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第三章 第七幕:裏切

護りたい


己の命を捨ててでも


言葉に嘘はない


だからどうか……。







あの日から幾日か経ったが、何の進展もなかった。

桐靖の事においては全く救いの目処が立たず、春日の情報もあれ以降ない。

ただ倉本の表情が段々と曇っていくことに明智は気付いていた。

それを隠す為なのか、最近は二人きりの時も狐の面を外すことなく、報告だけをしては足早に去っていく日々が続いている。

一層のこと話してくれれば良いのにと思うも、彼の性格からして言わないだろう。

心配事が増えたと溜息を吐くと、廊下に一つの気配が降り立った。

こんな夜更けの時間に来るのは一人しかいない。


「狐黒…ですね?お入りなさい」


明智は断定する言葉を投げ掛けて、部屋に入るように促した。

小さく失礼致しますという声がして、障子戸が静かに開けられた。

思った通りの人物に明智は笑みを零すが、倉本から醸し出される重い気に眉を顰めた。

室内へと入り、戸をぴっちりと閉めると、倉本は明智の表情を見て少し首を傾げた。


「如何なさいましたか?」


それは眉間に寄った皺のことを言っているのだろう。

明智はすぐに取り繕った笑みを浮かべた。


「何でもありません。少し考え事を…。早速、報告をお願いします」


少し訝しんだ様子を示したが、倉本は諦めたように頭を垂れた。

狐の面を顔に乗せたままで。


「報告致します。春日については拮抗、あれ以上の情報は得られませんでした。桐靖の方も…いつも通りです。寧ろ牢での生活を満喫しています」


明智はその言葉に呆れたように溜息漏らした。

感情の制御は毎日の報告の御蔭で慣れて、普通に返せるようになった。


「満喫ですか…。例の返事は?」


「…そんな場所行ったか?などと仰っておられましたが」


例の返事とは、明智が桐靖に対して投げ掛けた言葉のだ。

会話が出来ない分、狐黒を通して話していた。

狐黒にとっては内通を面倒に思うだろうが、実のところ明智は助かっている。

直に聞くでないにしろ、彼の言葉が伝われば元気なのだと安心感が得られるから。

明智は桐靖らしい言い草に苦笑を漏らした。


「覚えていないなんて、桐靖らしいですね」


桐靖は別に忘れっぽい奴ではない。

ただそうやってすぐに話を逸らすのだ。

自分を怒らせて、からかいたいのかもしれない。

おどけた様に言って場を繋ごうとするが、倉本からの反応は無言だった。


「…報告は以上に御座います。それでは私はこれにて…」


倉本はそう言うと頭を下げ、用件だけを述べて部屋を後にしようと立ち上がった。

また今日も報告だけ…。

明智は倉本の異変に、表情を曇らせる。


「待ちなさい、狐黒」


さすがにおかしいと、障子に手を掛けたところで、明智は意を決して呼び掛けた。

無視されるかとも思ったが、律儀な性格が働いてか、動きを止める。

ただそれ以降、振り向く事も動く事もしなかったが、話を聞いてくれるだけでも良い。


「狐黒、一人で何を抱えているんです?やはり…自分には言えない事ですか?」


暫らく沈黙がその場の空気を支配する。

やはり答えてはくれないかと、半場諦めていると倉本が何かを呟いた。

聞こえずに聞き返すと、今度は聞こえる音量で返ってきた。


「もし……助けたい人が沢山いるのに、その内の一握りしか助けられないのだとしたら……秀隆様ならば如何なさいますか?」


その思いがけない問いに、明智は眼を見開いた。

それはいつも自分自身に問いている内容と同じだったから。


「…そうですね。自分ならば、目先から助けます。救える限り、自分の命を犠牲にしてでも」


明智にとってそれが今の心情だであり、心掛けている教訓でもあった。

もう見捨てるなんてことはしない。

倉本が生きていてくれたことが、明智にその思考を甦らせた。

あの日から、ばれぬようわざと数人生き残るようにし、その度に逃がしている。

彼らに憎まれようが構わない。

それが生きる気持ちの糧となるならば。

全員を生かすことは浅間の意見に反する行為となり、東の復興をする権力も無くなってしまう為に出来ない。

だから一人、二人を生かすのが限度だが、その者達が良い世に変えてくれればと思う。

明智の言葉に対しての返答はなく、倉本はまた質問を投げ掛けた。


「ならば…片や大切な人、片や明日殺される無実の人間ならば?」


吐き出された声は震えていないものの、何時になく硬いものだった。

明智はその問いに、もしやと眉を顰めた。


「狐黒、また暗殺の指令が?」


その言葉に倉本の肩がぴくりと反応を示す。

明智は其処でようやっと様子がおかしかった理由の合点がいった。

今の言い方だと、明日の夜、暗殺の仕事が入ったのだろう。

狐黒は冷静に黙々と任務をこなして忠誠篤い忍びであると言われているが、その裏では自分と同じ目に合わせるのが嫌で、浅間を毛嫌いしている。

今回の任務も本当は嫌なのだろう。

図星であったためか、倉本は無言でその場を後にしようとする。


「狐黒、自分で行きたい道を選んでみなさい」


明智のその唐突な言葉に倉本はまた動きを止める。

見えないだろうが気配で伝わるだろうと、明智は倉本に微笑んだ。


「好きなように動いて良いんですよ?貴方の人生です。失態ならば自分が全て揉み消してみせます」


少しでも倉本の心が楽になるようにと、そう気持ちを込めて明智は、自信有り気な口調で軽やかに言った。

倉本はそんな気持ちを知ってか知らずか、失礼致しますと呟くように言って部屋を出た。

未だ小さな背を見送ってから、明智は息をつき、手に持った扇子を握り締めた。

そう、絶対に死なせはしない。


「我が身を犠牲にしてでも助けたい者の内には、貴方も当て嵌まるんですから」


先程答えた言葉通り、自分が全てを揉み消そう。

だからどうか、己一人で気負わずに。

明智は倉本が無事に戻ってくることを祈りつつ、既に敷かれていた褥へ横になった。

皆が望むこの頭脳を、明智は怨む事があった。

頭が良かったとて、人の心を理解することまでは出来ないのだから。

どんなに苦しくて哀しくて、楽しくて嬉しいのか。

戦略に必要なのは、どのように相手を格好の場へ誘い込み、殺すのか。ただ、それだけだ。

倉本に投げ掛けた言葉も、あれで良かったのかは判らない。


「とんだ役立たずですね…」


明智は自分の無力さに脾肉の笑みを浮かべた。

でも何かに迷っているというのなら、己で選んだ道を突き進んで欲しい。

ただの願望で自己満足に過ぎないが、述べた言葉に嘘はない。

明智は様々な事変に対応できるようにと講じながら、次第に深い眠りへと落ちていった。







翌日の同時刻。

倉本は幾ら待っても顔を出さなかった。

答えを見つけ出し、何か動きをしたのだろうか。

思考に耽っていると、何やら外が騒がしくなってきた。


「明智様!明智光秀様!大事に御座ります!」


切羽詰った声が、障子の向こうから掛けられた。

明智は呼ばれた自分の別名に、単衣の上に羽織を着込み、障子戸を緩慢な動作で開けた。


「こんな夜更けに何事ですか?」


今まで寝てましたというかのように、明智は気怠げに問う。

庭先には片膝をついた、一人の衛侍がいた。

彼は浅間の城門でよく見かける衛侍で、明智の姿を見咎めると軽く礼を取った。


「眠りを妨げてしまい、ご無礼を」


「前置きは不要です。何事かと聞いてるんです」


「はっ!今宵の越前家暗殺任務にあたっていた忍、狐黒が標的を逃がし、共に逃亡中!その事に関し、義政様より直ちに城へ召されるようにと御命令です!」


明智はその言葉に驚きの表情を浮かべた。

だがそれは一瞬のことで、羽織の端を握り締めて、衛侍に命じた。


「承知しました。貴方は戻り、すぐ出仕する旨を伝えて下さい」


明智の指示に衛侍は深く頭を下げ、元来た道を駆け出した。

次いで馬の嘶きと、遠く離れていく駆け音が聞こえた。

明智は自室に引き返し、深く息をついた。

平静に努めて見せてはいたが、その胸中は穏やかではなかった。

改めて倉本の選んだ道を思い、自分の今からすべき事を考える。

絶対に救うのだ。

自分のせいで身寄りを無くした、あの子を。

本当は早期に西へ渡すことも考えたが、固い彼は頑なに拒むだろう。

決められた文句のように、恩人である人を置いては行けない。と言い、更には主である方と共に散るのが忍だ、と言うであろうことが容易に想像出来る。

本心ではないだろう形式ばった言葉。

だがそれは嬉しくも有り、胸が痛む言葉でもあった。

自分が彼を此処へ置くことを考えなければ、散るという選択肢はなかったのだから。

明智は直衣に着替えて、己の武器を手に取り、再び部屋から出た。


「逃げ切って下さいね、    ……」


できるなら追手の届かぬ西の地まで。

悲痛とも言える零れた呟きを聞き留める者は誰も居らず、ただ薄暗い静寂な空間に響いた。

祈るように見上げた空。

其処に浮かんでいたのは何にも邪魔をされず、煌々と光を振りまく完璧な満月だった。




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