第五章 第五幕:虚勢
見た瞬間魅せられた
高貴な衣に
若輩ながら付けた禁色の腰帯に
優美な舞に
そして、悲しげな表情に――。
足早に部屋へ戻ってから、雅は中央にどかりと乱雑に座り込んだ。
思い出すのは先程、殿と交わした会話。
ふいと目を逸らせばその発端となった試作品を見つけ、怒りに任せて鷲掴んで壁に向かって放り投げた。
何かが崩れ、あるいは壊れたようで大きな音が響く。
だが其方を振り向くことなく、片手で顔を抑えて蹲った。
「くそっ!何で……!」
己が作り出した発火装置。
それをあの殿は銃の着火に使ったと言った。
人の私生活が楽になるようにと造ったというのに。
確かに此処へ勤めると決める前からわかっていた。
城に仕える以上、武器となる兵器の開発も行わなくてはならないことは。
実際、命じられて手伝ったこともあった。でも。
「僕が……殺した?」
己が戦場に立ったわけではない。
だが間接的にであれ、その殺すに到る武器を作った火種は紛れもなく自分自身だ。
造らなければ死なずに済んだ人がたくさん居た?
否、自分がいなくとも武器の作り手は幾らでもいる。
別の武器でもって撃てば良い。
なれど、あの唐繰りはたった一つしかない自分の作品だ。
「僕が居なければ、存在しなかった物……」
あれだけ父親が刀鍛冶をしていることに嫌悪感を抱いて飛び出したのに。
その時行き当たった現実に愕然とした。
結局自分も父と同じではないか、と。
研究開発をするために金を望み、場所を求め、人を死に至らしめる手伝いをしたのだ。
「僕は……!」
一体どうすれば良い?
葛藤が頂点に達した時、すっと頭が冷えて一つの答えが浮かんだ。
自分も……死ねば良い、と。
「そうだ……。僕が死ねば造り手もいなくなる……」
思考を働かせるうちに、いつの間にか雅はふらりと外へ出ていた。
人通りのまるでない雅の作業場周辺は静かで、出歩く姿に気付く者は一人もいない。
一層のこと、このまま姿を晦ませてしまおうか。
絶望しか生まれないこの世界から己の命を投げ打つことで。
そう思った時、人為的な風を切る音がした。
どうしようと思ったわけではない。
ただ足は自然と音のする方角へと運んでいた。
「……っ!?」
それを視界に納めた時、雅は一瞬で目を奪われた。
其処にいたのは舞を踊る一人の青年だった。
彼は雅と同じくらいの年頃に見えるというのに良質な文官の衣を身に纏い、腰帯に使用しているのは禁色の深紫という高官の証。二色の朱珠が付いた赤い結い紐で高い位置で一つに結われた長髪が動きに合わせて揺れる。
両手には深紅に金と銀で装飾の施された扇を持ち、今世の戦乱を感じさせないほどに緩やかな動作で優美な舞を見せていた。
ただその表情は何かに耐えるように曇っていて、哀愁を匂わせていることを残念に思う。
しかし、だからこそ目が離せなかった。
雅が姿に見入っていると突然顔の横を何かが横切り、こっという音を耳にして視線を其方へと向けて、そこにあった物に目を瞠った。
「其処に居るのは誰です?」
少しだけ丁寧な敬語で、凛とした声が初めて青年から放たれた。
こんな声なのかと思ったのは、きっと現実逃避だ。
今視界に入っているものは何故か木に突き刺さった一つの扇。
「さっさと出て来たらどうですか?」
その声に視線を向ければ、此方を真っ直ぐに見据えた青年がいた。
先程まで両手に握られていた扇は、今は一つしかない。
そして、その消えたもう一つは紛れもなく隣にあるもの。
彼の視線や攻撃の軌道から、言葉を向けているのは自分だと認めるしかないだろう。
僕はこんな時にも律儀に鉄扇は返すべきかと抜き取り、仕方なしに姿を曝した。
「盗み見る行為は関心しませんねぇ」
彼は僕の全身を隈なく見ると、上辺だけの笑みを浮かべた。
確かにあれは隠れて監察していたようなもので、罪悪感はあった。
だが言い訳もさせて欲しいと、僕は罰悪くも口を開いた。
「悪いね。でも人工的な風を斬る音がしたから気になったんだ」
「貴方……見たところ工作員のようですが、私を知らないんですか?」
青年は意外だというような驚きを見せ、目を丸くした。
それほど有名なのか、それとも自意識過剰なのか。
きっと高貴な着物と禁色持ちのことから前者だと思われる。
だが生憎と此処へ着てから人と関わることをしなかった自分には、全くと言っていいほど思い当たる人物などいなかった。
すると青年は知らないという表情を読み取ったのか、思案するように扇で口元を隠した。
「自分もまだまだと言うことですかね。これでも位は高いので自負していたのですが……」
その言葉で有名人物であると確信する。
彼は軽く息を吐いた。
「知らないのならば仕方ないですね。私は軍師参謀長の明智光秀と申します」
「明智、光秀……?」
名を聞いた途端驚愕し、だがとても信じきれずに思わず問い返した。
その名は知らないわけがない人物のものだった。
こんなに歳若いものなのかと困惑していると、思考を遮るように貴方は?と尋ねられる。
そういえば自分は答えていなかったのだと我に返って、ああと口を開いた。
「僕はたい……いや、ただの雅だ」
初めに言おうとした名を途中で止め、自分にも言い聞かすように言い直した。
捨てた名を今更名乗ることはない。
仮にも上官である人に対しての口調ではないと言った後で思ったが、この際もうどうでも良いかと思い直して訂正しなかった。
咎められて殺すか、追い出すかをするだろうと希望を持って。
だが明智は一瞬驚きを見せたものの、何故か妙に納得したように頷くと、意外なことにもくすりと笑みを漏らした。
「雅……。そうですか、貴方が。確かに噂通りの方みたいですね」
「天才?それとも奇人変人って?……後者なら君も充分変わってるよ」
「自分が、ですか?」
分からないというように首を傾げる彼。
だが返された言葉と反応に疑問を抱いたのは僕の方だ。
「此処は他に誰も近付かない。僕が、いるからね」
そっちこそ知らないのかと言うように言葉を返す。
初めは作業場も他の奴等と同じだったものの、いつしか自分専用の離れが出来ていた。
それは隔離とも呼べるもので、気付けば滅多なことで近付く者はいなくなっていた。
言葉を交わすことも協力することも捨て、誰も信じることが出来ない自分が招いた事態だ。
だから一人で構わないとずっと思っていた。
なのに事実を口にしたことで、この胸に過ぎった喪失感は何なのだろう。
心が吹き曝しになっているように寒く、虚無の空間が広がっていく。
何となしに俯き、正体を確かめるように胸に手を当てた。
「……では、貴方に感謝せねばなりませんね」
「え……?」
突然紡ぎ出された言葉に現実に戻され、顔をはっと上げて聞き返す。
礼儀がなってないことに対する怒りや嫌悪を表されることなら分かるが、明智は何を思ったのか“感謝”という文字を口にした。
何故と戸惑っていると、ふわりと笑ってみせた。
「此処は静かで、考え事や、密かに稽古するのに最適ですから。良い場所が出来ました」
雅はぽかんと口を開け、唖然と見つめた。
彼の声音と台詞は暖かく、僕の渇ききった心に難なく浸透していく。
虚無が満たされていくことで雅は漸く理解した。
ああ、自分は寂しかったのだ、と――。