第五章 第十二幕:雇用
相手に勘付かれるな
心を読みつつ計画をやり通せ
三年間望み続けた
その願いを叶えるために――。
移動中、何も会話をなさぬまま、明智と鳶爪は目的地へと辿り着いた。
と言っても廻廊へと上がる事はなく、今は地面の上だ。
明智も戦闘で汚れている上に、鳶爪などは全身血塗れのまま。
こんな状態で義政の居る部屋に上がれるわけもない。
本来ならば着替えるべきだが、不測の事態という理由で乗り切れるだろう。
明智は心を一度落ち着かせてから、息を吸い込んだ。
「義政様、穢れ故に庭園より失礼致します。明智光秀、事態を収め再度参上仕りました」
ぴたりと閉じられた障子に向かい、参上の旨を紡ぐ。
そして誰かが出てくる前に、明智は片膝を付いて頭を垂れた。
鳶爪はその横に静かに腰を下ろすも、礼を取る事は無かった。
それとほぼ同時に障子が開かれ、前方両脇に武将と軍師を従えた義政が顔を出した。
三人は視線を鳶爪に向けた途端眉を顰め、初めに口を割ったのは義政だった。
「明智よ、本当に其奴が鳶爪か?まだ子供ではないか」
「武器や攻撃法を見ても、まず間違いなく」
怪訝に眉根を寄せる義政に、明智は淡々と返した。
確かに彼の若さからこれだけの被害を齎したとは考え難いだろう。
あの凄惨な光景を見ていれば一目瞭然だが、この場の人間でそれを見たのは明智のみだ。
確かに本人だと告げると、義政の片脇にいた武将の松尾が眉を顰めた。
「連れてきたということは、大丈夫なのだろうな」
「ええ。殿に審議を願いたく、是へ連れて参りました」
大丈夫とは暴れやしないかということだ。
視線で縛っている手を示し、武器も持っていないことの安全性を伝える。
松尾はその事実を見とめ、ほんの少しだけ警戒を解いた。
ただ見極める役目を持つ軍師である菅原だけは、疑いを持ったまま目を細めた。
常に疑いを持ち続けるのは軍師としては当然のことだ。
さすがに重鎮とされる男だけあって、その眼光は厳しい。
彼は明智までも疑いの範疇に入れ、鋭い視線を向けながら静かに口を割った。
「鳶爪よ、あれだけ暴れて此処へ来たのは人を斬りたいが故か」
「……否。力、求めて……」
間を置いて紡ぎ出された意外な返答に、誰もが眉を寄せた。
あれだけのことをしたとなると復讐をしに来たとしか考えられない。
皆がそれを視野に対峙ていたのに、彼はそうのたまった。
「怨恨はないと?」
「ない…。欲しいの、力だけ……」
疑惑に満ちた菅原の問いに、鳶爪は何処か眠そうにうつらうつらしながら返す。
周りに味方は一切いないというのに、状況をまるで理解していないような余裕の態度だ。
縛られている事すらも、気にした素振りもない。
堂々としていて大物とも言えるが、馬鹿とも言える。
今にも閉じそうな眼だった鳶爪はふいにあっと呟いて顔を上げた。
「忘れてた……。あと、経験値……」
それだけ言うと、一人納得して頷いた。
もう此処まで来ると、ふざけているとしか思えない。
怒りを一番に表したのは松尾だった。
「力だの経験だのと…!貴様はその為だけに幾人もの人を葬ったと言うのか!?」
言葉には出さないものの、菅原の目にも憤りが感じられる。
ただ一人少しだけ事情を知る明智だけは、一体何を言うのかと鳶爪に視線を投じた。
びりびりと空気を震わせる威圧する視線の中、鳶爪はふいに肩を震わせた。
顔は俯いていて分からないが、気圧されたのだろうと誰もが思った。
だが次第にくっと押し殺した声が聞こえ、彼が笑っているのだと気付く。
「く、ふは…ひゃははははは!」
次の瞬間、鳶爪は声高らかに嗤った。
狂ったように笑い続ける彼には、先ほどまでの無気力な空気は微塵も無い。
突如豹変した男に、四人は暫し唖然とする。
中でも短気な松尾は、それに頭に血を昇らせた。
「っ!何が可笑しい!」
「ひゃは!だって何を言うのかと思えば、とんだ綺麗事じゃぁん!これが笑わずにいられるってぇ?」
「何だと!?」
未だに笑いながら言う鳶爪に、松尾は刀の柄に手を伸ばした。
さしもの明智も、急に性格が変わって強気に語り出した鳶爪に驚きが隠せない。
自分と話していた先程までは、片言で感情の起伏など乏しかったのに、今はどうだ。
よく回る間延びした口調に、狂気的な笑い、蕪村な態度。まるで別人のようだ。
彼は伏せていた顔を上げると、人を食ったような目で見て、歪んだ笑みを浮かべた。
「冷酷・残忍・非道と三拍子揃えて囁かれる東国の殿に、忠誠を誓って長く仕える重鎮が、部下をたった数人殺めた程度で何を綺麗事を抜かしてんだっつーのぉ!この乱世、強さこそが全てだろーがぁ!」
並べられた言葉は辛辣なものだった。
人を殺すことを何とも思わない。自分に歯向かう者は即刻打首に処する。
それがこの城の主である浅間義政のやり方だ。
先程の怒りに任せて松尾が吐いた言葉は、自らの行いを否定すること。
ひいては、それを命じた殿を否定するのと同意だ。
それに感づいて、二人は反論出来ずに言葉を詰まらせた。
鳶爪は勝ち誇った笑みを見せ、その二人の奥にいる義政へと視線を移した。
「まぁ、力はただの余興に過ぎないなぁ。実は殿様にお願いがあってさぉ」
「余に願いだと?」
「ひゃは。そうそう!俺を浪人として、此処で雇ってもらいたいんだよなぁ」
他の二人を無視して、鳶爪は笑みを湛えたままそう宣言した。
言葉遣いは相変わらずで、明智はいつ義政から処刑宣告がなされるか気が気ではない。
内心だけで動揺して口を出そうとした矢先に、重鎮二人が声を戻した。
「っ!馬鹿か、貴様は!それにその無礼な物言い!口を慎まぬか!」
「殿のお膝元を荒らした危ない奴を、雇うはずがあるまい!」
「乱闘は力を示すために行ったまでだしぃ。俺の強さは負傷者に聞けばわかんだろぉ?」
承認とするために殺さずに生かしてあるのだから。
重鎮が驚きで目を丸くし、真偽を問う視線を明智に向ける。
明智はそれに頷いて肯定を返した。
あそこに転がっていた武士達は怪我こそあれど、確かに死人は一人としていなかった。
「此処の主である浅間義政様は、戦を好むって聞いてんだけどねぇ。数多く流れる噂からもそれは明白ぅ。対し、俺が望むのは多く人斬りをなすことぉ。利害は……一致してるんじゃないのかねぇ?」
雄弁に語る鳶爪は、にやりと笑みを浮かべた。
そんな彼に対し、義政は信じられぬ言葉を口にした。
「その申し出、棄却した場合は何とする?」
「殿……!」
それは承諾の意思を仄めかす心の揺れ。
慌てて菅原が静止の声を掛けるが、義政はもう鳶爪しか見ていなかった。
鳶爪はふと口元に笑みを湛えると静かに口を開いた。
「てめぇに棄却なんて選択肢は、ねぇなぁ!」
そう言い放つと同時に、彼の動きを封じていた縄が地面へと落ちた。
それには縛った本人である明智を含め、全員が驚いて目を見開く。
すぐ我に返った明智が雅から借りたままだった脇差を鳶爪に向けて振り抜く。
だが人を斬る感触はなく、金属の擦れる音が響き渡った。
「っ!あれだけが武器ではなかったんですね……」
「我が名は鳶爪!そう名付けられた真の由来はコレなんだよぉ!ひゃはは!」
明智はその返答に自らの考えの甘さに眉を顰めた。
繰り出した脇差を止めたのは、指に填められた銀色に輝く鉄の爪。
刀を挟むように人差し指と中指で抑えられていた。
「これこそが本来の武器ぃ!名を“彪爪”……!」
何処に隠し持っていたかは分からないが、縄を切ったのは“彪爪”というこの爪だろう。
中距離攻撃型の鉤爪だけが武器であると錯覚し、油断していた。
彼が“徳永家”であるならば、小型の飛道具や近距離攻撃型の暗器こそが本来持つべき武器だというのに。
気持ちに合わせて明智の刀を押す手に力が籠もる。
「明智……流れ、合わせて……」
と、急に鳶爪が明智にだけ聞こえる音でそう囁いた。
それは会った当初の口調だった。
驚いていると、鳶爪はふいに力を緩めた。
突然には対処できずに刀が簡単に往なされ、鳶爪のもう片方の手が繰り出される。
明智は何とか片足で踏み止まって、後方へと跳んだ。
瞬間。鳶爪の爪は眼前を横切り、間一髪で避けきった。
明智はすぐに体勢を立て直し、再び構えた。
鳶爪はそれを見ると爪を真っ直ぐ明智に向けて牽制し、口元に悪い笑みを刻んだ。
「認めねぇなら、それまで……此処の武力を削ぎ落としてやるよぉ!」
狂気に染まっていた目が、冷酷に煌いた。
明智はその目と対峙して睨みつけた。
その光景をただ見ていた義政は、ふいにくつりと笑みを漏らした。
「鳶爪。余を脅すか……面白い」
「なっ!殿、危険です!こんな危ない奴を」
二人が義政に説得をする中、明智はただ一人鳶爪を見て先程の言葉を考えていた。
流れとは初め攻撃のことがと思ったが、彼の目が違うと言っている気がする。
ならば、他にある流れとは――。
上官の遣り取りを耳にしながら、明智は一つの答えを思い浮かべる。
すると、鳶爪に答える代わりにゆっくりと瞬きで返され、明智は息を吐いた。
「殿……、私は彼を雇う事に賛同致します」
「どういうことだ、明智……」
突如割って入ってきた、先程攻撃を食らっていた張本人の言葉に、菅原は目を剥いた。
対する明智は構えを解くと納刀し、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「仮に此処で断ったとします。彼は縄を自力で解き、今は自由の身。宣言通り、戦力を削ぎ落としていくでしょう。さて、その後はどうするでしょうね?」
「また捕まえて、極刑に処せば良かろう!」
「!……否、無理だな」
菅原は明智が言わんとしていることを察し、そうかと唸って剣呑に目を細めた。
対する松尾は理解できず、ただ自分を否定されたようで、どういうことだと牙を剥く。
だが菅原はそれを気にすることなく、鳶爪を睨んだ。
「先の明智との攻防を見る限り、奴は素早く、狡かしこい。我らには向かって来ずに、兵を減らしに向かうだろう。あとは逃げ遂せて終いだ」
武術においてはお主の方がわかっているだろう、と菅原は松尾を見た。
そう言われてしまえば武将である松尾は、ぐうの音も出ない。
明智はそれを見て、薄っすらと笑みを浮かべ、そしてと言葉を継いだ。
「彼はまた殺し場所を求めて、別の宿木を探すこととなります。その結果、どこぞの敵に多大な戦力を与える事となりましょう」
それだけは一番あってはならない、由々しき事態だ。
彼を捨てるのは、折角飛び込んできた宝を自ら手放すようなもの。
彼一人が及ぼす戦力の増大は、時代に多少なりとも影響を来たすほどに大きいだろう。
「それに……明智が出て生きている男だ。此奴が居れば我が軍は千人力だろう」
義政も戦に関してはわかっているようで、そう口にした。
鳶爪は此方に選択を与えてはいるが、既に道は一つしか用意されていなかった。
最悪を防ぐには此処で雇う他ないのだ。
それが、彼の思惑だとしても――。
菅原と松尾も不承不承の呈で納得し、義政に御決断に従うという意で礼を取った。
それを見た義政は、扇を広げると碑げた笑みを浮かべた。
「人を何とも思っておらぬ、その残忍な心……気に入った。本日よりお前を雇おう」
「ひゃは!話が分かるじゃん!必ず考え以上の働きをみせるって約束してやるぜぇ」
鳶爪は満足気ににぃっと口端を吊り上げた。
そしてこの時、彼は初めて膝を折って、正式な礼を取った。
ただし貴族のする綺麗なものでなく、体裁上覚えた市井の者達がする粗雑なものだが。
鳶爪は伏していた顔を上げて、真っ直ぐに殿を見据えた。
「我が名は恒閑。だが、鳶爪と呼んでもらいたい」
「……名を捨てると?」
「折角広がった名だぜぇ?利用しない手はねぇだろぉ?」
確かに知られていない名を名乗るより、恐怖の代名詞となった名を使用して戦の地に立った方が、他軍に力を知らしめるのも武士としての格が成り上がるのも早くなる。
何も考えもなく此処へ乗り込んできたわけではなく、爪の準備といい、よく考えている。
義政は扇を開いて口元を覆い隠した。
「いいだろう。では、鳶爪を誰に付けるかだが」
「それならば殿、明智に任せては如何に御座いましょう」
「なっ!?」
義政の発言に、すぐさま菅原が言葉を返す。
だがその内容に自分の名が出されたことに驚いて、明智は声をあげた。
珍しくも動揺する明智を見ると、菅原はふと口元を歪めた。
「鳶爪も大した策士の模様。ならば同系の明智の下で戦略を学ばせれば、更に力を得るかと……。何かあった場合でも、明智ならば力技で対処できますれば」
それを聞いた松尾は成程、と意地の悪い笑みを浮かべて同意した。
対し明智は眉を顰め、思わず舌打ちしたい衝動に駆られた。
二人の重鎮が成そうとしているのは、体のいい押し付けだ。
鳶爪は仕えることになったとはいえ扱いが厄介で、いつ暴れるとも知らぬ危険人物であることに変わりはない。
だから二人は、面倒事は気に入らない者へ、上手くいけば明智も落とせる、と考えたのだ。
「それはいい。任されてくれるな?明智よ」
気乗りした義政がほぼ断定された問いを明智に投げ掛ける。
明智にとっても鳶爪は知人ではあるが、その言動は掴めない。
だが断る術など何処にもなかった。
「殿の御命令とあらば……」
明智はいつも通りの偽笑を浮かべ、深々と貴族の礼をとった。