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第五章 第八幕:乱波


苦難が一つとは限らない


不とは大概重なるものだ


そして、それは今も降り掛かる


計画始動を決意した矢先


また一つ新たな乱風が吹いた――。







雅は静かな回廊で閉じていた目をゆっくりと開いた。

空にはまだ澄み渡った青が広がっている。

もうあれから七年――。

絶望したあの日から、雅と明智の付き合いは始まった。

時間がある時は武の稽古をつけてもらい、自分の身を護れる程度にはなったと思う。

職務に至っては兵器の開発に勤しみ、殿の信頼を得ることに集中していった。

誰にも文句を言わせず、些か失態や不備を起こしたとしてもすぐに首を斬られることのないような地位まで上り詰める必要があった。

そして現在は、努力で思惑通り“鍛工班総司令長”という最高責任者の座を勝ち取った。

全ては自分で仕組んだ計画のために。


「第一に今を生き抜かないと意味がない」


それが武力を望んだ自分に課した誓い。

明智と話すにつれて、隠したかったのだろうがその性格が見えてきた。

優しいことも、一人で戦っていることも、自分以上に苦しんでいることも。

終止の笑顔は仮面で、誰にも語ることなくその本音は心の奥底に押し込めていることも。

だからこそ彼の支えに少しでもなれたらと思ったのだ。


「まだ他の人よりは素で話してくれているのは分かるんだけどな……」


正直、信頼を得ているようでそれは嬉しい。

嬉しいのだが、雅は様々な感情を含んだ深い溜息をついた。

明智は何を言っても、肝心なところは語ることなくはぐらかすのだ。

何かに怯えているのか、深く心に入ろうとすると壁を作って拒絶される。

でも時折見せる哀愁に放っておくことは出来なかった。

きっと彼はそんな僅かな綻びに気付いていないだろうけども。


「本当は自分の方が辛いくせに……」


それを思うと胸が苦しくなり、雅は唐を抱き締めた。

今まで自分は何度彼に救われてきただろうか。

だから今度は自分が助けたい。

それが一番の願いなのに、彼は未だに一人で何でも解決させようとするのだ。

その事実が分かっているから、何も出来ない自分がもどかしくて強さを望んだ。

少しでも影で支えていける権力と、迷惑を掛けぬよう武力を。

雅は目を伏せるとくすりと笑った。


「……もうそろそろ、動く時かな」


そう呟きを洩らすと、雅はようやく立ち上がった。

先程の彼の荒れようから、もう精神は限界だろう。

雅には明智のように全体を見て策略を立てるという技は持ち合わせていない。

でも彼には出来ない技術がある。

彼の横に立てる地位を手に入れた今、残る望みはただ一つ。


「役に立ってみせるよ、―――の」


最後の呟きは風に攫われて消えた。

二人は秘密の共有をしていた。

此処では禁忌と言われ、死に直結するほどの秘密を。

教えられたあの言葉が、不器用で臆病な君の最大の信頼の証だと信じているから。


――今君を苦しめている根源を、僕が絶とう。


雅は決意を強く瞳に宿らせ、拳を握り締めた。

その時、城門の方が騒がしくなった。

それは徐々に近付いてきていて、怒声と悲鳴が混ざり合う。

雅は一体何事かとゆっくりと其方へ足を向けた。


「…だ!こいつ、鳶爪(とびづめ)だ!」


畏怖を含んで叫ばれた名に、雅は眉を顰めた。

聞いたことのある、最近では最も有名であろうその名前。

絶対に面倒事だと分かりながらも、現状把握や指示をしなければならない。

今だけ自分の権力を怨みつつ、雅は舌打ちを抑えて騒ぎの場へと踏み出した。


「一体、何事……っ!?」


「み、雅様……!」


雅はその光景に息を呑み、掛けられる部下の声には気付かなかった。

ぷんと漂う鉄錆の臭いが鼻を突く。

其処には決して弱くはないはずなのに、鮮血の海に転がる武士の群れがあった。

ある者は意識を失い、ある者は苦痛で呻き声を上げている。

そしてそんな彼等の中央には、頭から深く布を被った怪しげな者が一人立っていた。

全身を赤く染め、布から僅かに覗いた刃物からは他者の鮮血を滴らせて。

その一角だけがまるで地獄絵図のようだった。

雅に気が付いて体ごと向けていた侵入者は、首を動かしたのか頭の薄布を揺らした。


「様付け……、高官……?」


突然発せられた声は、歳若い男のもの。

男は緩慢な動作で此方を振り向き、僅かに覗かせた無感情な目で雅を射抜いた。

瞬間その視線に飲み込まれて、足が竦んだ。


「明智光秀……、何処……?」


抑揚のない声で紡がれたのは、護りたいと願う友の名だった。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



明智は高官しか歩く事の許されぬ廊下を悠々と歩いていた。

前方には部屋まで導く殿の小姓が一人だけ。

途中で会う自分より下官の者に頭を下げられながら、中央を落ち着きと威厳を持って行く。

床を擦る足音と、袴の捌きだけが静かに響いた。

入り組んだ道を進み最奥にある一層豪華な部屋に行き着くと、立ち止まる。

小姓は膝を付いて礼をとり、明智はただそれを高慢に見下ろした。


「殿、御公儀中失礼致します。軍師参謀長、明智光秀様が参られました」


そう小姓が室内へと言葉を投げ掛けた途端、早く通せ!との叱責が飛ぶ。

彼は慌てたように深く礼を取り、明智に恨みがましい視線を浴びせた。

急ぐ彼の歩幅に態とゆっくりと歩いていたせいだろう。

お前のせいで怒られた、というところか。

明智は深く息を吐き出すと口端に笑みを築き、小姓の促しに応じて室内へと足を滑らせた。

内を軽く見渡すと、奥に義政が陣取り、両の壁際には八人の重鎮が座していた。

部屋に入った途端全員に鋭い視線で射抜かれるが、明智は物ともせずに緩慢に礼をとった。


「明智光秀、只今御前に馳せ参じまして御座います。御呼びでしょうか、義政様」


「遅いぞ、この戯けが!昨夜からわかっておろう!二度呼ばぬと来れぬのか!」


「はて……。恐れながら、何の事か分かりかねますが」


明智はすっと伏していた顔を上げ、首を傾げた。

本当に分からないと眉尻を下げつつも、はっきりと問う。

その態度が気に食わなかったのか、重鎮の一人が怒り心頭で叫んだ。


「白々しい!分かっているだろう!」


「貴殿の配下、狐黒のことだ!」


一人目を初めに他の者達も口々に言い募る。

明智はその言葉に漸く合点が言ったように、ああと納得の呟きを洩らした。


「それですか。普段の仕事の上に、厄介事を撒いてくれた御蔭で周囲を落ち着かせる方が忙しく、裏切り者の弁護などに(かま)けている時間などなかったものですから」


明智は何ともない日常会話のようにするすると語っていく。

混乱に包まれる己の邸を治めるのに大分時間を掛けた。

夜中のうちに呼ばれていたのに、中々行かなかったのはそのためだ。

勿論、それすらも明智にとっては計画の上の行動ではあったが。

明智の言葉に重鎮のうちの誰かが、鼻で哂った。


「では認めるのだな?裏切り行為をさせたのは己だと」


周りの重鎮も勝ったとでもいうようにほくそ笑んだ。

邪魔な奴を漸く地に叩き落す事が出来るのだと。

若くして殿の左腕にまで上り詰めた明智は、此処にいる重鎮達にとっては邪魔者以外の何者でもない。

各々が内心で嘲る中、明智は小さく溜息を吐いた。


「何を仰います。私は今、裏切り者を救済する気など更々ないと申し上げたのですよ?」


「なっ!奴は、狐黒はお前の右腕とも言える忍だろう!?」


「それがどうしました?」


ばっさりと斬って捨てた明智に、彼らは言葉を詰まらせた。

まるで自分には関係ないとでも言うような物言い。

それは慕う者にとっては恐ろしく残酷な一言。

明智はその反応に不気味に薄く微笑み、眼鏡を軽く押し上げた。


「私が聖人でないことは、此処に居わす方々ならばよくよくご存知のはずですが?」


全員に思い当たる節があり、はっとした。

明智に纏わる噂に間違いはないことを、此処にいる誰もが知っていた。

自分の命令に背き、操れない者など策略に邪魔なだけ。

そうして部下や家族をも利用しては、情けも掛けず死に追いやることも厭わない。

眼前にいるのは、そんな冷酷で残忍にもなれる男だったと。

重鎮たちが息を呑む中、今まで黙って聞いていた義政が静かに口を開いた。


「では処刑しても構わぬと言うか」


「それが殿のお望みとあらば、どうぞ御自由に」


そう言うと明智は柔らかい笑みに切り替えた。

その普段と変わらぬ喰えない表情からはまるで真意が掴めない。

誰もがそう思う中、明智はなれどと続けた。


「一つだけ、お頼みしたく……」


それに義政は簡単に言ってみろと促した。

明智の実績には信頼を置き、何より言葉では敵わないとは理解している。

それ故に此処での遣り取りはいつも安易に事が進む。

明智は感謝の意を述べてから、すっと真摯に目を細めた。


「狐黒が何かを握っている可能性がある故、それを探り出してからにして頂けないかと」


裏切ったからには、それ相応の理由がある。

何か裏事情を知っていると考えるのが妥当な線だろう。

それに対し、明智と同じく軍師にあたる一人である菅原が口を割った。


「それは此方でも考えている。奴のせいで自害に逃がした餌は大きいからな」


死人に口無し。

何かを知っているとすれば、後は加担した狐黒しかいない。

忍であるが故に口は堅いだろうが、どうにかして割らせる必要がある。

問題はその拷問にすら耐えられる精神力を植え付けられた奴を揺るがす方法だ。

そう思っていると、見計らっていたかのように明智は微笑んだ。


「ならば……、私に彼の拷問へ立ち会う許可を出して頂けませんか?」


「なっ!そのようなこと出来るわけがなかろう!?」


一体何を言い出すのかと、菅原は声を荒げた。

最も近しい者に任せるなど出来るはずがない。

親しい分遠慮が出たり、何か良からぬ入れ知恵をする危険性を回避するためだ。

一番の頭脳を持つ明智光秀となれば、尚更そんなことは許されないに決まっている。

それは同じ軍師である明智が解らぬはずがない。

菅原の思った通り、明智はそれも尤もだと頷いてみせた。


「信用できないと思われるのは承知の上での発言です。なれど、近しい私なれば多少なりとも油断して口を割るかもしれない。そうは思いませんか?」


そう問われて、菅原は唸った。

確かに言っている事は的を得ている。

周りは既に傍観の形となり、義政の視線も結論を菅原に一任していた。

菅原はそれらを受け止め、不承不承で嘆息した。

功を奏すのかはわからないが、少しでも可能性があるなら。


「いいだろう。だが一週間で何とかしろ。それ以上は認めない」


「承知致しました。必ずや役に立ってみせましょう」


明智はそれに対して、不適な微笑を湛えて丁寧な礼を取った。

真意の読めない参謀に全員が一瞬奇妙な感覚に囚われる。

だがその直後のことだった。

外から怒号や喧騒が微かに聞こえてきたのだ。

声の大きさから城内で何かが起こっているのだとだけ推測する。

安全性を考えて最奥に置かれたこの主の部屋からは、全てを見る事が叶わない。

だから何事だと声を張り上げる義政に答えられる者は此処にはいなかった。



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