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第四章 第十二幕:渇望

助けたい


自分の命を差し出してでも


けれど、また生きて会いたいから


この道を選んでも


良いですか――?







狐黒は自分の身に起きた出来事に反応できず、動きを止めた。

叩かれたと思えば、今度は怒鳴られてびくりと肩を揺らす。

嘉月は冷静な性情であるが故に、こんなにも声を大にして怒りを顕わにすることはなかった。

咎めるにしても、淡々と諭すように話すのが常だ。

初めて見る姿に紳月と翠月も驚き、ただ傍観する形となったまま口を挟めなかった。

嘉月は狐黒へと向けた視線を逸らさずに、声音を落とした。


「命を簡単に投げ出すな! 生きたいのに生きられなかった奴は山ほどいるんだぞ!?」


「……っ!」


狐黒は息を呑み、ついで唇をきつく噛み締めた。

過去に見てきた光景が鮮明に記憶から呼び起こされて蘇る。

自分が殺した人達、眼前で笑顔で死んだ友、そして家族――。


「俺達の一族も無念の一言に幕を閉じた。だが……お前はまだ地に立っているだろう。まだ戦乱の絶えぬ東の都で、お前は幾つもの死線を潜り抜け、今もなお生きているんだ」


嘉月は狐黒の前に片膝を立てて視線を合わせ、ゆっくりと諭すように言った。

未だ幼いながら戦線へと駆り出されてきたことは、表に伝わるほど有名となった忍名が物語っている。

それに忍びという職種は、片や犠牲とも言える役目。

過酷な状況下で、理不尽な怪我を体中に負いながらも尚生き残ってこれたのは、運もあっただろう。

嘉月は露になった狐黒の腕を見やってそう思い、再び顔へと視線を戻す。

その時見えたものに嘉月は一瞬驚きを見せたが、ふと先程とは異なる暖かい微笑を浮かべた。


「死を渇望するな。死んだ人達の分も生きてみろ。それが今の世で死した者達への最大の手向けだ」


嘉月が微笑んだのは、狐黒の目が再び濡れ始めていたからだった。

きっと今言ったことを彼は初めから全て分かっている。

他者の命を奪うという行為が、己が死んだくらいで償えるようなことではないことを。

死んだ人達の悔しさと悲しみを。

ただ、その先の道を選ぶ権利が、自由が己にもあることを知らないのだ。

嘉月自身も武人として仕えていたため、人を斬った経験がある。

浅間側であった為、それはあまりにも理不尽で後味の悪いものが多かった。

狐黒も同じような経験を多くしてきたことだろう。

きっと彼と自分は似ている。

嘉月も今までに死にたく思ったことがないわけではない。

だから顔を見ただけで、狐黒の気持ちが痛いほどよくわかった。


「死んで何もかも終わる。本当にそれで良いのか? まだ人生を半分も生きていないのに、楽しい事も知らないままで……」


嘉月は優しく問いかけた。

確かに死ねば辛い現実からは解放されるだろう。

培われた罪悪感と、人を殺した時の感覚は決して拭い去れるものではない。

人は辛い事、苦しい事ほど記憶に残るもの故に、消えることがどんなに楽か。

死ぬ事はあまりにも簡単で、だからこそ生きる事は難しい。

だが、だからこそ生きる事の意味を見出せるのだ。

人を殺したという事実は何をしても覆らない。

ならば、辛かった分殺めた人達の分まで幸せに、しかしその事を忘れずに胸に刻んで供養をし、生き抜けば良い。

空気が柔らかくなったことで、今まで傍観していた翠月が口を開いた。


「迷いがあるならば、お主がやりたい事をやってみよ。救ってくれた者がおるんじゃろう? その者も、自殺をさせるためにお主を逃がしたわけではあるまいて」


その言葉に狐黒は目を見開いた。

瞬時に自分が逃がされた日の事を思い出す。

あの時、あの方は何と言っていた? どんな表情で?


『逃げなさい。貴方は賢い。まだ未来もある。地から槍に刺されない事を願ってますよ』


辛そうな、本当は貴方が逃げ出したいのだろうと思える最後に見た儚い笑顔がちらつく。

今言われてやっと思い出した。

ずっと文を届けなければと我武者羅に動いていた為に、追いやっていた記憶。

最後に見たのは、自分を安心させるようにと紛い物の笑顔だった。

ふいに視界が大きく歪む。

本当は今、あの方の傍から離れてはいけなかったのに。

また闇に負けぬ気丈な態度に、その言葉に甘えてしまった。

そして今回もまた助けられた。

ついに堪えていた涙が頬を伝って流れ落ちた。


「助け、たいです。今度は私が、何度も救ってくれた方を……。初めて、優しく接してくれた人を……。俺を、俺にしてくれたのは、その人だったから……」


狐黒は途切れ途切れに言葉を紡ぎ出し、拳を強く握り締めた。

今まで守っているつもりで、逆に守られ続けていた。

だから今度は、絶対に自分の力で助けたいと強く願う。

嘉月は生き続ける意識を持った少年にほっとし、笑みを浮かべた。

そして、やっと自分の素直な感情を出し、涙を流した少年の頭に優しく手を置いた。


「狐黒。助けたいと願うならば此処に住まないか? 出来れば、我等の仲間として」


突拍子もない意見に、狐黒は顔を上げ、表情に戸惑いを見せた。

そんな彼を見て、嘉月はふわりと微笑んだ。


「別にすぐに返事を出さなくて良い。ただ、いつでも歓迎するぞ」


そうだろう? と翠月と紳月へと視線を巡らせる。

突然振ったにも関わらず、二人ももう各々で決めていたようだ。

視線を合わせると頷きあい、翠月は笑みを浮かべた。


「勿論じゃ。部屋も空いておる。お主を浅間から守る力量も、その恩師とやらを助け出す行為を手伝う力も持ち合わせているつもりじゃ」


「此処まで介入しといて放っておかねーよ。ただし、裏切んなよ?」


冗談交じりに言って、紳月はにやりと笑った。

対し狐黒はきょとりと目を丸くする。

どうしてこの人達は、こんなにも敵だった自分を気に掛けるのだろう。

更には私事にも付き合い、居場所までを与えようという。

それらの言動は全て過去と被っていた。

十年前、明智秀隆に助けられた時と。

そう思い、狐黒は涙を拭いて、気を引き締めた。

彼を救うという、その願いを成すには強い力と人手がいる。

眼前にいるのは武力を誇る名家の生き残りの人達。

秀隆は秀才だ。きっと今回の関も難なく交わしきるだろう。

自分が思いつきもしない、相手に反論を許さない口頭術で。

ならば、もう考える必要などありはしない。

狐黒は信じることを思い出し、三人を見渡した。

そして、音もなく流麗な動作で片膝を立て、頭を垂れて従の礼をとった。


「私の名は倉本……否、藏木月影(くらき げつえい)。今再び忍びとして仕え、貴方様方の剣とも楯ともなりましょう」


狐黒は硬い口調で語り、すっと顔を上げた。

その眼にもう迷いはない。

強い目の奥に宿るのは新たな決意だった。







自分を仲間だと言ってくれた彼等の為に、今一度「藏木」として咲き誇ろう。


一族の為に。


この方達の為に。


そして


貴方を守る、その為に。


だから、生きて待っていて下さい。


力と準備が整うその日まで――。


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