第四幕 第七章:証拠
信じる要素は幾らでもある
証拠があっても
もし、それが無かったとしても
俺はお前だから
信じるんだ――。
室内は紳月の行動により静寂に包まれる。
誰も動くことなく、話すこともなく刃先の示す一人を見つめた。
刃を突き立てられた当人は、訳もわからず眉根を寄せ、冷や汗を流す。
「…っ!一体…何を……」
「分からないか?お前を疑ってんだよ……糞餓鬼」
紳月は苛立ちを内側に燻らせつつ、そう言い放った。
言葉を向けた先は、まさに剣先を突き付けている人物。
二人目の“嘉月”。
立札によって突然現れた少年の方だった。
少年は刃があるのにも厭わず、強い眼差しを返した。
「私の言ったことが嘘だと申されますか?」
「そうだのう。ため口になれば信用するんじゃが」
「何だその理由は…」
飄々と有り得ない台詞を述べる翠月を、嘉月は半眼で見据えた。
自分が疑われる要素がもうないことを判っているので、態度は悠々としている。
だが、まさか本当にそれだけではないかと不安にもなっていた。
何せ一番何を仕出かすか判らない男だ。
そう思っていると、紳月が視線だけを此方に向けて声を張り上げた。
「今は冗談を言う時か!明らかにコイツが贋者だろうが!」
「ああ、やっぱり冗談か…」
「ほら見ろ!こんな状況だから、あのカズが信じかけてるじゃねぇか!」
紳月が珍しくも常識人で、翠月に喰い付く。
何だがいつもと立場が逆だ。
自分にとって危機的状況であるにも関わらず、嘉月はそんな埒もない事を考えていた。
「私が……偽者?」
そんなふざけた最中、少年からそんな呟きが漏れた。
それを耳にした三人は、真面目に返り、視線を少年へと戻す。
「証拠ならあるぞ。スイ、一応確認を…」
嘉月はそう言って翠月へと先程少年から預かった小刀を手渡した。
翠月はそれを四方八方から眺め、ある一点で視線を止める。
そしてふと口元に笑みを浮かべた。
「ああ、確かに。動かぬ証拠じゃな。シンも見るか?」
「否、いい。判ってるからな。アレが違うんだろ?」
その適当な言い方に、二人はぴくりと反応を示す。
直後片目を眇め、紳月へと疑いの眼を向けた。
「…本当に覚えているのか?あのシンが…?」
「疑わしいのう…」
「馬鹿にすんな!一回言われれば覚えるわ!位置が違うんだろ!?」
「…位置?」
二人のからかいに紳月はぶっきら棒に応え、それに対し少年は疑問詞を投げ掛けた。
そんな彼に翠月は歩み寄り、しゃがんで目線を合わせる。
にやりと一度人の悪い笑みを浮かべてから、小刀を見せた。
「まだ判らないかのう。伊佐美家の家紋は確かに菖蒲。じゃが柄にあるのではない」
「本当の刀の家門はな、他と区別を付ける為に鍔に小さくつけられているんだよ」
自己主張が乏しい一族でな、と嘉月は溜息と共にそう吐いた。
その真実に、少年の眼は瞬時に険しさを帯びる。
紳月は更に追い討ちを掛けるよう、刀はそのままに口を開いた。
「それだけじゃねぇ。伊佐美嘉月は、同じ人間は二人もいないぜ」
「同じ人間…っまさか!」
其処まで来て、少年の眼に動揺が奔る。
大きく見開かれ、その視線はまだ名を知らないただ一人の人物へと向けられた。
その視線を受け、彼はにっと笑った。
「自己紹介が遅れたな。俺の愛称はカズ。本名は伊佐美家嫡男…嘉月だ」
紡がれた真実に少年は更なる驚きを示すかのように思えた。
しかし、逆に落ち着きを取り戻し、しっかりとした眼力で嘉月を射抜いた。
「…証拠は?」
そう問われ、傍らへと置いていた刀に手を伸ばす。
それを持って立ち上がり、鍔を少年に向けて見せた。
「鍔に菖蒲の紋が入った名刀狭霧。まぁ、火傷と生き延びた経緯は正解だったがな」
嘉月はそう言って、左腕を軽く握りしめた。
其処にあるのは、四年前に一族が滅ぼされた折に、焼き討ちであった為に逃げ遂せる代償に負った、未だ酷く痕の残る火傷の傷だ。
あれを言われた時は、正直どきりとした。
恐らく事前に考えておいたのだろうが、目の前の少年は、まるで己を知っているかのようにその内情を語っていったのだ。
その事を知っているのは、まだ紳月だけであったというのに。
問答の最中は、否応なしに過去を思い起こさせ、冷静に勤めていたその実、傷口を抉られているような思いがしていた。
身代わりとなった彼は既に死していたものの、変わり身とさせてしまったことに対し、負い目を感じている自分がいた。
親を助けられずに自分だけが生かされたことを悔いて、火傷を見ては自分を責めた。
そのせいか、紳月に出会うまで、あの頃のまま成長していなかった。
徐々に鮮明にされていく記憶に、気持ちも暗くなる。
「カズ、大丈夫か?」
「っ!あ、ああ…」
そんな変化に気付いた翠月が、嘉月の肩を叩き、現実に戻させる。
いつもの嘉月に戻ったことを確認して、翠月は少年へと向き直った。
「さて、そろそろ教えて貰おうかのう。何故、大層な苦労をしてまで此処へ来たのか。その目的を洗い浚いじゃ」
嘉月は開けられた外へと続く障子戸へと向かい、完全に閉めた。
万が一、少年に逃げられる事がないように。
悪い子ではないように思うのだが、念の為だ。
それが成されてから、翠月は少年に笑みを浮かべた。
「お主が来たのは余達を暗殺する為の偵察か?のぅ…
浅間の忍びよ――」
翠月は自信に満ちたはっきりとした口調で言い切った。