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第四章 第五幕:贋者

有り得ないこと。


今、実際それが眼の前に


いつかあるとは思っていた


だがそれは最も危険な賭け――。







少年の口から出された名に、翠月はさすがに驚きを隠せなかった。

伊佐美は数年前浅間に滅ぼされた武の名家の名前。

そして、一人の青年の顔が頭を瞬時に過ぎった。

自分より一つ下で、知力・武力双方に優れた、存外本人に自覚はないが面倒見の良い青年。

そう。その伊佐美家の嘉月は、最近出会いこれから共に住まんとする同志の名でもあった。


「どうか……致しましたか?」


「いえ……。じゃあ、案内するわ」


翠月はすぐに気持ちを落ち着かせて、そう口に出した。

踵を返し、相手が付いてくるのを察しながら、悠々と家の中へと足を進めていく。

だがその内心はまだ焦っており、胸の上で拳を握り締めた。

同じ名の人物が二人――。

ということは、必然的に片や贋物ということに相成る。

有名な伊佐美家である上に、嘉月などと珍しい名前は同姓同名などであるはずがないのだ。


「此処よ。其処に座って?」


「有難う御座います」


連れてきた場所は、いつも三人での話し合いで用いていた屋敷の角にある一等広い部屋だ。

特に目立つ調度品などはなく、必要不可欠のものだけが置かれた質素な空間となっている。

二人が来ることを思って敷いてあった円座を薦めて、笑顔で促すと少年は礼を言って、示した通りの場所へと腰を下ろした。

それを見届けて、自身は座らずにもう一辺の障子戸へと足を向ける。

そんな翠月を視線で追いながら少年、“嘉月”はふと口を開いた。


「失礼ですが、今はスイ殿しか居られないので御座いましょうか?」


本当にふとした疑問の継いでた少年の言葉に翠月は足を止め、戸に手を掛けて振り返った。

そして少し首を傾げて困ったように微笑した。


「少し待っていてね。今、皆出払ってるの」


「左様で御座いましたか。……あのスイ殿は此処で何を?」


「ふふっ、秘密よ。直にわか……」


障子戸を開け放ち、翠月の言葉がふいに途切れる。

動きさえも止めて外の一点を見つめる彼を不思議に思ってか、“嘉月”は首を傾げた。

止まっているのは時間にしてほんの一瞬だったが、それが長いことのように感じる。

すると突如翠月は勢いよく振り返った。


「スイど……」


「っ! 避けて!」


「え……っ!?」


翠月は血相を変えて叫び、地に着くほど身を屈める。

そのすれすれ上空のところを何か大きな物体が飛来する。

重たそうなそれは、速度が落ちることもなく、“嘉月”に真っ直ぐと向かう。

“嘉月”は一瞬息を呑み、瞬時に懐から何かを取り出し、それに投げつけた。

と同時に床を蹴って横へ飛ぶ。

何かが当たったそれは、速度を少し落とし、壁に激突して止まった。


「~っ!」


「ちょっ、大丈夫?」


“嘉月”は避けた弾みに少し柱へと腰を打ちつけたようだ。

眉を顰めるのを見咎めて、翠月が駆け寄る。

心配そうに身体を診る翠月に、腰を擦って、若干涙目になりながらも微笑を浮かべた。


「はい。少し飛ばされただけですから」


きちんと受け答えが出来たことに、翠月はほっと胸を撫で下ろした。

腰を打っただけでも最悪の場合、息が詰まって呼吸困難を引き起こす危険性があるのだ。

翠月は飛来してきた物体を一瞥し、新たな気配ある外へと視線を投げ掛けた。

すると視線の向かう先にある草叢から、一際大きいがさりという音を立てて、一つの影が勢いよく姿を現した。


「ス~イ~!? 何だ、あの立札! あれお前の仕業だろ!」


怒鳴り散らしながらつかつかと歩み寄ってきたのは紳月で、翠月の後方を指差した。

その指が示す方向にあるのは、先程飛来してきた大きな物体。

それは先程嘉月に言われ、紳月が引き抜いた立札だった。

改めてみると襖が破けたり、壁に少しの穴が開いていたりと、家屋に被害が及んでいる。


「もぉ、あんな大きな物飛ばしたら危ないじゃない」


「避けられないくらいなら見限る!」


腰に手を当て、翠月は少し剥れたように頬を膨らませて、抗議の目を向ける。

対し紳月は少しも悪く思っていないかのように、堂々とそう答えた。

その答えに翠月は伏せ目がちに哀願した。


「私の家も壊れたし……。どうしてくれるの? あの傷……」


「うっ。悪か……って話換えるな!」


話が流されそうになっていたことに気付き、紳月は慌てて切り替えた。

勿論、話の摩り替えは翠月の思惑である。

完璧に流されなかったことに少し悔しがるも、翠月はまた新たに何かを思いついて、口元を袖の袂で覆い、にやりとした笑みを浮かべた。


「だって……、黙って待ってるより進展あると思わない? シンちゃん」


「だっ、誰がシンちゃんかー!」


紳月は眉を吊り上げて、怒鳴り声を上げた。

今度は予想通りの反応が返ってきたことに満足して、翠月はくすりとほくそ笑んだ。


「まったく……落ち着け、シン」


騒ぎの発端である二人の最中、新たな声が一つ加わり、静止の言を掛けた。

その言葉に、紳月はまだ納得のいかなそうな顔をしながらも渋々と身を引く。

大型犬を収めた男は紳月の登場とは異なり、悠々とした足取りでやってきた。


「……お帰りなさい、カズ」


翠月は人物を見咎めて、にっこりと笑みを浮かべた。

其処にいたのは自分の知る一番初めの伊佐美嘉月、その人だった。

嘉月は呆れたように溜息を吐いた。


「スイも……危険だとは思わなかったのか? あれに気付くのは味方だけではないぞ」


いつも通りの冷めた態度で、嘉月は当然のことを言い放った。

翠月はその台詞に口元にだけ笑みを乗せ、くすりと笑った。


「勿論、分かってるわよ。でも敵でも構わないの。情報だけ貰って、後は斬り捨てれば良いでしょう?」


その瞬間、紳月は背中にぞくりと寒気が奔った。

思わず腕を掴んで擦る。


「……今、スイを怖く感じたのは俺だけか?」


「安心しろ。俺もだ」


隣から普段はあまりない、同意を得る。

嘉月も寒気がしたのか、それとも台詞に呆れたのか、無表情に近いものになっていた。

そんな二人の態度に、翠月は腕を組んで視線を逸らせ、猫撫で声を発した。


「酷ぉい。ちょっとしたお茶目な冗談じゃなぁい」


「そんな風には聞こえなかったぞ……」


あまりの態度の気持ち悪さに、紳月は一歩遠退く。

しかし嘉月だけは翠月の先へと視線を伸ばし、言おうとした言葉を止めた。

其処にあるモノを見つけ、一瞬目を見開くも、それだけで納得したかのように、ああと言葉を発すると口元に笑みを浮かべた。


「成程。牽制、と言ったところか?」


「はぁ?」


嘉月の言葉が示す意味がわからず、紳月は疑問符を浮かべる。

ただ理解した翠月はくすりと笑った。


「さっすがカズ……。お客様よ」


そう言って、良く見えるように身体を壁の方にずらす。

そうすることで先程まで影になっていて見えなかった一人の人物が顕わになった。

其処にいるのは先程現れた少年。

彼を見て、紳月は早速警戒心を顕わに眉根を寄せた。


「客って、何だ? こいつ……」


「先程から気配はあったというに、それにすら微塵も気付いておらなんだか」


「五月蝿ぇ! で、誰なんだよ!?」


嘉月のおちょくりに怒鳴り声でもって返すと、紳月は少年を指差した。

少年はというと、何かに驚いたかのように目を見開き、固まっている。


「さっき来たの。あの札を見てね。名前は……伊佐美嘉月」


紡がれた本来ならば有り得ないその名前に二人が息を呑む。

しかし逸早く嘉月は冷静さを取り戻して、笑みを浮かべた。


「……ほぅ、こんな若さで訳ありか」


決して余裕有りの笑みではないだろう。

何しろ、自分と同じ名前の人物が眼の前に突然現れたのだから。

常に冷静であるのが、その嘉月が嘉月である所以だ。

だが、紳月は納得がいかずに声をあげた。


「何言ってんだよ!伊佐美って……もがっ!」


「シンは黙ってて」


伊佐美ってカズのことだろう?

そう言おうとしたところで、翠月に慌てて口を両手で押さえて止められる。

笑顔ではあるものの、発せられている空気は黒い。

紳月は首を何度も縦に振って、漸く手から開放してもらった。

そんな二人のやりとりを横目で見てから、嘉月は“嘉月”に向き直った。


「証拠はあの傷……と言ったところか」


「それじゃあカズ。その子宜しくね。私は着替えてくるから」


顎に手を当てて、何か思案するよう一人ごちる嘉月に、翠月は笑顔でそう言って障子戸に手を掛けて背を向けた。

その行動の先を察した嘉月は、未だ隣にいる相棒へと言葉を投げ掛けた。


「シンも手伝いに行け」


「はぁ!? 何で……!」


「行くわよぉ、シンちゃん」


「シンちゃんって呼ぶな! って、ちょっと待てよ! おい!」


嘉月の発言を耳にして、翠月は問答無用に紳月を引っ張って連れて行った。

紳月の抗議の声が永遠と続き、徐々に遠退く。

やがて諦めたのかふつりと怒声が止み、その場に残るは二人の嘉月だけとなった。


「……シンを知っているのか?」


ずっと驚いたように、紳月を見つめていたもう一人の“嘉月”に声を掛ける。

するとやっと我に返ったように、嘉月を見て首を横に振った。


「否、申し訳ありませぬ。知人に……似ていたものですから」


「……そうか」


昔を懐かしむように微笑んだ“嘉月”に、嘉月はその一言だけを返した。

その後、どちらも動くことなく、厭な沈黙が流れる。

少しの間を持って、嘉月は漸く円座へと静かに腰を下ろした。




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