宗教国家 韓国
歴史的にも最悪と言われる日韓関係で、なぜ韓国はあのような考え方をするか?
例によって、シゲ爺と、トモちゃんが、歴史的な振り返りと、宗教:儒教という切り口で説明してみます。
韓国って宗教国家?
今朝 出勤してきたトモちゃんが新聞を見て憤っております。
シゲ「朝から不機嫌ですねぇ、何かあったの?」
トモ「韓国の一連の報道を読んでみたけれど、原因は1965年の日韓請求権・経済協力協定で賠償問題は解決済みなのを、ちゃぶ台返ししたからよね? いくら当時の政権が、軍事政権だろうが、国家間の約束は約束。 それを守るのが、国家の信用なのに」
シゲ「そうですね、トモちゃんも表面の出来事でなくて、主となる原因で考えていますね。」
トモ「褒めて貰って嬉しいけれど、韓国の約束破りは気分悪いわ! 何で国家が約束を守らないで、むしろ日本を非難するの?」
シゲ「それを理解するには、韓国の歴史と民族性を判る必要があります」
と言う事で、シゲさんの説明が始まった。
<歴史的背景を振り返ると>
東アジアでは歴史上 中国が圧倒的な存在であり、文化面で周辺の国々に大きな影響を与えていました。 日本は海を隔てている事もあり、文化については取捨選択しながら取入れ消化してきました。 例えば、政治制度では宦官、科挙などは取り入れませんし、宗教面では孔子は尊敬するけれど儒教という宗教や社会通念は取り入れませんでした。
一方で朝鮮半島では、地続きでもあり、小中華とも言うべきミニ中国、中国文化の優等生の如き存在でした。 高麗王朝は唐から冊封を受け高麗王となり、その後の李氏朝鮮は、明に国号を「朝鮮」と名付けて貰い、冊封を受け朝鮮王となりました。
ところが明が異民族に倒され、異民族の王朝である清となり、李氏朝鮮王:仁祖は、宗主国であった明を倒した清を皇帝と認めません。
1636年 清のホンタイジが朝鮮に親征して、1637年 朝鮮王は籠城で抵抗しますが、結局 降伏します。(丙子之役)敗北の結果 朝鮮王は「明が滅びて、清が中国の皇帝だ」と公式に受け入れる事になり、粗末な衣服で、受降壇の最上段に座るホンタイジに向かって最下壇から三跪九叩頭の土下座を行うという屈辱を味わいます。清の皇帝は、約束として明記する為に、「大清皇帝功徳碑」という巨大な石碑を立てました。
これには、国王の土下座の図に加え朝鮮国の大清国に対する義務(朝鮮王は清の臣、人質、朝貢や服従など)が条約文として明記され一種の国家間の条約と見なす事が出来ます。この条約は日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で、清の冊封体制より李氏朝鮮が離脱して無効となりました。この土下座の碑は朝鮮民族には、長年の屈辱だったので、すぐに埋められました。
この事件と条約は、酷い屈辱ですが、一方で心理的には自分達こそ中華文明の正当な継承者なのだという考えが主流となりました。つまり戦争には負けたが、精神は負けていないぞという事です。 これは民族の誇りや、粘り強さにつながれば、良い面もあります。
しかし、方向を誤ると、中華文明は、実は自分達が起源だという思い込みにつながります。
トモ「ウリジナルね!」
シゲ:武力や強制された国家間の約束も無効なのだという考え方も、この辺りに起源がありそうです。国家間の力や、戦争の結果による、不利益な条約が存在するのは歴史の中では当たり前です。外交で解決できないから、その延長として武力行使、つまり戦争が起こります。沢山の国家が存在する欧州では、これが当たり前で、敗北の結果として不利益だろうが国家間の条約は守るというコンセンサスが出来ました。
日本の近代化で、欧米に国家として認められたのは、幕府の結んだ不利益な条約を継承したからですし、中国共産党も清朝が結んだ香港、マカオなどの租借条約は継承し、文化大革命のような大混乱の時期でも、香港に水や食料を送っていました。 だからこそ、中国共産党は中国として国際社会に受け入れられ、国連の常任理事国にもなり、改革開放路線に対して海外からも投資をしてもらえ経済発展しました。結局、国家間の約束は、不利益だろうが継承するのが、まずは近代国家としての基礎なのですね。
<韓国の近代化の特徴>
トモ:「それじゃぁ、韓国は近代国家では無いの?」
シゲ:「簡単に結論を出す前に、もう少し歴史を振り返ってみましょう」
韓国の特徴は、自力だけで近代化をしたといえない点であり、その事実を無視し自力で近代化したと言うのも特徴です。
19世紀では、中国は西欧に蚕食され、その中で必死に近代化を目指しました。
日本も中国の西欧による蚕食を見て、幕末の攘夷論から開国に転じ、明治政府の近代化につながりました。中国の近代化は、日本との半島宗主権の争い、台湾の領有、そして日中戦争など、ある意味 アジア人同士なのに日本から後ろから撃たれた観があります。にもかかわらず、日中間は国交正常化以来、少なくとも国家間の条約は守られています。
一方の韓国ですが、宗主国の清から脱した後、一時期 李氏王朝による大韓帝国が存在しますが、すぐに日本の統治下にはいり、その中で近代化を行いました。
同様に、清の版図から、日本に組み入れられた台湾も、日本統治下で近代化を行います。
ここで言う近代化とは、西欧法理を元にした政体の導入と近代工業の導入です。
中国も、日本も、近代化の為には、国民は精神面で様々な葛藤をしました。
日本では、旧体制と新政府との戦争、文明開化に取り残された人々や武士の内乱、急激な西欧化に対する従来の伝統や文化への揺り戻し。精神面では、キリスト教を表だって排除できないので、これに対抗する為の国家神道の樹立や教育勅語などの皇民教育。 国家神道確立の過程で、神仏分離が行われ、従来神仏が融合していた境内(八幡、山王、熊野、愛宕など)から寺院の建物や文化財も大量に失われました。
中国では、儒教と道教などの固有宗教による強固な思想と慣習があったのですが、これが近代化に伴う科学的思考の導入と葛藤します。 特に、儒教の持つ強固な上下の礼は身分制にも通じ、中国共産党の理念とも衝突します。 毛沢東は、この儒教の影響を廃する為に、色々な変革をします。 文化大革命による、寺院の破壊や、僧の強制還俗と農村での労働。
特に儒教に対しては、「批孔運動」で孔子批判。 孔子や儒者を反革命分子の代表として、秦の始皇帝を絶賛し水滸伝の山賊達を農民革命として絶賛しました。
地主層への弾圧と批判は、非常に厳しく反革命分子として財産を没収し、自己批判の上 農村で労働改造。こうした運動は、伝統文化や文化財の破壊も引き起こし、従来 教養人として村の中で知識を広め尊敬されてきた知識人としての地主階級を消滅させました。
色々な負の面も多いのですが、その結果 共産党下の中国は、旧来の身分制度を廃し近代化を成し遂げました。
言い換えれば、それだけ儒教による身分制が強固だったとも言えます。
トモ:「何か、韓国から遠のいているような...」
シゲ:「コホン、前フリも終わったので、お話しを韓国に戻しましょう」
韓国の近代化は、このような大きな葛藤を経ずに、日本の占領下で行われました。
この為、幸か不幸か、自分で葛藤せずに、いつの間にか近代憲法が導入され、工業化も進み近代になってしまったのです。
トモ:「それって、台湾も同じなのでは?」
シゲ:「その通りです。 でも台湾は、大陸(中国共産党)が中国を代表する事になって、多くの国から正式な国交を断絶されました。 それだけに外交に対しては、非常に合理的で慎重です。 台湾では日本統治時代は「日本により近代化が行われた」と、ポジティブな面も事実として認めています。 日本による功績を認め、それ以上は独自の発展が必要と考えて、日本の技術を導入しつつIT分野で成功したのですね。」
台湾と韓国の違いは、もう一つあります。
台湾は清朝の官吏や大地主が少なかったので、儒教的な身分制が薄弱だった点。
それらが日本統治時代の皇民化教育で払拭され、統治時代の日本人地主は敗戦後いなくなってしまった。 つまり中国で問題だった地主階級と儒教制度は、台湾では日本統治の影響で自然消滅していたのです。
<韓国:儒教という宗教国家>
トモ:「それで韓国は?」
シゲ:「はい、李氏朝鮮における儒教の影響のお話しです」
中国が清となって、李氏朝鮮が敗北してから、精神的には「自分こそが真の中華文明の継承者だ」という秘かな誇りは、屈辱とバランスを取るために時代と共に深まってきます。
明の儒教:朱子学は、真の中華を自負する李氏朝鮮において更に深められます。 先の高麗王朝で、盛んだった仏教を排し、朱子学を唯一の学問(官学)として、両班の基本学問になりました。韓国でお札になっている李滉(1000ウォン紙幣)、李 珥(5000ウォン紙幣)の二人は、朱子学を更に深め大学者として、今でも尊敬されております。
両班とは、地主階級であり、知識人であり、搾取階級として中国共産党では目の敵にされた存在でした。
韓国人は先祖や身分を重視しますが、聞いてみると殆どの人が両班の出身だそうです。
李朝時代には10%以下だった両班(地主階級だから当然少数)は、日本統治時代には旧来の身分制度を廃し、戸籍は自主申告としたら60%以上が両班。 今では殆ど韓国人が両班のようです。両班は、王族に次ぐ、上位身分として支配階級として君臨しました。これが強固な身分制の基礎として、上下関係の重視が社会に定着します。
私は、韓国で仕事をした事が何度かありますが、仕事であいさつすると、まず上下関係をはっきりさせます。 Vender(販売側、供給側)とClient(顧客)ならば、ビジネス上下関係ははっきりしています。 双方とも物を売り買いしているような場合は、どちらが顧客とも言えないので、食事や酒の席では、まず齢を聞かれます。それで無ければ職位や地位を聞かれます。日本人にとっては、仕事以外のプライベートと思う席でも、こうした上下関係は強く意識されます。相手が上となると、先に飲む、食べるなどはしません。
言葉づかいなども変わります。相手を呼ぶときは、「様」付けになります。 親に対しても様を付けます。結局、このような習慣は儒教礼の上下関係に基づくものが未だに存在します。基本的には親、年長者には逆らえません。同姓(同族)間では結婚はしません。
血統が遠い何百年前の同族だろうが同姓婚はしないので、それを確認する為に「族譜」という一族の系図があり、両班の子孫というからには、この族譜に載っているのが同然であり、同じ族譜にのっている家は、どれだけ血が遠くても一族なのです。
一族で成功者(政治家、金持ち)が出ると、一度も会った事も無いオジサンがやってきて、自分の家族を支援しろ、結婚式に出ろと命令してくる事もあります。
これも儒教的な同族社会の特徴です。 遺伝的な血統が遠かろうが、目上(年長や同族宗家に近い血筋)には逆らえません。 逆らえば、同族社会からつまはじきになりますので。
この負の面が、政治家の不祥事で、政治家として権限を持つと、一族の人々に便宜を図らないと「人でなし」と血族社会から糾弾されるのです。
私が大財閥の社員と仕事をしていた事がありますが、その時に感じたのは、
1)大財閥の社員は両班の中の両班:貴族
2)大財閥の中でも熾烈な出世競争:まるで韓国宮廷ドラマの内部抗争
ある日本の部品メーカの現地駐在員は、財閥の社員に休日でも呼び出され、レストランの予約やゴルフの手配など、召使のような扱いを受けたと言っておりました。
ある大財閥の社員は、30代で課長、40代で部長、50代で役員になれないと、外に出ます。
言い換えれば、財閥の社員は、それだけ厳しい社内の競争に勝ち続ける必要があり、大変な緊張とストレスにさらされている感じでした。
<宗教国家って?>
近代国家とは、西欧の法理を取り入れた法律(世俗法)が整備されています。
世俗法とは、宗教の規範を除き、世の中の事を決めた法律です。一般に私達が法として意識するのはこちらです。
それに対して、宗教上の法を定めたものを宗教法と呼びます。
宗教の戒律や規範が、社会の中で法として運用されているものです。
古くは仏教の五戒、ユダヤ教及びキリスト教の十戒など。イスラム教の「シャリーア」(イスラーム神聖法)を宗教法として運用し 飲酒などが罪になる例などがあります。
世俗法と宗教法は、本来は車の両輪のように、補完しあって機能するものでした。
しかし宗教法と世俗法は、時に衝突する事があります。
日本では「エホバの証人」の信者の子供が交通事故に合い、手術における輸血を拒否し死亡する事件がありました。 これは、世俗法では保護者である親が子供の生命の保護の義務がある一方で、宗教法で輸血を禁止している事が衝突した事例です。このように、宗教法と世俗法が個人のレベルで衝突し、宗教が優先される場合はあります。
宗教法や宗教的価値観が、世俗法より優先される国家を宗教国家と呼びます。
イスラム教が優位にあるイスラム教国家に於いては、イスラム教徒同士の契約は宗教法により平等である事が求められますが、異教徒に対しては不利益である事が許されます。
近代法理では、法の元の平等が保障されますが、異教徒は別だという宗教的解釈が可能です。 ですからイスラム教国家でのビジネスでは、当然 そのような前提でビジネスや契約を行う必要があります。
<韓国は宗教国家?>
近代国家と言われる国家の場合には、政教分離の原則があり、特定の宗教の価値観で不利益になる事を認めません。
例としては、法の下の平等、法は訴求せず(後追いルールで裁かない)、人は自分の罪のみで裁かれて、親や家族の罪は及ばないなどです。
私が韓国を宗教国家だと思うのは、これらの基本ルールが守られていない場合があるからです。
1)事後法で、法は訴求する:「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」
長いので「反民族法」と略しますが、この法律は2005年末に国会で可決された、日本統治時代に日本に協力した人々と、その子孫を対象として、その財産を取り上げる特別法です。
シゲ「トモちゃん、近代法の原則は?」
トモ「法は訴求せず、そうでないと後追いの法律で罪人に出来るものね」
この法律が対象にするのは、日露戦争開始前(1904年)から韓国独立前(1948年)までの間で、日本の韓国統治に協力した人々。 だから後追いの法律が過去にを裁く事後法です。
当然 1904年の頃の人は亡くなっているから、財産を取り上げられるのは当事者ではなく、その子や孫の代になります。 つまり連座制。
トモ「それって変じゃない? 韓国では近代的な法律も憲法もあるのよね」
シゲ「近代法理としては非合理だね、法の不遡及の精神に反する可能性大、親や先祖の罪が子孫に及ぶ連座制でもあり、憲法が保障するはずの財産権の侵害の可能性もある」
しかしながら、儒教の世界では、罪の連座は普通にあって親の罪で子や家族が罪人になる事は当たり前。 善悪の二元論的な価値観なので、悪人は常に叩かれ続けて、法の保護とは無関係になります。 だから、私は韓国は世俗法(近代的な法律)の上に、儒教法が存在する宗教国家だと思っています。
2)善悪の二元論:罪人は叩け!
儒教法の国だと思う例は、他にもあります。
例えば「ナッツリターン事件」、これは大韓航空のオーナ一族の副社長が、機内サービスに文句をつけて、飛行機を引き返させた、パワハラ事件。
韓国の歴史ドラマを見ても出て来ますが、身分(立場)が上の人が下の人に向かって、感情をぶつけます。ここには合理性や理屈ではなくて、上から下への責任転嫁と、下の人間には感情をむき出しにしてぶつけるのが当たり前。下の人間は受忍する。
トモ「それが儒教的なの?」
シゲ「儒教的な面もありますが、身分制の負の遺産でしょうね」
シゲ「より儒教的なのは、この事件の後です。」
従来からのパワハラの暴露もあって、世論の非難が盛り上がり、ひたすら叩き始めます。
リターンさせた副社長の女性は、マスコミの前で粗末な服で謝罪。 父親である大韓航空会長もマスコミの前で謝罪。 儒教的なのは、罪人認定されると人権は無くなる。
ツバを吐き掛けられ、親も謝る必要があります(連座制)
善人(糾弾)側は、悪は叩くのは正しいと、世俗法を超越する。
トモ「悪い政権が結んだ約束は守らなくても良い」
トモ「そういえば、韓国の歴代大統領は、人気が終わると罪人になるわね。
酷い時は死刑になったり、追いつめられて自殺したり」
シゲ「私は、これは疑似的な王朝交代なのだと思っています。 近代的な国家では、選挙による政権交代は当たり前に起こります。 当然与党から滑り落ちた政党は不遇にはなりますが、死刑とか牢屋にはゆきません。 しかし疑似的な王朝交代と考えれば、前の王族は牢屋に幽閉されたり、首を切られたり」
トモ「なるほど、そういう見方だと辻褄があってしまうわ」
3)三権分立でない文大統領
シゲ「ところで、トモちゃんは三権分立を知っていますか?」
トモ「司法(裁判所)、行政(政府)、立法(議会)が独立して、バランスを保つ体制よね」
シゲ「良くできました、文政権の韓国では これが上手く機能しないと知っていますか?」
トモ「例の徴用工問題の発端が最高裁判所の判決、政府は三権分立だから、それを尊重した」
シゲ「それって、本当に三権分立ですか?」
実は、パク・クネ前大統領の時代に、すでに同様の最高裁の無効判断は出ていました。
パク大統領は、合意無効を言ったら、韓国は国際社会で恥を掻くと、その判断を出すのを止めました。 国家間の条約の批准や外交は行政と立法の問題。だから裁判所が、それに対して矛盾のある判断をした場合に、正しくバランスを取るのが本来の三権分立です。
事実、パク前大統領は、裁判所の判断を優先せず、政治的判断で国家間の合意を重視したのです。
これは、政府の責任者としては、各国との外交、国際的な信用、経済まで考えた上での決断だったと思います。 文大統領の判断は、一見 正しそうに見えますが、裁判所の判断を最優先しています。 裁判所は、個々の事例の法的判断しかしませんから、それが国家や政府の決定として正しいとは言えません。同じ判断をするなら、三権分立の意味がなく、一種の責任放棄ですね。
先の政教分離の原則の例ですが、米国での国家行事等での「星条旗に対する宣誓」にある「one Nation under God(神の下にある一つの国家)」が違憲だと、無神論者が裁判を起こした事があります。サンフランシスコ連邦裁判所は違憲と判決しましたが、連邦議会は圧倒的多数で反対決議を可決しました。 このように、裁判所は違憲性だけを考えて判断するので、実際の社会での運用面を考えるのが議会の役割であり、裁判所と違う結論があるからこそ、三権分立なのです。文大統領の「裁判所の判断を尊重」は、自身の責任放棄のようにも見えます。
トモ「これも儒教的な問題なの?」
シゲ「これは個人の資質の問題、弁護士出身が裁判所絶対の理由かもしれませんね」
ただ、儒教には善悪二元論の面がありますから、様々な条件を考えて判断するよりも、「日本は悪い、過去の政権は悪い、それが結んだ合意は無効だ!」という善悪論の方が、国民には分かり易いし、支持も集めやすいのは事実でしょう。
トモ「シゲさんの説明を聞いて、何やら不合理な韓国政府の行動原理が判った気がする。
でも、それが判ったけれど、どうすれば良いの?」
シゲ「基本は、すでに政府が言っているように「国家間の約束を守れ」と冷静に言い続ける事でしょうね。 日本も一緒に感情的になって騒いでも、事態が悪化するだけです。:
トモ「相手の行動原理が見えてくると、冷静になれる気がする。
韓国は儒教による宗教国家なのね」
シゲ「韓国人自身が、その事をどのくらい意識しているかは不明です。」
イスラム教国家のように、明白な宗教法があって、飲酒が禁止とか、男女の隔離、異教徒の不利益などが、はっきりと判っていれば対応の仕方もあります。
ところが、韓国の儒教法は見えない法律だから、まずはそれを理解して対応する必要があります。 政府としては、近代法理にあっていない解釈は、不合理だと指摘した方が良いかもしれません。 これは、日本に関係した事項だけでなく、パク前大統領に対する不合理な取り調べや、非民主的と思われる扱いに対する指摘や、「反民族法」のような違憲性のある立法と、その行使については批判するべきでしょう。その場合に重要なのは、違法性と、それによる人権の侵害を、事実を元に問題にすべきとおもいます。
宗教国家としての韓国で困っているのは日本だけでなく、むしろ韓国国内にも非合理な社会で苦しんでいる人も沢山いるのです。
こうした不合理を指摘する事は、同様な不合理を日本にも適用しているという証拠にもなります。これならば国際社会にも理解を得やすいでしょう。また、韓国の中でも、日本に理解を寄せてくれる人が増えるかもしれません。
トモ「韓国に対し、過去 悪い事をしたのだから、日本が折れるべきという日本人もいますが」
シゲ「儒教的な善悪二元論から考えれば、現時点で日本から折れる事は、悪だという韓国側の判断の補強にしかならないでしょうね。」
少なくとも、韓国側が、自国特有の儒教的価値観を、日本に適用しているという点を判らせる必要があります。こういうローカル・ルールは、当人達は無自覚に当たり前と思っていて、周囲の人も同じだという勘違いは多いです。むしろ、それがローカル・ルールで、外国には違法性が高いという点を理解して貰うのが宜しいと思います。
日本が歩み寄るのは、それからでも遅くない。
<結論>
韓国は、歴史的にも、地理的にも、日本と深いかかわりを持つ国です。
両国には、言語面でも、習慣でも、共通したものや類似性も沢山あります。
一方で、近代化という面では、日本や中国は、独力で苦しみながら行い、その中で過去の因習や問題点を克服してきました。 韓国の場合には、幸か不幸か、国内の革命や内戦な、文化面の変革などの大きな変化を経て自主的な近代化を行う機会がありませんでした。
この為に、近代化と相容れない儒教的な価値観が、高度に技術が進んだ社会の中に残っている特殊性があります。そのような民族の伝統を大事するならば、それも良い選択なのでしょう。しかし、国際社会の中で共に生きてゆくならば、やはり変わらなければいけない部分は多いのだと思います。
U18の野球チームのように、忖度して日の丸を隠すのは相手を信用していない事になるし、
罪悪感による譲歩は、いつまでも善悪二元論の世界から出られない事になります。
今は、韓国側に変化が必要なのだから、良き隣人としては、波風をおこそうが相手の問題点は指摘して変えて貰うべきなのです。そして、韓国の中でも、不当な扱いや人権侵害に苦しんでいる人々にも目をむけるべきとおもいます。 それらを解消して相互理解が出来れば、上下関係や善悪では無い、本当に良い関係を構築できるのだと思います。
なるべく時事問題になるように、努力します。
次回も時期未定