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第四章 第九幕:探人

久方ぶりに聞いた懐かしい名


それなのに


初めは聞きたかった


でも聞きたくなかった


そんな嫌な内容では――。







名を聞いた嘉月は片膝を立てて、身を乗り出した。

まさか知っている者の名が出てくるとは思わなかったがゆえの動揺だった。


「どうしたんだよ、カズ」


「知っておるのか?」


紳月と翠月の二人は、いつも冷静でいる彼が若干取り乱したことに驚く。

反応から知人だと察知して、翠月が問い質した。

嘉月はそれに昔を思い起こすように、何度も呟くように名を呟いた。


「ルイ……ヨタ……。それに、越前……。月……そういえばそうか」


「嘉月、様?」


一人納得する嘉月に、少年も訝んで声を掛ける。

嘉月は思考で俯いていた顔をすっと上げた。


「……間違いない。そいつらは俺の昔馴染みだ」


「まことに御座いますか!?」


「ああ、失念していた。文様の件があって、普段は互いに名を変えていたからな」


嘉月は参内する時、「和喜」と字を変えていた。

名前だけで害が及ばぬようにと両親が考えた秘策だった。

嘉月達が産まれたのは文様の事件の後だが、両親はどうしても月と付けたかったらしい。

“天下に咲き誇る、陰の世を照らす月の光”という意味を込めて、嘉月。

それは両親の願いであり、東国に対するささやかな抵抗だったのかもしれない。


「それにしても……親友だったというに、俺も薄情なものだな」


他者に告げられるまで本名を思い出せもしなかった。

呼び方がずっとルイにヨタだったとはいえ、酷いものだ。

加えて四年の間、自分だけは生きているという安否の報告すら、越前家にまで諍いの火の粉が飛ぶことを恐れて出来ていなかった。

最後に会ったのは伊佐美家が滅びた年よりも以前のこと。

嘉月が死んだと見せかけるために姿を消してから、数えでゆうに五年は経っていた。


「正式な名前、覚えておるか?」


「勿論。兄の越前塁月に、弟の陽太。薬師の倅で、伊佐美家と家族同然の付き合いをしていた」


毎日とはいかないまでも、幼い頃は三人でよく遊んだり、武の稽古をしたりしていた。

普通ならば薬師が武を学ぶ必要などない。

だがこの戦乱のご時世では力無き者は、すぐに死が纏わり付く。

せめて我が身を守れるくらい強くなければ、生きては行けないのだ。

それもあって進む職種は違えど、三人は共に武を高め合って来た。


「嘉月様! 今、彼等は何処へ……!?」


「あー……、以前のままなら東にいるはずだが……」


少し懐かしさに浸っていると、少年が切羽詰った表情で喰い付く。

それに過去の記憶を探り、そう呟く。

今では記憶が酷く曖昧で、顎に手を置き必死に脳を叩き起こす。


深川ふかがわの本家も、桑折くわおりの別邸も蛻の殻でした」


知っている箇所は全て廻ったのだろう。

少年は溜息と共にそう地名を吐いた。

だが、それによって嘉月の脳裏にもう一つの地名がふいに思い浮かんだ。


「……東雲しののめ


「はい?」


ぽつりと呟くように出された名に、少年は思わず聞き返す。

近くに居るため、決して聞き取れなかったというわけではない。

越前家に関する資料の何処にも記されていない地名だったのだ。


「東雲……に御座いますか?」


「そう、東雲だ。其処の端に誰も知らぬ越前家の仮宿がある」


少年が半信半疑に聞き返すと、嘉月は間違いないとしっかりと応えた。

其処は滅多に使われることはない。

深川の本家でその両親が浅間の指令で貸切とする時、息子二人は大概三刻ほどで行き着く桑折の別邸で過ごすことになっていた。

だが、極偶に多くの仕入れをし、桑折の別邸へ運ぶ時がある。

荷物が多く、とても住める状態でない時、東雲へともう一つ構えることにしたのだ。

あまりに使われない為に、家族とより親しい伊佐美家しか知られていないだろう。

そう言うと、少年はそうですかと言い、明らかにほっとしたような顔を見せた。

だがすぐに表情を引き締め、嘉月へと真正面から向き直る。

そして、懐に手を入れ、何かを取り出し床へと置いた。


「その場を知るならば、私の代わりにこれを渡しては頂けないでしょうか」


「これは?」


嘉月の言葉に、今まで傍聴していた紳月と翠月も其処を覗き込む。

床へと置かれたのは一つの手紙。

その達筆で読みやすい字は、嘉月にとって何処か懐かしいような印象を受けた。


「この文は、その方々の御両親より生前に内密に預かった文に御座います」


「ああ、どうりで……」


懐かしいという感情を抱いたはずだ。

読み易さは医師の診療記録を書くために。達筆さはその性格ゆえに。

そこまで思って、嘉月はふと少年の言葉に引っ掛かりを覚えた。


「待て。今……生前、と言ったか?」


「……御立派な最後でした」


あまりの懐かしさにいつもになく言葉への反応が遅れる。

少年の伏せ目がちの台詞が、それが真実だと物語っていた。

急に訪れた厭な現実に愕然とする。


「亡くなったって、どうして! そんな情報何処にも……!」


嘉月は幾度となく、東へ偵察に赴いていた。

だからこそ、紳月とも出会えたわけだが。

だが、越前の主が死んだなどという話は、微塵も耳に入っていない。

紳月も翠月もそのことは知っている為、不思議に思った。

だが、ふと翠月は一つの考えに行き着き、言葉を漏らした。


「カズが知らぬということは、偏に浅間のせいではないかのう?」


「そうか! 話を隠蔽したんだ! 文様ん時みたいに! なぁ、カズ!」


翠月の言葉にその事実に気付き、紳月が声を上げる。

嘉月のことを事例に当て嵌めれば、すんなりと納得がいく。

彼の場合、伊佐美一族が滅ぼされたという情報は流れても、その理由は一切出回っていない。

それは理由がただの私情であったためだ。

文様の件に至っては、正室の奥方が殺されたという事以前に、彼女の存在すらないものと摩り替えられていた。

今回もその事例に沿い、隠蔽されたと考えるのが可能性は一番高い。


「そう考えると……ならば、何故殺されたんだ?」


当然考えは其処に行き着く。

越前家などは特に医療において最先端で、高等技術を用いることで有名だ。

基本的な薬の調合で失態を犯すなど、有り得ない事だった。

呟かれた疑問に、少年は申し訳なさそうに俯いた。


「申し訳ありません。それは……今は申し上げることは出来兼ねます」


「はぁ!? 何でだよ! カズにも知る権利はあるだろ!?」


あまりの物言いに、紳月は我が事のように声を荒げる。

それを嘉月より先に、翠月が嗜めた。


「シン、これは家族間の問題じゃよ。そうじゃろ?」


「はい……。この文に事の経緯は全て記されておりますし、私も存じております。なれど、一番に伝え、拝読するのは彼等であってほしいのです」


その言葉に紳月ははっとした。

知人と言えど、子に当てた文を勝手に除き見ることは礼儀知らずだ。

言であったとしても同じ事。

真実は誰よりも一番に本人達が知りたいはずだ。

嘉月にはその事は当に判っており、文を眺めて目元を和ませた。


「気遣いに感謝する。あの方々ならばきっとそれを望むだろう。……すまないな、お前も語れずに辛いだろうに……」


「否、それが私の使命であり、責任。お二人に対して、せめてもの弔いゆえ……」


少年は仰々しくそう応えた。

決して今すぐ真実を知りたくないと言えば、それは嘘になる。

だが、それは意向を反故することとなる。

もし自分が文を受け取る立場なら、一番にその事実を知りたいと思うだろう。

亡くなった二人も、子に知らせたいがゆえに文を残したのだから。

それに懐かしい友二人に合えば、真実を知ることが出来るのだ。

嘉月は逸る気持ちを抑えつつ、弔いの念を込めて文を一つ撫でた。



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