も本望だ。
逃げるのはそれからだ。
≪寄り道するな! さっさと逃げろ! ≫
出口以外に向かってる時点でバレてるよな。
「こっち見んな! 自分の仕事に集中しろ! 」
≪まだ東部に着いてない≫
それもそうか。走る。アドレナリンでも出ているのか疲労を感じなかった。
中央エリアに着く。中央事務所や旅館等、遊び場以外の機能が集まっている場所だ。出口よりこっちの方が近い人がここに集まり続けているのか。混乱と騒乱の坩堝だった。今これ程混んでいるのは後は出口だけだろう。だったらどうせスムーズに脱出出来ない。そう考えるとこちらに向かったことは間違いではなかったか。
人口密度は中央事務所が一番濃い。その分うるさい。また佐藤が喚いているがとうとう聞き取れなくなった。端末を耳に当てる。
≪何やってんだ! 逃げろ!≫
「端末を見せてからだ。後こっちばっか見るな」
≪先に言え! それ終わったら逃げろよ!≫
今ので意図が分かったらしい。やり易い。警備員がメガホンで叫んでいる。
≪身体検査を受けて下さい! ≫
人が密集しているここで第二波を許してはならないからだ。検査待ちの乱れた列が出来ている。従わない者も半ば強引に並ばせている。しかし人数の多さからか検査が雑だ。混乱しているのと、急な事態だからか機械も犬も居ない。
重傷者の家族が検査に抗議している。迅速な治療を求めているのだ。だが病院でもない施設での治療などたかが知れている。
スタッフが客に包囲され対処を求められていた。それが分かるならとっくにしている。不安のはけ口にしているだけだ。
誰も冷静じゃなかった。判断力を奪われていた。
検査で端末を提示した。それが東部と繋がっていると言ったが無視された。やっぱ最高責任者クラスにでも直接話さないと駄目か。それとも今余計な情報を与えると混乱させるか。そこまで考えてなかった。俺も冷静じゃないな。
検査は無事パスした。再度中央事務所の方に近付く。更にうるさい。端末もうるさい。逃げない理由を分かってくれたんじゃないのか。耳に当て直す。
≪敵だ! そこから離れろ! ≫
敵!? どこに?
―その喧騒の中、その声が聞こえたのは偶然でしかなかった。
その間も佐藤は叫んでいた。そこなら大量に殺せる。私ならそうする、と。
大分後ろの方で警備員が話していた。
「検査は必要だったのか」
全部理解した。
―どうして。機械や犬が居ないことを常識の範疇でしか考えられなかったんだろう。
「しないと不自然だろ」
―どうして。自分も冷静じゃないと気付いたとき、現状を疑わなかったんだろう。
―どうして。こいつらが第二波を行う側だと、思い至らなかったのだろう。警備員が自爆したのだと、さっき推測出来てたのに。
メガホンからの声。検査の話だと思って皆見向きもしない。
≪我々は「命の灯」です。神聖なる命の炎によって、穢れた魂たちを清めます≫
―どうして。その可能性に気付けなかったんだろう。
―どうして。体が動かないんだろう。周りに伝えられないんだろう。
―どうして。どうして。どうして。どう
「皆、逃げ、」
≪今ここに浄化を開始します≫
〇〇〇
大楽温泉街テロ事件。実行組織はカルト集団「命の灯」。これは彼等の五件目のテロとして記録される。
〇〇〇
山崎正志は落胆していた。花子がテロに巻き込まれたからだ。公安にも、花子が見聞きしたもののデータを提供した。人道的な意味だけではない。テロにBC兵器も使用されたかも知れない。それに彼女が侵されていたら? その情報一つで生死が変わるかも知れない。
それ以外のメリットもある。当時東部エリアに居て、現在こき使える情報源は花子だけだ。人間の被害者は今それどころじゃない。データで彼女への依存度を減らせれば彼女が警察に手間取らされる時間が減る。山崎永吉のプライバシーの侵害となるが、遅かれ早かれ開示を要求される。
テロ組織の使用兵器は爆弾だけだと後に分かった。不幸中の幸いだ。
八月十二日の夜、テロについて話があった。それは思わぬところまで波及した。
佐藤花子がなぜあそこに居たのかについて。常識的に考えれば救助活動だ。しかしテロ組織との関与を調べられた。当然シロだ。だがその過程で全て知られた。花子があそこに居たのは、山崎永吉の下に送られた結果だと。
原因は事務上の手違いだ。そんなもの本来なら誰も見向きはしなかった。それなのに。
今機構は大忙しだ。花子のデータには別の合成人の姿があった。彼女と永吉が入口で並んでいるときだ。その前の組に居た。その彼のデータも提出した。それだけで忙しくなる訳はない。
機構や合成人が疑われているのだ。テロ現場に合成人が二人居た。しかも片方は救助活動をした。が、無傷で帰って来た。
救助は良いことだ。だからまずい。合成人を擁護する組織が、テロの情報を掴んだ。そこに合成人を送り込み救助活動をさせた。それで合成人の社会での地位が少しは上がる。……どこかの馬鹿がこんな筋書きを描いた。と疑われている。テロ組織と組んだ。そもそもバックが同じ。との考えもある程だ。
だがこれは口実だ。論理が稚拙過ぎる。自爆犯だけで現在三十二人死亡。それ以外の死者行方不明者も現在百十六名だ。もっと増える。それで得たものは合成人が救助した事実だけ。コスト論として非合理的だ。
こんな口実では糾弾出来はしない。本来なら。政府か公安に合成人嫌いが居るのだ。一番有り得るのは合成人にメンタルケア業務を奪われた機械屋関係か。
案外こいつらこそ、この流れを作る為にテロを仕込んだんじゃないのか? 正志は疑うが先程のコスト論でそれを否定した。やるならもっと上手くする。このテロに陰謀はない。
だが疑惑は疑惑。悪法もまた法。追及を逃れなければ。合成人管理機構はその擁護最右翼だ。職員には合成人に救われたり、家族がそうだったりした者も多い。彼等や正志は潔白を証明する為奮闘中だ。ただしていないことは証明し切れない。いや本当に悪人が居るかも知れないが今は無視だ。
何かにこじつけ糾弾されるのは確実。その上機構のリソースを潔白証明に空費させ得ればその分支援が疎かになる。
つまりどうなっても合成人にダメージを与えられる。偶然起こったテロからよくもここまで嫌がらせ出来るものだ。テロや事件が起こって現場に合成人が居たらそうしろと計画していたのだろう。そして花子がそれを使う口実を与えた。しかも彼女は敵にとってより嬉しい立場にある。手違いがあった上、無資格者に送られたのだ。それだけでも少しは叩かれる。「手違いを偽装し工作員を機構の外に放った」。と言われることまで必至。
それを少しでも緩めるには彼女を即座に回収すべきだ。そうしないと「工作員が未だ野放しだと」と言われる。したらしたで「我々に証拠品を抑えられる前に自分たちで確保した。何か裏がある」とは言われるだろうが。しかし現状では本当に先にそうされかねない。
正志は組織や他の合成人を守る為花子を犠牲にしようと考えたのではない。先に合成人嫌いに捕えられたら、どこに送られるか分かったものではないからだ。監視といい記憶消去といい今回といい、どこまでも妨害が得意な連中だ。監視についてはより上の方の思惑が裏にあるのだろうが。
正志は端末を取り出す。回収日を花子に言わねばならない。その借り主の永吉にではない。彼は合成人を想えてしまっている。義務はないが知れば彼は花子に言う。それには事実を切り出す痛みも伴う。言われた方は誰からいつ聞いても余り変わらない。どうせ知るのだ。言わせてしまったことと、悲しいときだったなら辛いだろうが、言うよりはましだ。
それを花子は望まない。ならば規定にはないが、彼女に先に言って伝えさせるべきだ。これなら彼女が伝えるタイミングを計れる。
端末に花子の番号を表示させる。合成人は物だ。物から言わせて人間の痛みを削るべきだ。だから花子なら先に知ることを望む。自分の立場も、先に回収されないとどうなるかも彼女なら分かる。
だが花子は正志の生徒だ。覗き見て来た彼女の人生を思い出す。死にそうな顔をした支援対象者との出逢い。≪無事で良かった≫と泣きながら電話して来たさっきまで。全部を。
三年間居た訓練施設を出て初めての実戦だ。その終わりがこれか。
正志の指は端末の発信ボタンの上で止まる。何事もなければ僕は奇妙な劇の観客で居られたのに。彼女だって最後まで彼と居られたのに。
「僕は、」
僕は、どうすれば良い?