第四章 第八幕:脅迫
許せない
他者の名を名乗り
取り入ろうとするなど
一族を滅ぼされた俺達にとって
家系程大切なものはないのだから――。
空気にぴりぴりとした鋭い緊張感が奔る。
それを放っているのは少年ただ一人。
だがその刺すような気は普通の子供が出すような代物ではない。
経験を積んだ戦人が出す、覇気とまだ抑えている殺気だ。
「何故、浅間の忍だと…?」
刃先を紳月に突き付けられ、出入り口は嘉月に塞がれている為に身動きは取れず、少年は威厳を持って睨み返した。
対し翠月はその反応にふと笑った。
「当たりか。物は試しじゃな」
「一か八かの探り入れんなよ…」
あっけらと言い放つ翠月の言葉に、紳月は落胆した。
確かに自分達では浅間に対してのみ、敵対を示している。
だが、周りが自分達の存在を知れば、誰しもが敵となるだろう。
つまりはこの少年が別の主に付いているとも考えられるのだ。
だから浅間だと言ったのは、賭けとしか言いようのない事だと紳月は思っていた。
そんな中、嘉月は顎に片手を当て、何かを考える素振りをして動きを止める。
そのまま何か思い至ったのか、否とぽつりと呟いた。
「あの書き方から来るのは、浅間に組する者か同志だけだ」
「へ?」
嘉月の呟きが理解出来ずに、間の抜けた声で紳月は聞き返した。
嘉月が視線を翠月に向け、違うかと問う。
それに正解だと言って、翠月は苦笑した。
「余が試したのは辿り着ける情報収集能力と、敵か味方かじゃ。此処へ辿り着いた早さと、咄嗟に出した武器から見て忍びと見受ける」
そう言って、翠月は壁の方を指差した。
其処にあるのは今朝方翠が置いてきて、先程紳月が投げつけた立札だ。
見事に真っ二つに折れたそれには、三本の忍の飛び道具クナイが突き刺さっていた。
少年が自分に向かって飛んできた立札の飛来速度を弱める為に咄嗟にぶつけたものだ。
それを扱えるということは、忍びである動かぬ証拠だった。
「なら、浅間だってのは?」
「東と月の名に訝しげに思わず、即座に反応できるのは文様の予言を知る者でなければ不可能。他の者には意味が判らぬだろう?」
紳月の問いに今度は嘉月が代わって応える。
つまりは文が殺されたこと、尚且つ、予言を残したことを知っている浅間に仕えている者でなければ、知るはずの無い情報であったのだ。
第一、月が人の名に入っているとは誰も言ってはいない。
立札には「月の宿命を受けし者」としか記していなかったのだから。
其処まで考え、紳月は何かを思いついたように目を見開いた。
「そうか。偽名で嘉月の名を使ったのも、知っていたから…!」
月の宿命が、名前に月が入っているものだと知っていた。
だから、簡単に受け入れられる名家の内で死んだとされ、絶対にこの世にはもう居るはずのなかった伊佐美嘉月の名前を使ってきたのだ。
実際はこうして生きていたため、それが今回彼にとって仇となった。
紳月の言葉を聞いて、翠月と嘉月は目を丸くした。
「シンが此処まで解るとは…。シンも知恵が廻ってきたのぅ」
「今晩は赤飯で決まりだな」
「っ! 煩いわ! んなもん作るな!」
二人なりの賛辞であったが、紳月にとっては嘲りに過ぎずに、声を荒げる。
いつものような堂々巡りの言い合いに発展しかけた時、ふいに溜息が聞こえた。
それは話を傍聴していた少年が漏らしたものだ。
少年からはもう射るような殺気などは微塵も感じられない。
「其処まで知っておられるのならば仕方ありませぬ。まさか嘉月様が生きておられたとは…」
「おっ、随分と潔いな。んで、お前の目的は何だ?」
紳月は刀をかちゃりと鳴らし、刃を立てる。
少年は怯えるでもなく視線だけを其処へと向け、静かに口を開いた。
「話す前にこれを退けろ。首筋が冷たくて敵わない」
「なっ! お前、自分の立場がわかって…!」
「シン、やめろ。刀を退け」
「だって、こいつ…!」
「今のそいつに戦闘や逃亡の意思はない」
確かに少年は動こうとする気配も覇気も無い。
紳月はまだ半場納得していないのか舌打ちをして、乱雑に納刀した。
恐らく第一に嘉月の名を使ったことに腹を立てているのだろう。
嘘を付かれるより、何よりも家系の威厳を重んじる奴だから。
そんな彼に苦笑して、嘉月は一言すまないと謝った。
それだけで紳月の機嫌が少し治まったことにほっとする。
「有難う御座います。嘉月様」
「否…、それよりも目的は?」
久方ぶりに様付けされていることにむず痒さを感じるも、今は話を優先することにした。
だが尋ねると、少年は少し戸惑っているのか口を開いては閉じるを繰り返す。
話が長くなりそうだと判断し、嘉月は柱に背を預けてその場に座り込んだ。
他の二人にも目配せをして座らせる。
少ししてからやっとのことで少年は声を出した。
「…人を……探しております」
少年はその言葉を吐いて、着物の袂を握り締めた。
紳月はそれを聞いて、目を細めた。
「はっ! 随分と下手な嘘だな」
「融通の利かないお前になど話してない。俺は機転の良いお二方に話してるんだ」
「何だと!?」
少年がやけに突っ掛かり、紳月も反発してそれに乗る。
先程剣先を向けられたことを根に持っているのか、生理的に受け付けないのか。
はたまた話を先に進めたいだけかもしれない。
少年の戸惑った態度は、本当の事を話しても信用されないかもしれない、という不安もあってのことだと力強く握られたその拳から見て取れた。
再び柄に手を伸ばす紳月を、今度は翠月が静止の声を掛けた。
「止めぬか、シン。お主もあまり触発してくれるな」
「大丈夫だ。我等はお前を信用する。勿論、シンもな。続きを話してくれないか?」
嘉月は出来る限り優しく先を促した。
此方が気張っていては、話し難いだろうとの考慮の上でのことだ。
すると、少年は一つ頷いて思い詰めたような表情を見せた。
「渡さねばならぬものが御座います。その方の名には月が付くゆえ、もしやと…。此方に居られるのは、御三人方だけなので御座いましょうか?」
「ああ、今はまだ我等三人だけじゃ」
「そう…ですか。此処が最後の綱だったのですが…」
少年は翠月の言葉に明らかに落胆の色を見せた。
一体どれほどその人物を探してきたのだろうか。
彼のぼろぼろになった衣から、苦労という哀愁が染み出る。
暫しの沈黙が流れたが、耐え切れずに翠月が切り出した。
「それで、月を探す為に単身で此処まで来おったのか? 浅間には?」
「あの方には…黙って行動を起こしておりますゆえ」
「その様子では我等ではないのだろう?」
嘉月の問いに応える代わりに、少年は俯いた。
彼にとってこの話を聞いた時、此処に居るという大きな確証を得たはずだ。
ゆえに居なかったことに対する落胆は大きかっただろう。
月が付く珍しい名前など、そんなに大多数いるわけはないのだ。
嘉月達にとっても、自分達三人も居たことに驚いているほどだというのに。
三人だけでもう出ないのではと思ったことも多々あった。
今回の少年の話は嘉月達にとっても、まさに晴天の霹靂だ。
諦めかけていた事態に、また少しの光が差した。
「その探し人に月が付くのなら我等も探すし、何れ会うことになるじゃろうな」
「探し人の名を教えて貰うことは出来ぬだろうか?」
未だ俯く少年に二人は尋ねた。
紳月は口を開けば少年の文句が飛ぶため、自粛して傍観者と化している。
それは二人に任せておけば、何ら問題ないという信頼があったからこそでもあった。
少年はゆるゆると顔を上げ、少し迷っているようだったが、やがて決意したのか一つ頷いて口を静かに開いた。
「詳しくは存じませぬが、御両親にはルイ、ヨタと呼ばれておりました。姓は…越前」
「越…前…!?」
がたりと何かを揺らす音が響く。
紡がれた名前に驚きを現し、動揺を示したのは嘉月ただ一人だった。