第一章 第四幕:警戒
第三幕の少年視点です。両者の思考の違いを御楽しみ下さい。
最近見た手配書に顔が似ていたことから、この男を連れ帰ってきた。
元々見捨てられる性質でもないのだが、金銭面を考えると如何とし難いものがある。
安定した職についているわけでもない為、自分だけで手一杯の生活なのだ。
だのに男が倒れた理由は、栄養失調。
彼の事情から考えても、ろくに食物を摂取していなかったに違いない。
何といっても追われている身なのだ。
今作っている飯だけで足りるかどうかも危うい。
そう思っていると、男の瞼がふっと持ち上がった。
起きたばかりの虚ろな眼で、現状を把握しようとしている。
男は視線を横に滑らせると、自分を見て瞠目していた。
がばっと勢いよく跳ね起き、近くに置かれていた刀を掴んだ。
「ああ、起きたのか?」
一瞬驚いたが、すぐに事も無げにそう言った。
自分を見て瞬時に刀を掴む反射神経には確かに目を見張った。
だが立てはしないだろう。
すぐに視線を落とし、焦げないように目の前にある鍋を掻き混ぜる。
「貴様っ…誰だ!?……っ!?」
男は警戒して、脅しに抜刀しようとした。
だが、ふらりとよろめき、そのまま床に再び倒れこんだ。
あれだけ衰弱していたというのに急に立ち上がっては、眩暈を起こすのが当たり前だ。
それにしても思った通りのことを起こす男である。
訳がわからず唖然としているので、溜息をついて男へと視線を向けた。
「栄養失調だ。大方、何日も食べていなかったんだろう。動かずにじっとしていろ」
掻き回していた鍋は、よく煮詰まったようだ。
それを確認して立ち上がり、水場から二人分の椀と箸を持ってきた。
出来上がった雑炊を椀によそい、男に差し出す。
作っていたのは、具として猪肉と野菜を入れた簡単な雑炊だ。
男が中々受け取らないので、警戒しているのだろうと思い起こす。
ならばと安心させるように、箸と共に男の前の床に置いて笑った。
「雑炊だ。こんなものしか今は作れん。毒など入っていないから遠慮せず食え」
そう言って先に雑炊に手を付ける。
その方がきっと信憑性も増して、食べやすいだろうと思ったからだ。
案の定、男はその姿を見ると、椀を手にとって一口入れた。
始めは恐る恐るといった風だったが、次第に早くなっていく。
それが動物に似ていると感じて忍び笑った。
「まだあるから、好きなだけ食っていいぞ」
結局三人前はあろうかという量を男は平らげた。
その事に満足して片付けてくると言い、障子の向こうへと片しに向かう。
男を見ていたが、あの容姿から手配されている男に間違いないようだ。
自分と似たような境遇の彼を助けられて良かったとも思う。
だがあれだけ警戒されていると、納得させるのは難しそうだ。
それでも全てを話す以外に方法はないだろう。
結局そこに行き着くのかと、思わず深い溜息を吐いた。
とりあえず茶を入れ、部屋へと戻った。
先程と同じ処に腰を下ろして胡坐を掻き、茶を勧めてまた先に一口啜る。
男はその間も警戒心剥き出しで、此方を見ていた。
だが逆もまた然りで、此方からも茶を啜りながらも洞察した。
歳は確か自分と同じだったと思うが、何分背が高い。
運ぶのにも多少の苦労を強いられた。
そんなまだ成長途中であろうことに、少し劣等感を持たずにはいられない。
何しろ自分は十三、四くらいの子供にしか見えないのだから。
男が此方を凝視しているのに耐えられず、何とか説得しようと笑みを浮かべた。
「そう警戒するな。俺は浅間に付くものではない」
「!…確証がない」
男は初め名に反応し、驚いた顔をしていたが、すぐに端的な言葉を返した。
飯をあれだけ食べておいてそれはないだろうと思わないでもない。
あのまま置き去りにしておいても良かったのだが、間接的にだが知っている人物で、尚且つ自分と同じ境遇の目的を持つ者だからこそ助けたのだ。
だが警戒するのも尤もなので、気付かれないように小さく溜め息を吐くに留めた。
「俺はお前と同じ目的を持っている。これは確信だ。無関係な奴を助けるほど自分もお人好しではないからな。これでどうだ?シンゲツ」
「っ!何故、俺の名を…!?」
男が更に警戒心を強めたことが伝わってくる。
心の中だけで逆効果だったかと悔いる。
ひしひしと感じながらも、茶をまた一口飲んでから口を開いた。
「何故って、最近一番熱々の話題だからだ。菟田野家に異国被れがいたことが発覚し、現在その者は逃走中。名をシンゲツ。齢十七で、青の瞳を持つ男…とな」
片目を眇めて、シンゲツの目を見ながらそう言ってやった。
安易にそれが証拠だと言っているかのように。
其処には隠しようのない青い双眼があり、自分を見ている。
シンゲツは今更気付いたのか、あっと声を洩らした。
目の前にいる男の頭脳は子供並み。
ずっと軟禁生活を送っていれば、当たり前と言えば当たり前だが。
「それにしてもシンゲツってどの字だ?新たか?それとも神か?」
どっちにしてもご大層な名だな、などと話を勝手に進めていく。
話をずらしたのは、そんなに触れて欲しくない事柄だろうと思ったからだ。
思い出したくも無い、近い過去のことだから。
更に離そうかと思ったが、シンゲツは名の話に止めに入った。
「どっちでもない。シンは紳士の紳。母が付けてくれた俺の宝だ!」
「ほぅ。優れ、誉ある人物になるようにってところか」
「…え?」
「まぁ、何でも良いんだがな。呼ぶのに字はいらぬし。で、俺の信用は上がったか?」
名に込められていた意味が当たっていたらしく、紳月は驚いていた。
名が宝なのは自分も同じだが、今は先に話すべきことがある。
驚く紳月を捨て置いて、話を進めようとした。
それも、にこやかに。
少しからかってみたかったのかもしれない。
案の定、そこで紳月は我慢の糸が切れたようだ。
「何でも良いとか言うな!それに余計に怪しいわ!第一、お前は誰だ!!」
そこで初めて名を名乗っていなかったことに気付いた。
言われなかったらずっと忘れていただろう。
自分らしからぬ単純な誤りに、くつりと苦笑を漏らした。
「ああ、言ってなかったか。俺の名は嘉月。伊佐美嘉月だ」
久々に名乗る名前は懐かしく、
また、自分のものじゃないように感じた――――。