第四章 第六幕:検問
信じたいのに
信じたくないのに
自分の疑い深さに嫌気が差す。
ああ、
人は何と愚かなのだろうか――。
廊下をゆっくりとした足音が二つ響く。
だがそれ以上に怒鳴り声が上回って、音を支配していた。
「だぁああ!もう、何処まで連れてくんだよ!」
未だ翠月に引き摺られながら、紳月は文句を垂れた。
行くと言っていた翠月の部屋はとうに過ぎている。
あの大広間の二つ隣が翠月の部屋なのだ。
だのに今は屋敷では最も遠い釜戸に行きそうなほど進んでいる。
着替えるのではないのかと、行動の意味がわからずに喚きながらもそう思う。
そんな紳月に、翠月は足を止めて振り返った。
「静かにせんか。先程からうだうだと……」
「翠は何とも思わないのかよ!だってあの餓鬼は…!」
「分かっておる。じゃから静かにせい。一向に戻れぬじゃろうが」
紳月の言わんとしていることを理解し、翠月はそう返答をした。
同じ名前の奴が出てきても、紳月は疑わずに信じているのだ。
自分を助け、二年間共に過ごしてきた方の嘉月を。
翠月は自分の用心深さに嘲笑った。
長年の生き方からそう簡単に人を信じることは出来ず、親しくなったとしても疑いの要素が少しでもあれば、すぐに疑ってしまうのだ。
だが逆に、紳月は一度信用すると無防備過ぎるところがある。
どちらにせよそれは他の仲間を裏切ることととなり、我が身を滅ぼす結果を招くことにもなり得る危険な性分だ。
自分達のこれからを考えると、それは余計に深刻なものとなる。
その仲をいつも中立させていたのが、一人目の嘉月だった。
もし出会っていたのが紳月と翠月の二人だけだったら、こうも共に居られなかっただろう。
すぐに仲違いになるだろうことが目に見えている。
それを思い、翠月は一人くすりと笑った。
「何笑ってんだよ…」
突然の笑みに紳月は怪訝そうに尋ねた。
それに対し、翠月は人差し指を口元で立てて、片目だけを閉じて微笑んだ。
「乙女心を持つ余だけの秘密じゃ」
「乙女って…何だそりゃ」
急なおちゃらけた態度に、紳月は脱力する。
呆れたようなその眼差しは安易にお前は男だろうと言っている。
それに気にするなとだけ答えて、翠月は今来た廊下を真っ直ぐ見据えた。
「…さて、戻ろうかのう。気配も音も消して静かにの」
「は?どうしてだ?」
「カズは相手の情報を探る。我等はそれを聞き判断する。真偽を明らかにさせる為に、カズはシンも余の所へ寄越したんじゃ」
つまり、話を聞いてそっちで勝手に判断を下せということ。
それもあって、翠月は疑わずに信じたかった。
だが確証がない以上、簡単に信じてはならないのが政だ。
偽を信ずれば、その先に待っているのは破滅だけ。
主となった以上、適当になすことは許されない。
望まれるのは正確な判断ただ一つ。
嘉月もそれが判っているから、このような行動に出たのだろう。
「シン、音を立てるでないぞ?カズの想いが無駄になるからのぅ」
紳月は内容を理解して、真剣な面持ちで一つ頷いた。
そんな彼に翠月も頷き返して、元来た道を戻り始めた。
ゆっくりと、気配を消して、足音も声も上げずに…。
一室を隔てて、二人は真実翠月の部屋へと足を踏み入れた。
途端、それを見計らったかのように会話が聞こえ始めた。
「話を聞かせてもらっても良いか?」
「はい、話せることならば…」
何気ない動作で嘉月が襖を少し開けたことにより、その話声は鮮明となる。
翠月は着替えながら、紳月は壁に寄り掛かりながら、聞き耳を立てた。
「…伊佐美家の嫡男、嘉月は死んだはずだが?」
「あの死体は別の者にございます。なれどその御蔭で町に紛れ、生き延びることが出来ました。傷だけは残ってしまいましたが…」
その返答に、紳月の肩がぴくりと動く。
共に生き始めて二年弱。嘉月の経歴を聞いてきた。
もう一人から語られた真実は、それと全く遜色の無い同じ内容のものだった。
翠月はまだあまり詳しく聞いていない為に、そのことは知らず、紳月の様子に首を傾げた。
向こうはそんな二人の反応を知る由も無く、質問が続く。
「…歳は?」
「十九に御座います。成長は…残念ながら、四年前より止まっておりますゆえ…」
「精神面の衝撃が強くというわけか。…刀は?」
「今はこの小刀しか残っておりませぬが」
「拝見する。…確かに柄の部分に伊佐美家の家紋、菖蒲が施されているな」
その言葉には二人が反応を示す。
伊佐美家の家紋は真実菖蒲であり、当然一族の持つものには全てその家紋が入っていた。
“嘉月”から発せられる言葉の数々には、説得力があり成程と思わせられる。
それは嘉月の合いの手も相まって、証言はかなりの信憑性を見せている。
どちらも贋者を感じさせない言い回しだった。
だが……。
二人はにやりと笑い、互いに目配せをして頷き合った。
今、どちらかを信じ、本物を判断する確かなる証拠が現れたのだ。
二人がそう確信した時、逆に二人目の嘉月が問いかけをした。
「私からも宜しいでしょうか?」
「何だ?」
何ともなしに聞き返し、続きを待つ。
“嘉月”は真っ直ぐに眼を見て、口を開いた。
「此処の主は貴方様…ですか?」
「…聞いてどうする」
「貴方でないのでしたら、ご挨拶をと。知らずには私も決め兼ねます故」
迷っているのか沈黙が流れる。
翠月は男物の着物へと着替え終え、紳月も次の行動を考えて立ち上がった。
襖に手を掛けて開け、返事を待たずに隣室へと足を踏み込む。
その気配を察知してか、嘉月は薄く笑った。
「良いだろう。では此処までにしようか。スイ、シン」
その言葉と共に、翠月は隔てていたもう一つの襖を大きく開け放った。
部屋へと足を踏み込み、それに紳月も続く。
「もう良いのか?」
翠月は“嘉月”二人に目配せをしてから、嘉月ににやにやとしながらそんな言葉を吐く。
嘉月はそれに目を伏せて微笑した。
「自身での確認は済んだ。後は御自由に」
それにただ、そうかと返し、翠月は変わった自分の姿と態度に驚く“嘉月”と真正面から向かい合った。
「余が此処の主。スイこと、春日翠月じゃ」
「俺は菟田野紳月。武人だ」
翠月が躊躇いも無く自己を紹介すると、紳月も倣って名を述べた。
春日は東では知っている者さえ少なく、紳月に至っては容姿ですぐにそれと知れる為、隠す必要など何処にも無い。
翠月は腕を組んで、軽く先程開けた襖に寄り掛かった。
「してカズよ。結論は?」
「当事者の俺が言葉にしても無意味だろう?」
“嘉月”はその言葉の意味がわからずに首を傾げる。
彼はこの中にもう一人伊佐美嘉月がいることを知らないのだ。
翠月は二人を眺め見て、口元に笑みを浮かべた。
「そうじゃな。ならば勝手に判断させてもらうとするかのう。のう、シン?」
その言葉と同時に空を風が斬る。
紳月の手には抜刀された自身の愛刀、真紅が握られていた。
そして――。
その剣先は“嘉月”の喉元へと突き立てられていた。