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ジジイの時事ネタ  作者: 五反田猫
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召集と軍隊

トモ:今日は終戦記念日ね。


ジイ:昭和天皇が停戦を命じた日で、国民に連合国への降伏を伝えた日ですね。正式に降伏したのは、昭和20年9月2日 USSミズリーで、

降伏文書に署名した日ですね。


トモ:シゲさんは面倒くさいわね。

   そういえば、シゲさんは戦争に行ったの?

シゲ:私は昭和ヒトケタだから戦争には行きません。 

   同世代でも殆ど行ってません。

トモ:でも東京大空襲で死にそうな目にあったって、

   言っていたわよね。

シゲ:戦争に行く事と、戦争で大変な目にあうのは全く違いますよ。

   もう知らない人が多いから、召集について説明してあげましょう。

近代日本の徴兵制度は、1873年に徴兵令が出て1945年の敗戦まで続きます。

これは、日本だけが特殊でなくても、当時の近代国家では、男子国民には徴兵の義務が

当然のようにありました。

他国の事は知らないので日本の徴兵制度についてお話しします。


<徴兵検査>

これは、当時の20歳になった成人男子は全員受けたものです。

内容は、現代の健康診断とほぼ同じで、兵役が出来る健康体なのかを確認し、登録しました。

検査結果で、健康ならば甲、軽度の問題(強度の近視、既往歴など)があると

乙(状況により1,2の二段階)、成長が不十分、または病気療養中は戊、更に

重度の身体障害があると不合格となりました。 不合格を除いた、甲乙丙が兵役対象者になりました。徴兵検査は文字通り検査だけで、すぐに兵隊になるのではありませんし、陸軍が海軍の分も共同して行いました。


<入営と出征の違い>

最近のドラマや映画では、赤紙:召集令状がくると戦場に行くような描写があるが、あれは間違い。 

召集令状は、兵役対象者の一部に対して、兵士としての訓練の為に「入営」させる為の命令。 海軍の場合は「入団」

新兵の訓練は1年くらい、昭和20年の兵隊不足になると、6か月くらいに短縮されたが、

それもすぐに部隊に送られるのではありません。

訓練が終わると、一旦 除隊になり、家に帰れます。

しかし、戦争中だと、除隊後 即日召集され、そのまま部隊に配属されました。


部隊に配属されて任務(戦時中は戦地)に向かうのを「出征」と言います。

これも、映画やドラマの幟旗で送られるシーンで混同されている場合を見ますが、幟が

「祝入営 **君」とあれば、兵士の訓練に、本籍地から送り出す場合。

「祝出征 武運長久 **君」とあれば、戦地に向かう場合。

前者ならばまだ戦争に行かないし期日が判っているので家族や親類が見送り出来ました。

後者ならば まさに戦争に行く所。 昭和19年末くらいになると、除隊後 そのまま召集され部隊に組み込まれるので、家族や知人に知らされず送ることも出来なかったのです。 私の世代:昭和ヒトケタでは、昭和20年に志願や徴兵年齢の引き下げが行われて、召集されたが出征前に終戦になったので、兵隊の卵のままで戦場には行かなかったのです。 例外は、予科練や陸軍少年兵などに志願した場合。これも訓練期間中に終戦になった人が多いが、なまじ優秀な場合には訓練繰り上げで任官、戦地に行った例外もいたようです。


<召集率>

兵役対象者の中で、実際に召集される率を召集率とします。

この召集率ですが、世代によって違います。

私の亡父は、1903年、明治36年生まれ、日露戦争の時は乳飲み子。

この世代の召集率は、統計を見ると2%以下、だから同世代で戦争に行った人は殆どいません。

私の父も召集されずに、召集にあたった人は周囲から、お気の毒にと言われていました。

 私の世代:昭和ヒトケタは、戦争の時にはハイティーン、熱血愛国少年でしたが、徴兵年齢に達していません。 当時は空襲もあったから、「鬼畜米英」とか言って騒いでいましたが、未成年だから何も出来ません。 もちろん、工場に動員されて、そこで空襲に会いました、周囲でも死傷する仲間もいました。しかし、戦争に行く召集率で言えば男子の1%以下でした。

この1%は、軍隊の志願年齢と徴兵年齢が昭和20年に引き下げられて、志願した分と敗戦前に18歳になった一部です。あのまま戦争が続いたら、もっと多くが戦場に行ったかもしれません。


一番 召集率が高いのは1916年―25年(大正5-15年)までの世代の平均値で12%。

この世代の男性は、戦争中に20代だった世代で戦争に行った中心世代。

職場や自営の場から戦場に行きました。

私の叔父がこの世代で、大学を出て当時の人気企業だった日本郵船に昭和19年4月に入社したが、職場には出ないまま、甲種幹部候補生になり国内で訓練し19年末に少尉になって、南方のジャングルで死にそうになって帰って来ました。過酷な戦争体験をしているのは、まさにこの世代ですね。 残念ながら、この世代は、生きていても100歳近くですから、戦場のお話しを聞ける貴重な世代です。


<再召集と老兵>

父の世代:明治末は、敗戦直前に30代中盤から40代前半。 家庭も持ち、子供がいる人が殆どでした。 しかし兵隊が不足した為に、この世代は気の毒に、再召集されます。

特に、過去に兵役を経験した人は、再訓練を短縮できるので優先的に召集されました。

その結果、自分の息子くらいの若者と一緒に入営して訓練、運が悪ければ戦場に行きました。

但し、統計からみると、この世代を敗戦直前の召集率は1%以下。

確率で言えば百人に一人の、大変 お気の毒な状態でした。

徴兵に関する法律は、戦後廃止されましたので、それは結構な事です。

一方で召集や徴兵が遠いものになった事で、当時は当然だった事も判らなくなりつつあります。

当時でも徴兵や召集は、殆どの成人男子は行きたくなかったのです。

それは軍隊内の流行歌で「一つとせ、人の嫌がる軍隊に..」と歌われた事からも判ります。

その一方で、私を含む当時の愛国少年少女が、「鬼畜米英」と、戦う気満々だったのも事実です。 更に、戦争に行った人々も、ある特定の世代が10%を越える高い召集率を示す一方で、その前の世代では1%程度と低い場合もあります。

また、殆どの世代は、満期まで兵役を務めれば二度なかったのに、30代―40代で再召集された人々もおりました。

このように、世代によって負担が大きく変わっている事は、頭に置いた方が良いでしょう。

戦争を知っている世代は、急激に減っています。 ですから、その話を聞く上でも、当時の背景を理解していた方が良いでしょうね。


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