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第五章 第十幕:騙欺


勉学が大好きだった


でも家の箴言は好きではなかった


何故、自分を偽らねばならぬのかと


だが今を繋ぎ止めるものは


皮肉にもその柵だった――。







明智は部屋から見えなくなったところで、人知れず嘆息した。

偽りの自分を作り上げる事には慣れた。

それでもあの話題の中、冷静さを保ちつつ嘘を吐くのには辛いものがあった。

壁に寄り掛かり、眉を顰めて締め付けられる胸を苦しげに押さえ込む。


「大丈夫……。まだ、大丈夫……」


自分に言い聞かせるように何度も呟き、瞼を閉じる。

口ではああ言ったものの、実際は狐黒を斬り捨てるなど出来ようはずがない。

だが、あの場面ではああするしかなかった。

狐黒はいつも築いている心の壁の内側へ入れてしまった数少ない人間だ。

しかし、それを上に感付かれてはならない。

親友の二の舞になることを防ぐ為に。


「冷静さを忘れることなかれ。まずは己が生きていなければならぬと心得よ」


幼少から家族に言われ続けた箴言を口に出し、心の中で反芻する。

ずっと軍師となるべく育てられ、一族で礎とされる言霊が身を縛る。

それと同時に、今はその(しがらみ)に助けられていた。

現在がまさに礎に沿わなければならない状況なのだから。


「あれは自分にしか出来ないこと。消えては意味がない……」


そう呟き、明智は手をきつく握り締めた。

まだ計画を終えてはいない。

明智には誰をどれだけ犠牲にしてでも、成し遂げたいことがあった。

そのためには“明智光秀”として冷酷な人間で在らねばならない。

狐黒は口を割らない限り、少なくとも一週間は処刑される事はないだろう。

明智は気持ちを入れ替える為に、深く息を吐き出した。


「……さて、今やるべき事を片付けますかね」


そう口ずさんで一次思考を追い遣り、眼前の問題へと頭を移した。

騒ぎの中心はもうすぐ近くにある。

明智は止めていた足を動かし始め、喧騒のする方へと進めていった。

だが向かう方角に眉を顰める。


「雅の作業場が近い……」


其処は武官よりも鍛冶師や唐繰師などの工作員が多い区画だ。

勿論、その一角には先程まで話していた雅の一寸独立した工房もある。

重鎮が義政の下に集結している今、その場で最も高官となるのは雅しかいない。

たとえ武官でなくとも、その地位から止むを得ず指示に駆り出ているだろう。

戦いの術を教えたと言っても、彼は本来戦う必要のない工作員だ。

それなりの武官には難なく勝てるくらいの力はあるが、戦闘狂としか思えない人を殺し慣れた辻斬りを相手にどれだけ保つか。

その事に思い至り、配慮の遅れた己を怨みながらも足を速めた。

草履を軽く引っ掛けてから地面へと足を付け、一本の柱を軸にして最後の角を曲がる。

瞬間飛び込んできた光景に驚き、次いで剣呑に目を細めた。


「これは……、随分な被害ですね」


予想を上回る惨状に、眉を顰めずにはいられない。

転がる武官の多さと飛び散る血痕が相手の強さを物語る。

その端には携帯できる折畳み式の小弓を構えた雅が立っており、明智の呟きが耳に入ったのか、此方を振り返って驚いたように目を丸くした。


「みっ……明智殿!どうして此方に……?」


「殿より私が騒ぎを収めてくるよう任を承って参りました」


いつも通りに光秀殿と呼びそうになるのを堪え、雅が公共用に言葉を言い直す。

それに合わせるように明智も比較的整った言葉で返した。

これは二人の間で取り決めていたことだった。

あまり関わりが深いことを公に曝すことは、近付き難いと言われている一匹狼な自分達にとって、互いに決して利点とはならない。

何か良からぬ策略を考えているに違いないと決め付けられるのが道理だ。


「明智……光秀……」


雅に歩み寄りながら明智が被害状況を確認していると、名を呼ぶ呟きが聞こえた。

其方へ目を向けると、転がる武官の中央に佇む一人の人物に行き当たった。

頭からすっぽりと斑に鮮血の付いた臙脂色の布を被っているため顔は窺えないが、その声からまだ歳若い男だと予測された。


「彼ですか?鳶爪と名乗る、件の辻斬りは」


「ああ。……武器は袖の中に。奴の狙いは……君みたいだ」


すぐ隣まで来た雅に尋ねると、肯定が返される。

そして後半は小声で言い難そうに囁かれた。

明智はその事実に苦渋で眉根を寄せた。

自分を狙って此処まで荒らしたということは、復讐だろう。

明智は雅の腰へと目を向け、表情だけ柔らかく、だがいつもより硬い声音を出した。


「雅殿。その腰にある観賞用の脇差、宜しければ御貸し願えませんか?」


「何も手ずから明智殿が御相手せずとも……」


戦う気かと雅のその目が語っている。

だが何を言われようとも、考えを変えるつもりはない。

明智の笑顔と雅の怪訝な顔が、僅かの間拮抗する。

明智が微笑んだまま手を差し出していると、雅が先に負けたとばかりにそっと嘆息し、渋々と腰帯から脇差を抜いて差し出した。


「これで宜しければ」


「有難う御座います」


明智は丁寧に受け取ると、雅に背を向けた。

そしてこの騒ぎの元凶へ向けて足を進め出した。

それを見た他の武官は目を剥き、慌てて明智へと声を掛けた。


「あ、明智様!そいつは危険です!」


「鳶爪のことは我等に任せて御戻りを……っ!雅様!?」


変わりに自分がと向かおうとする武官を、雅が一歩前へ出て手で制す。

それに驚いた武官達は非難の声を上げるが、返されたのは落ち着き払った声だった。


「今明智殿に近付いたら巻き添えを食らうよ」


「は……?しっしかし!明智様をお止めしなければ……!」


武官達はいつもと違う奇人変人でない雅を垣間見て戸惑い、更にそんな彼から発せられた台詞に疑いを持たずにはいられなかった。

文官である明智は戦う術を持たないというのに、巻き添えとはどういうことなのか。

この期に乗じて参謀長を死に追いやるつもりだとしか思えない。

彼等の考えを読み取って、ふと自慢気な笑みを漏らした。


「まぁ、君達は知らないだろうからね。……よく見ておきなよ」


彼が戦う姿なんて滅多に見られないんだからさ。

そう言い切った雅の表情は一切の迷いもなく、早々に余裕の観戦と決め込んだ。

武官達は躊躇しながらも同じように見守ることにしたようで、ざわめきが小さくなる。

ただ一人強さを知る雅は、戦いに向かう明智の背を見てひっそりと微笑んだ。


「殿の片腕と称される彼が、頭脳だけなはずないじゃないか」


頭の良さだけでは殿など到底護れない。

明智は武の力を持ちながら、そこへ戦略を組み込んで戦う。

戦いの最中で相手の動向や性情を探り、その都度の相手に見合った戦闘法則を瞬時に導き出すことが出来るのだ。

相手を知り、弱点を見極め、動揺を誘って一気に突く。

それを完璧にこなせるのは、雅の知る中で彼くらいのものである。

文武両道とは彼のためにあるような言葉だろう。

だが、信じていても心の何処かで不安が燻って拭えない。

雅は武器をしまい込み、唐を腕の中に抱き締めた。


「油断は禁物だよ、光秀殿……」


その呟きは誰に聞かれることもなく、ただ風に流された。


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