第三章 第八幕:虚言
生きて欲しいから
最初で最後の嘘を吐く
帰ってくるような言葉
行ってきます、と――。
辺りは殺伐としていた。
寂れきった町並みは活気もなく、外には人っ子一人いない。
まだ陽も落ちきっていないというのに、町は夜のような静寂に包まれる。
それは現世を生きていく為に得た、住人達の最終手段だった。
働き口もなく、勿論遊ぶお金なんてありはしない。
だから東国の至る町では、皆早くに家に着き、眠ることで飢えや苦しみに耐えるのだ。
蝋燭をなるべく使わないようにと、明るいうちに少ない御飯を家族で分けて食べ、明かりが必要となる夜には就寝をする。
そんなあってはならない堂々巡りが、町民にはどうしようもなく繰り返された。
だが、一つの民家で珍しくも一つ、蝋燭の灯が揺れた。
「この子達を残して行くのはやっぱり後ろめたいわね……」
薄暗い部屋で女の声が寂しそうに呟く。
視線を向けた先にいるのは、まだ若い青年と少年。
女は慈しむように微笑み、二人を眺め見る。
「仕方ねぇよ。こいつ等を助けるにゃ、そうするしかねぇんだ」
女の背後から低めの男の声が返ってくる。
男は文台に向かい、何かをさらさらと書き綴っていた。
書き終わったのか、筆を置くと、乾かしに掛かる。
そんな男の行動を目で追って、女は徐に抱きついた。
男はそれを跳ね除けることなく、静かに受け入れ、女の腰に手を回す。
微かに震えていることが判り、しっかりと抱き返した。
「……怖ぇか?」
囁くように男は女に語りかける。
しかし、女は気丈にも首を横に振った。
そんな反応に男は抑えた笑い声を漏らした。
「相変わらず頑固だな、おめぇは…」
「だって一人じゃないもの。貴方が共に居てくれるんでしょう?」
「当然だろ?おめぇ一人だけ行ってどうするんでぃ」
女の声は言葉に反して、震えを帯びていた。
安心させるように男は女の背を撫でた。
これから起こす行動が怖くないはずはないのだ。
自分とて言葉に出さないものの、その実どれだけ怖いことか。
何しろ東の権力者に大きく逆らおうとしているのだから。
そうこうしていると、一つの影が音もなく降り立った。
「失礼致します。お邪魔をしてしまい、申し訳ありませぬ」
突然現れたその者に驚くことなく、男女は居住まいを正す。
今夜此処で落ち合う手筈になっていたのだ。
「構わねぇよ。時間がねぇんだ。悪かったな、気を遣わせちまって」
申し訳なさそうに佇む者に、男は苦笑しながら応えた。
その態度に安堵したのか、その者は本題と言わんばかりに片膝をついて礼を取った。
「それで守備の方は?」
「万全でぃ。そいつらも薬で眠らせた。途中で起きると困るかんな」
「特にヨタはルイ以上に気配に敏感だから、これくらいはしないとね」
二人が目を向けた先で眠るのは、紛れもなく二人の息子達だ。
自分の子に睡眠薬を盛るのは少々憚られたが、息子達の為でもある。
先程現れた第三者が引いているのを感じたが、気にしないことにしよう。
「で、来たって事は、そっちも万全かぃ?」
「はっ。今宵ならば私が監視役ゆえ、念のため裏口から出て下されば問題御座いませぬ。万が一我等の姿を見た者は、私が全て排除致しますので御心配なく……」
その者は黒布を二人に渡しながら、淡々と述べた。
声色は高く、幼い者を思わせるが、口調はしっかりしていて大人らしい。
そのはきはきとした声音は二人を安心させ、自信を持たせた。
だが男は、ふとその男の今後の事を思い、苦笑を浮かべた。
「悪ぃな…。おめぇももう元の暮らしには戻れなくなんだろ?」
「否、元々これは私が言い出した事。後悔も間違った事をしているとも思っておりませぬ故」
仰々しいが芯の強い言葉に、二人はほっとし、準備を始めた。
先程書いた書文もしっかり懐に仕舞い込んで。
幾つかの大きな荷物を持ち、青年を男が、少年を女が抱え上げる。
男女の行動を見ていた第三者が手伝うと言って荷物を数個抱え持つ。
最後に三人は黒布を頭からすっぽりと被り、夜の闇に乗じてその家を密かに後にした。
所替わって、東の奥地:武松。
元の自家から歩くこと三刻程の場所に其処はあった。
夫婦ともう一人は、一つの家屋に誰にも気付かれぬまま滑り込むように入った。
此処は殆どの者が知らない、夫婦の持つもう一つの家だった。
荷を全て降ろし、予め用意しておいた寝床に子供二人を寝かせる。
「では、私は上で待機しております。用件はお早めに…」
「おう、すまねぇな」
男がそう言うと、一礼をして音もなくその場から消えた。
それを確認してから女は長男だけを揺すり起こした。
起こされた青年はまだ眠たそうに欠伸をし、伸びをして途中で止める。
今自分がいる場所に気付き、目を点にした。
「なんで仮宿にいんだ…?」
青年は視線を両親へと向け、答えを求めた。
訳がわからない青年に、女はにこりと満面の笑みできっぱりと言い切った。
「邪魔だったから運んだの」
「いやぁ、明日から仕事であの家大きく使うんでな。少し引越しだ!」
男は下の子が起きないくらい抑えた声で笑う。
青年は滅茶苦茶な両親をじとりと半眼で見据えた。
「仕事なら手伝うってぇのに。つーかまた息子に対して睡眠薬盛ったろ」
「新薬の効き目を試しただけよ。成功みたいで良かったわ」
「それに仕事は内密業。たとえ息子でも許されねぇかんな」
尚も自分勝手に物を言う両親に、青年は諦めの溜息を吐いた。
青年にとっての両親はいつもこんなものだ。
腕は良いので危険はないが、新しい薬を作っては息子で試し、御上から内密で薬を作らされては、その度に自分達はこの武松の仮宿に移されていた。
本当は慣れたくもない現実だが、虚しくも慣れたという言葉が上手く当て嵌まる。
「で、今回はどれくらいこっちに居りゃあ良いんでぃ?」
「…そうだなぁ。目処立たねぇから、俺らが迎えに来るまで、か?」
少し間を空けて、男の方が曖昧な答えを返す。
その返事に青年が、そんなに長く掛かんのか?と聞き返した。
男は俺にも判らんと言って、腰を上げた。
「さて俺達はもう帰るぜ。必要なもんはあっから暴れずに過ごせよ?」
「誰が暴れっか!」
「酒や博打で暴れるでしょう?陽太のことも宜しくね」
女は次男の頭を優しく撫でてから立ち上がった。
行ってきますの言葉に、青年はいってらっしゃいとぶっきら棒に言う。
そんな彼に両親は一つ笑顔を向けてから、その家を後にした。
青年はこの時、両親が嘘をついていることを感じ取れなかった。
これが最後の会話であり、最後に見た彼等の生ける姿であったのに。
青年は何も知らず、またすぐに深い眠りへとついた。
次の日の夜。
いつもは静かな町が騒がしい。
その現況である男と女ともう一人は、森の中を駆け抜けていた。
彼方此方で怒声が響き渡り、松明の光が自分達に近付いてくる。
その中で灯りも持たず闇夜を難なく駆けて近付いてくる気配が幾つかあった。
武士達よりも速い彼らは恐らく忍だろう。
このままでは追いつかれると思っていると、徐に男女の二人が足を止めた。
「何をなさっておられるのです!速くしなければ忍が…!」
焦ったように動くように促す一人に、女は歩み寄り、何かを握らせた。
手に持たされたのは一つの手紙のようだ。
「貴方は生きて、これをあの子達に渡して頂戴」
「なっ!」
女の言葉に何を言っているのかと、驚きを隠せない。
言葉を失っていると、男も継いで口を開いた。
「三人では逃げ切れねぇ!俺達が時間を稼ぐから、おめぇは行け!」
「ならば私が残ります!貴方達が直接…」
「私達の足では追い付かれるわ。でも貴方の脚力なら…。お願い、行って!」
そう言っている間にも、気配がどんどん近づいてくる。
確かに彼ら二人の足よりは、自分は数段速いと自負できる。
一人は苦渋の表情を浮かべて、判りましたと一つ頷いた。
そんな顔を見て、女は暖かく微笑み、軽く抱き締めた。
「辛いことを沢山押し付けて御免なさい。でも…有難う」
その言葉を最後に手を離し、軽く背を押した。
少し躊躇いを見せたが、それを皮切りに一礼すると闇の中へ消えていった。
男女は背中合わせに立ち、女は場にそぐわない明るい笑みを浮かべた。
「ねぇ、あの子達と仲良くしてくれるかしら」
「それは望み過ぎだべ。でも陽太がいるから、在り得るかもな」
男も女に釣られて笑みを漏らす。
初めから言わなかっただけで、元からこういう段取りにする予定だった。
昨日書いていたのは、息子達へ送る最後の言葉。懺悔。そして歓喜と人生の幸福。
そしてあの子を恨んではいけないという、今日までの全ての事の経緯。
「嘉月君が生きていれば、こんなに心配しなかったわね」
「だな。もう四年、過ぎた事とはいえ未練は残るか…」
四年前に滅んだ親友の一族をふと思い浮かべる。
自分達と同じように少しの反感を買い、たったそれだけで殺された無残な過去。
その家には一人の息子が居て、自分の息子達とも仲が良かった。
今更そんなことを思い出しても仕方がないのにと、男は失笑した。
「見つけたぞ!薬師、越前!」
その声に緩慢な動作で、声の主を見やる。
地上を狩衣を着込んだ十人程の役人達が集う。
木の上には忍びが自分達を取り囲むように配備していた。
もう逃げ場は何処にもない。
「奴等を一先ず捕えよ!息子と協力者の名前を吐いて貰うぞ!」
指揮をとるその人物に応えて、皆が一斉に構える。
越前夫婦はそんな中、くすりと笑みを漏らした。
「俺達は絶対に言わねぇし、捕まらねぇぜ」
「出来るものならやってみなさい?薬はね、大きな武器にも成り得るのよ!」
最後の言葉を言い終えると同時に、女は何かを頭上へと高く投げた。
一番高く上がったところで、その物体は景気よく爆発した。
木の上に居た忍びは皆爆風で吹き飛ばされ、役人達の目も上空に釘付けとなる。
その隙を縫って、二人は互いに小瓶を取り出して、蓋を開けた。
それに逸早く気付いた役人の一人が、まさかと声をあげる。
二人は漸く分かったのかと、見下すように最高の笑みを浮かべた。
「言ったろ?絶対に言わねぇし、捕まらねぇってな!」
「共に来るなら教えてあげるわ。黄泉の世界でね…」
その言葉を最後に、役人が止める間もなく、二人はビンを仰いだ。
全てを飲み干すと同時に、二人は折り重なるように倒れた。
苦痛を表情を見せることも、声を出すこともなく。
ただあの満足気な笑顔のままで。
役人が近付いた時にはもう、二人とも息を引き取っていた。
その夜の騒動は、自殺という呆気ない形で幕を閉じた。
此処で第三章・終了となります。
浅間側と言っても、主要なのはその側近二人の話でしたが、如何でしたでしょうか?;
第四章からは明智と伊佐美、2つのサイドが混ざり合ってきます。
どんな展開で、どんな仲間が増えていくのか、今後とも楽しんで頂ければ幸いです。
では、次は第四章でお会いしましょう!