第五章 第十一幕:鳶爪
記憶が奮い起こされる
脳裏に焼き付いた一人の少年の姿
忘れるはずがない
全てを見透かすその眼を――。
雅と武官でそんな遣り取りがなされているとは知らずに、明智は鳶爪と対峙していた。
転がる武官を避けて進み、絶妙な間合いで立ち止まる。
終始俯き加減で顔を見せない相手に、脇差を抜刀して刃の先を向けた。
「あまり部下を減らさないで頂けますか?」
一度も血に濡れていない綺麗な直刃が日光を浴びて煌く。
雅自身が城に来てから鍛えた、最初でおそらく最後になる刀だ。
いつでも立ち向かえるように構え、相手の動きを探る。
だがこれだけ多くの血を流させる人物なだけにそんな牽制だけでは身動ぎ一つしない。
そんな中、鳶爪の口だけがゆっくりと開いた。
「やっと、会えた……。明智、光秀……」
その台詞に明智は目を細めた。
其処から察するに相手は雅が言うように本当に自分だけが目当てで此処に来たという事だ。
他の武官などを傷付けたのは、おそらく誘き出すため。
明智は頭で考えながら、表面では口端を吊り上げた。
「おや、私を御所望でしたか。それは遅くなって失礼しました。それにしても……」
顔まで御存知とは光栄ですね。
明智がそう言うと、鳶爪はぴくりと肩を揺らし、初めて動きで反応を見せた。
軍師として有名と言えども、実際に知れ渡っているのは名前だけなのが現状だ。
軍師は戦略を練るために戦場へと視察に赴くことは多々あるが、全て本陣に留まって作戦を立てるだけで戦いに身を投じるわけではないため、顔を晒す機会などはない。
故に顔を知っている者は、浅間藩に属する者達と家族、そしてもう一つ――。
「明智……、高官……?」
片言での独特な話し方で、鳶爪は新たに話を切り出してきた。
それにくつりと笑みを漏らし、明智は刃を攻めの構えに切り替えた。
「ええ、それなりに……。自分がお相手では不服ですか?」
「否、充分……」
短い返答の後に、突然彼が眼前から消える。
否、そう見えるほど早く移動しただけだ。
次の瞬間には鳶爪は明智の隣へと現れ、隠された刃を振るった。
寸でのところで地を蹴って避けると、腹部を軽く掠って衣が破ける。
休むことなく襲い来た第二撃目は、脇差を払って力を往なしながら後方へと飛ぶ。
金属音が反響する中、二人は互いにまた一定の距離を保って拮抗した。
鳶爪が武器を若干下げたところを見て、明智は破れた衣を見下ろした。
「武器は鉤爪。三本に残された傷跡が猛鳥の爪に見えることから鳶爪ですか」
「……そう」
一拍の間をおいて、鳶爪は首肯した。
明智はそんなやり取りと、武器に何処か懐かしさを覚えて首を傾げた。
一体何処で見たのだろうか。
此処一年の事ではなく、もっと昔に……。
「覚え、ない……?」
抑揚のない声で問われたことは、まるで思考を読まれたようで驚く。
しかもその時、一瞬だけ悲しそうな雰囲気を纏ったのは気のせいだろうか。
「……違う」
鳶爪は短くそう呟いたかと思うと、再び地を蹴った。
連続して斬り付ける攻撃がなされ、少し油断していた明智は防戦一方となる。
暫し定期的な金属音が響き、明智は動きの旋律を読んで反撃に出ようと手に力を込めた。
「……右」
「なっ!」
今まさに攻撃しようとしていた方角を読まれ、驚いた。
もう動き始めていた手は止まらず、動揺して緩まった手から脇差が簡単に弾かれる。
それによって手持ちがなくなったが、容赦なく攻撃は迫りくる。
明智は咄嗟に懐へ手を差し入れ、敵の胸へ深く踏み込むと同時に振り抜いた。
新たな鮮血が滴り落ちて、地面を染める。
「……鉄扇……?」
そう呟いたのは鳶爪で、その瞬間ぱさりと裂かれた布が落ちた。
ようやく顕わになった彼はやはりまだ精悍とは言えない、十七、八の青年だった。
目は眠そうに垂れており、髪は肩ほどの長さで癖があるのか外にはねている。
そして頬には一線の真新しい傷が付き、絶えず血を流していた。
一方、無傷で済んだ明智は本来の武器である鉄扇を構え直す。
そして鳶爪の顔を正面からじっくりと見て、漸く彼のことを思い出した。
あの頃と違い、もう立派に青年と言えるようになった眼前の男。
だが、彼が自分の知る人物だとすると――。
「少々厄介ですね……」
彼と会ったのは三年と少し前のことだ。
そしてその彼とは狐黒とのように、不思議な関係を結んでいる。
他者と少し違った特異な力を持つ者だったが、鳶爪との今までの会話や行動から見るに、思い描くその人物と全て辻褄の合うことばかりだった。
(貴方は、三年前の……徳永の子ですか?)
確認の為に心の中だけでそう問い掛ける。
すると相手から他者には悟られない程度の僅かな頷きが返された。
声に出していないのに伝わった言葉。
それによって明智の中で、彼の正体が確信に変わった。
「貴方の目的を教えて下さいませんか?(あの日の約定通り、復讐ですか?)」
口と頭で別のことを問う。
すると彼は首を横に振り、一間置いて口を割った。
「此処、で……雇わ、れたい……。だから……力試し……」
明智はその返答に柳眉を気取られないほど僅かに動かした。
彼の行った動作は、頭の中で尋ねた質問に対する答えだと言葉との不一致さでわかる。
鳶爪が持つのは“真沁読心術”。
普通の読心術とは相手の動作から心を読む抽象的なものだが、彼の真沁読心術とは思考を相手の心から直に読み取る絶対的なものだ。
考えが声を聞くのと同じように聞こえているのだから、次に繰り出そうとした攻撃の軌道が読まれていたのは当たり前だ。
無心になって攻めない限り、彼に致命傷を与えるのは不可能だろう。
周りがこんな惨状になったのも相手を知った今なら頷ける。
「確かにこれなら簡単に力を認知させられますがね」
だが、と明智は小さく溜息を吐いた。
これだけ暴れて城内に被害を出せば、雇うという話の前に反逆と見做されて打ち首だ。
そんなことは少し考えれば分かるはずなのに、一体何を考えているのか。
それに、復讐でないとはどういうことなのだろうか。
三年前。明智は彼に怨まれて当然のことをした。
今でもその時の荒んだ光景と、走り去る彼の姿がすぐ脳裏に思い出される。
だが彼は心の問いに答えることなく、徐に武器をすっと下げた。
「他……意味、ない……。望み……、叶えるには……」
漸く紡がれたのは返答ではなく、先程までより言葉のはっきりした新たな宣言。
その目にはある決意を秘めた覇気が宿っていた。
暫し沈黙を続けて拮抗していたが、やがて明智は自らも緊張を解いて鉄扇を下ろした。
そして、諦めたように溜息を一つ吐いた。
「分かりました。私が殿に引き継ぎましょう」
「みつ……明智殿!?」
今まで静かに観戦していた雅から、驚きの声が上がる。
どうにか呼び方を訂正したが、其処からは動揺が感じられた。
これだけの被害を出した奴を雇うと言い出したのだから、それも当然のことだ。
だが、明智は疲労感を滲ませてそっと嘆息した。
「仕方ないでしょう。応じなければ、彼はきっとこの破壊行動を続けますよ?」
これを見ろと言わんばかりに扇で示した其処には、未だに転がる負傷した武官達の姿と、壊された生垣。それらの惨状が広がっていた。
確かにこれ以上の被害の拡大は避けたい。
明智が粘ったとしても、その戦いでまた周りに何らかの被害が出るのは必須だ。
雅が渋々の呈で納得して頷くと、明智は鳶爪に向き直って“但し”と前置きをした。
「これだけ暴れたんです。何らかの処罰がある事は覚悟して下さい。それと、雇う云々は御自分で殿に申請なさって下さい」
謁見させる以上の関与はできない。
此処まで来てしまっては、明智にももう庇い立ては出来ない。
滅多に護り動いては、此方の身が危うくなる。
以前なら死を構わないと思っていたが、今は死ぬわけにはいかないのだから。
それに対し、鳶爪は従順にも一つ頷いただけだった。
「解って頂けたようで何よりです。なれど、傍目ではやはり危険人物。そのまま殿と謁見させるわけにはいきません。……縛らせて頂きますよ?」
「ああ……」
戸惑いなく是と答えた彼は、本当に何を考えているのかが読めない。
表情が豊かでないからか、心を読める分自然と己の心も閉ざすようになったのか。
だがどんな反応をするにせよ、明智にとって彼が保護対象であるのには変わりなかった。
そう思うのも、三年前に得た真実としっかりと護られていた彼との約束がある故だ。
何の抵抗もなく手放されて、鳶爪の特殊な武器が地面に突き刺さる。
明智はそれから視線を逸らすことなく、後方に言葉を投げ掛けた。
「雅殿、縄をお持ちですよね?」
ほぼ確信しての問いは、唐繰を作る雅ならば時に動力となる縄を常備している可能性が高いからだ。
加えて此処は彼の仕事場なため、取りに行くのも容易だ。無いなら頼めばいい。
雅は溜息を吐くと、袖口に手を差し入れて望み通りの物を取り出した。
無言で手渡されたそれを礼と共に受け取り、明智は鳶爪に縄を掛けた。
「光秀殿……」
他者には聞こえないほどの小声で普段通りの呼び方をされ、明智は振り返る。
其処には不安げに顔を歪めた雅がいた。
明智は迷子の子供のようだと思いつつ、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫ですよ。……雅鍛工総司令長殿、此処の収拾をお願い致します」
後半、明智は急にがらりと空気を変え、周りに聞こえる声音で正式呼称を呼んだ。
雅もすぐその意図を理解して公共用に切り換え、上位に対する礼を取った。
「御意。また何かあれば、お申し付け下さい。他に、やる事があるだろう?」
「……ええ、頼りにしてますよ」
明智は気持ち前半の部分にのみそう答え、鳶爪を連れてその場を後にした。
後に残ったのは、明智が戦えることを初めて知って呆然と立ち尽くす武官と工官と、転がる負傷者に、壊された景観。
二人の背を見送りながら、雅には先程の返答が何に係っていたのが知れて、歯噛みした。
「また君は……、もう我慢してあげないよ」
七年間も密かに見守るだけで、待っててあげたんだから――。
にっと決意ある笑みを浮かべて人知れず呟くと、雅は微動だにしない彼らの意識を浮上させ、自分に出来る限り迅速に指揮していった。
兵達は一瞬戸惑いをみせたが、すぐに我に返って指示通り行動へ移して収拾していった。
「雅様、終了致しまし……って、あれ?雅鍛工長?」
全てが片付いた頃、一人が終了の報告をと雅を探して見渡す。
だが、もう其処に上官の姿はなかった。