「8/2」
「8/2」
八月二日。火曜日。早朝七時。
目覚まし時計が鳴った。廊下の向こうで。元自室に置きっぱなしだった。音が止んだ。起こしてしまったか。
ノックして許可を得て居間に入る。
「悪い」
「おはよう。先に起きてたから問題ない」
佐藤は既に制服に着替えていた。
「おはよう。それなら良かった」
家でその挨拶も久し振りだ。十分後、ちゃぶ台への着座を促して二人で「頂きます」して朝食開始。俺はパンを、佐藤は透明の歯磨き粉容器に入ったチューブみたいなものを。俺が食うまで佐藤は食べ始めなかった。
「座るや食うの順番に一々気を遣うな。疲れる」
「分かった」
佐藤のチューブは既に半分がなくなっていた。
「それで足りるのか」
「合成人は栄養吸収が超高効率で、その上これは超々高栄養食品だ」
ならそれに関しては良いが、
「旨いか」
「私たちは何食べても旨い」
「お前明日から朝はパン食え。高栄養なら災害時の為残しとけ」
この言い方なら気にしないはずだ。
「朝は分かった。残り二食の話だけど、ちゃんと野菜や肉取ってるよな? 」
「肯定も否定もしない」
朝はパンだ。だが冷蔵庫に野菜やハムはいつも入れている。しかし適正量を摂取出来ているかは不明だ。肯定し切れん。特に昼飯。
「やっぱり夜は私が作ることを提案する。健康が心配だ。存在価値もあるけど」
存在価値、か。お客様にやらせてはいけないことでも、本人が望むなら良いのか?
「冷蔵庫にある食材使え。お前の分も作れよ」
「明日からなら。今日はこれ食べたから栄養過多になる」
一個で一日持つのか。ところで昨日から気になっていたことがある。
「僕学校だけど、お前日中どうすんだ」
「訓練通り家事だ。合成人支援対象者は本来その余裕もなく、それの存在もストレスになる。全部はやんないけど。堕落や依存するから」
「しなくて良い。料理だけでも十分助かる」
合成人は確かに道具だ。だが道具は大事に使うものだ。
「する。そう作られた。教えられた」
存在価値、か。
「好きにしろ。で、それが終わったら? 今度こそお客様扱いして良いなら楽にしてろよ」
「終わって退屈なら意識オフにしとく」
は?
「私たちは疑似哲学的ゾンビになれる。多大なストレスや苦痛を感じた時だけで、連続使用可能時間もそう長くないけど。その間痛みも悲しみも感じない。それらしい反応を示すだけだ。自分を客観視してる。それは専用の装置使わないと見破れない」
「お前、それは」
「ご想像通りだ」
日中退屈に苛まれる合成人の為の機能ではない。合成人が暴行されても苦しませない為だ。公共物の器物破損で警察が踏み込んで来るまでの間、身体以外を傷つけない為だ。それは合成人の為ではある。しかし根本的に誤っている。
時間制限は技術的な問題もあるのだろうが、それだけではないだろう。どんな時でも永続的に使用されると肉製の機械と変わらなくなる為だ。それは心ある存在とは言えない。それは制限時間が訪れれば、火焙り中でも解除されてしまうと言うことでもある。こいつ等は徹頭徹尾人間様の為だけに居るのだ。
「それで人が壊し疲れたり飽きたりしたら意識を戻す」
おかしいだろ。
「そんな顔は止めてもらえると嬉しい。合成人が居るのに辛くなるのは、その存在価値の否定になる。スマイルを忘れずに。笑顔は無料かつ最高の良薬だ。それに合成人のことを考えて辛くなるのは本末転倒だ」
合成人は、使命だとしてもこうして人を想う。人は時に合成人を傷つける。
「人間って一体なんなんだろうな」
「合成人に触れてセンチメンタってるだけだ」
無言のまま時間が過ぎる。出る前になんとか言葉を絞り出す。
「暇ならこれ使え。PCは部屋の端だ。意識切るなんてその分人生を損してる」
映像配信サービスのパスワードを紙に書いて渡す。複数人では使っていないから規約違反じゃないだろう。
「いってらっしゃい」
その言葉も久し振りだ。
「いってくる」
「孤独、か」
佐藤花子は言った。訓練施設での単独訓練中くらいしか長時間そうなった時は彼女にはない。
そう。孤独なのだ。単体で存在価値を証明せねばならない。やることは多い。まずは掃除。この家は広いから効率的に。
三時間後。正午を回ってようやく掃除が完了する。家具の耐震化も調べたが問題なしだ。次は門前、靴を掃除した。草むしりもした。
洗濯。永吉の寝具を片付けて花子の寝具と服にかかる。なぜか自分の寝具が全部新品のようだったことを花子は疑問視した。
料理。だが余り早く作ると冷める。メニューにもよるが。しかし食材を把握しておかないと駄目だ。直前になって焦りたくはない。
冷蔵庫を開ける。卵に小麦粉にレタスにキャベツに味噌にハム、それと調味料。以上。以上だ。食材がほぼない。
……1・2・3・4・5・6! 良し堪えた。冷静に対処だ。味覚焼きと、卵焼きと、ハムキャベツ炒めが出来る、がそれで良いのか?
山崎正志に電話する。
「見えていますよね? 緊急事態です」
合成人の額にはチップが埋められている。これは位置把握の為だけのものではない。合成人に対するまたは使った犯罪への対策だ。
合成人が五感で得た情報は、脳に繋がったチップでデジタルデータ化される。それは合成人管理機構に自動送信される。この情報は犯罪の際の証拠となる。これはその為だけの仕組みでもない。サービス向上がより大きな目的だ。多数の合成人とその支援対象の生活データが集まれば、遺伝子・成長段階でより高効率に合成人を製造・訓練出来る。
花子が正志に教えられたのはここまでだ。それは真実の半分だろうと彼女は思う。合成人に無関係なところでもこのデータは使われるはず。
合成人サービスにかこつけて監視装置を撒いたのだ。だが合成人は少ない。その量で家の中まで覗けるようなるだけでは、これが発覚するリスクとは釣り合わない。
これは人間に近い物を使った実験や研究だ。いずれ本人の安全の為だの理由をつけて、社会的弱者―まずは障碍者と病人にもチップを埋める。
そうして聖域である人間自身を侵し、既成事実化する。それでハードルを下げ、多種多様な属性の人々にも埋め込んでいくのだろう。六割でも埋まれば管理統制社会の完成だ。政府は笑いが止まらない。
これはあくまで推測だ。が、自殺・犯罪の予備軍に治療ユニットを製造・貸与なんて面倒過ぎる。そこにテストでもやって治療必須者を選別し病院に隔離すれば良い。お題目は新型の精神病だ。
これは合成人が先に在ったのではなく、監視装置を撒く為でっち上げた可能性すら示唆する。これも推測だが。
当然チップの話は機密だ。それは花子の疑いを強める。無許可監視なんて国民と憲法が許さない。だからなんらかの事件の裁判の際でも、これらは匿名の目撃情報として処理される。
それならそもそも教えない方が、秘密保持には良いと花子は思っている。
≪どうした花子! 殴られたか! 蹴られたか! ≫
正志も合成人からの情報を四六時中見ている訳ではない。平時の監視は機械頼りだ。
「食材がない」
≪その程度のことでわざわざ……。買いに行くか、電話して買ってきてもらえば≫
うんまあ、そうだよな。少し考えれば分かることだ。焦ってた。六秒じゃ足りないようだ。
花子は礼を言って電話を切った。さて。彼の負担を増やす案は採れない。端末番号は彼のファイルで知っている。だが個人情報を知っている、と暗に知らされるのは嫌だろう。使用はそれを交換してからだ。
ということで出撃だ。玄関を出る。施錠、は出来ない。鍵がない。なら出ちゃ駄目だ。中に戻る。
初任務の初料理があれで作ることが確定した。はあ。食材を買って来てもらうか、予備鍵を貸してもらうかを提案しよう。
これにて任務終了。現在十三時半。十八時から調理するとして、それまでどうする。意識オフか。
「……」
彼のPCを開く。映像サービスにログイン。映画は久し振りだ。文化・教養教育でいくつか観たくらいか。空の城の話はロボットが燃える場面で泣いた。道具や機械が酷く壊れるのは止めておこう。感情移入の度合いが違う。
トップに閲覧履歴が表示される。どれにするか。どれでも良いが。支援対象者とのコミュニケーションツールにもなるし。リストの上から粗筋を読む。古い映画ばかりだ。興味深いのが二つ。
「彼方へ」。はやぶさ六号の帰還について。あの十二秒は国家機密だから、そこは創作だろうが。
「もっと、もっともっと先へ! 」。わざとなのか「地質学者と無職のロードムービー」としか書いてない。
前者から見始める。映画見て楽しんで良いのだろうか。存在価値だけじゃなく、罪悪感的な意味でも。
合成人が映画を見れる暇がある。彼に私は不要なんだろうか。彼のファイルで、テロも遺産のことも知っている。それ等は既にほぼ克服されたように見える。やはり手違いだったと考えるのが自然なのだが。しかし最初に会った時のあの表情を花子は懸念している。
映画が始まった。そして、数時間後。
蝉は今日もうるさい。昨日のように暑気に焙られ、俺は帰宅する。今日から買い物の重量が増えた。佐藤の朝飯のパンも買う必要があるし。
通用口を潜ると庭が殺風景になっていることに気付く。草が消えているのか。どうせ冬になれば枯れる。支援対象者に対してでもこれは元々不要だろうに。
家に入る。床が光を反射している。どれだけ雑巾がけしたんだ。元自宅の床を思い出す。堕落や依存しない程度ってなんだよ。
居間から何か聞こえてきて驚く。誰かが居る家に帰るのはあの日以来だ。ノックしたが反応がない。静かに戸を開ける。佐藤は部屋の隅でヘッドホン着けてPCを見ていた。そっと画面を覗く。
あれ見てんのか。何も聞こえない訳だ。現在の場面からすると後三時間以上ある。終わる頃には二十時だ。作品の長さの逆算スケジューリングを忘れて見始めるとよくこうなる。
この間に風呂は、いや。家事やってくれた奴が一番に入るべきか。廊下を挟まない隣の物置部屋に移動する。ここも綺麗だ。そこにある本を読み始める。十八時半辺りで泣き声が聞こえて来た。多分あのシーンだ。俺もそこで泣いたから分かる。二十時にも泣き声が聞こえた。終わったようだ。
泣き声は廊下にまで響いて来る。多分返事は返って来ないのでノックせず入る。
「〇※×▼¶! 」
そんな泣き声を上げて佐藤が歩いて来た。その中から「おかえり」と聞き取れたので「ただいま」と返す。この挨拶も違和感がある。
「掃除ありがとな。綺麗になった」
「どっちも神映画だぁああ」
二作観たらしい。掃除の礼は良いらしいのでその話に乗る。
「意識オフにしなくて良かったろ」
暴行した連中もその機能は知っていただろう。だからハードルが下がったのだろうか。知らなければ、もしくはその機能がなければしなかったのだろうか。
「最っ高。体感時間一瞬だった」
オフになるから良い訳じゃない。こいつ等は人間みたいに泣けるのだから。苦痛に苛まれる間だけでなく、こうして心が動かされた時だって。
「なんでエーキチが泣きそうな顔してるんだ」
「その映画を思い出したからだ。風呂行って来い。涙で顔面が酷いぞ」
「けど」
一番風呂と料理の話だ。
「そうしたら僕が助かる。お前が上がったら僕も入ってそれから飯だ。その後はあれのシーン追加版見ながら語る予定だ」
佐藤は風呂場までダッシュする。鞄を忘れて行った。替えの下着等入っているだろうに。シャワーの音が止んでから脱衣所に鞄を入れた。
「覗くなよ……? 」
誰が人形に欲情するか。それ以前に不法侵入未遂の馬鹿だ。鞄を置いておくと一声かければ良かったな。
「ちゃんと、ゆっくり入れよ」
ついでに一応言っておく。早く語りたいが為に早風呂からの湯冷めされると面倒だ。
この間に料理する。頼む予定だったが、風呂上りに汗はかかせられない。冷蔵庫を開ける。ハムを豚肉代わりにしてお好み焼きにしよう。レタス千切ってそこにハム乗せてもう一品。味噌汁でもう一品。一枚焼き上げると、丁度佐藤が上がって来た。昨日と同じジャージ姿だ。但し髪が濡れたままだ。
「お先。なんか良い匂いがするから超慌てた。後鞄ありがと」
「ドライヤーしろ」と脱衣所に追い返す。帰って来たら残り二品の調理を頼んだ。これで存在価値とやらも果たせるはずだ。
さて風呂だ。脱衣所に入る。何かの薬品の匂いがした。合成人の分泌物か。湯に浸かると感触が違った。これも分泌物かと思ったが、単に更湯でなくなっていただけのことだった。久し振りだった。あれの前日くらい、いやいや考えるな。
上がると夕飯が完成していた。
「助かった。頂きます」
「気にするな」
ちゃんとした料理を誰かと自宅で食うのもあの日、だから一々考えるなって。俺の馬鹿。
「食事中だけどちょっと良いか? 」
「一々断わんでも大丈夫だ」
「部屋を交換して欲しい。そちらの部屋の方が狭い」
一畳分も変わらないが。それ言っても納得しないだろうから、
「お客様を狭い部屋に寝かせられない」
これでどうだ。断るとホスト側の面子を潰すことになる。
「厚意に甘えさせてもらう」
「そうしろ」
話は終わる。また食べ始める。暇させては悪いので佐藤にはあの映画の特典映像を見てもらっていた。
食べ終わる。
「ご馳走様でした。旨かった。ありがとな」
ぁあ。との生返事の後「旨かったなら良かった」と佐藤は言った。
映画を観始める。現在二十一時二十分。シーン追加版は五時間ある。終わりは深夜二時二十分だ。……泣きそうな顔の誤魔化し方をミスった。
「やっぱ感想トークにしね? 」
超嫌そうな顔だ。しかし合成人だからか、こいつがそんな質なのか「嫌だ」とは言われない。気持ちは分かるので再生開始。
「もっと、もっともっと先へ! 」。最大でも二ヶ月後に地殻変動で地球が滅ぶことを突き止めた地質学者の老爺ジョン。しかし信じてもらえず絶望する。そんな時たまたま出逢った無職オッサン、ケインと滅びまでボロ車で旅することに。
物語終盤、二ヶ月は過ぎた。それでも悲観も悲嘆もなく旅は続く。
≪ケイン、実はもういつ滅んでもおかしくない≫
≪それは笑えるな≫
≪行ける所まで行こうじゃないか≫
≪ああ。もっと、もっともっと先へ! ≫
≪それ恰好良いな! ≫
二人の言葉が重なる。
≪もっと、もっともっと先へ! ≫
草原の真ん中を走るボロ車が映る。エンドロールが始まって終わる。
その後のシーン。ボロ車が走っている。画面に砂嵐が混じる。画面が歪む。暗転する。終わる。
三十秒程放心状態で余韻に浸ってから。
佐藤が一気にまくし立てて来た。監督の想いとか俳優の表情とか脚本の妙とか。……今から感想トークするんだぁ。だが語れるのは嬉しい。意見が違う部分では論戦しつつ、夜は更けていった。