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第92話  居場所はなくならない

お客さんの合間をぬって、マキノは真央の持って来てくれたフルーツを切ったりスポーツドリンクを持って、遊の様子を気にして下へと降りた。

昼ご飯をたずねると、いらないと言ったが、遊はうつらうつらしたり、スポドリや果物は口に入れたりもしているようだった。



夕方、ヒロトが戻って来た。

「遊のお熱測ってくるわ。」

マキノはヒロトに店を任せて、遊の様子を見に降りていった。


遊は、横向きかげんの姿勢で、そろそろ呼吸も楽そうになっていた。

左腕は布団の上に出ていて、右腕は顔を隠すようにおでこの上に乗っていた。寒くないのかしら・・。

寒かったら可哀想だと思って微弱のヒーターをつけっぱなしにしておいたけど、逆に暑かったのかな。


顔が手で隠れていたのでそっと避けて、おでこの熱を手で測ってみた。

うん・・さがってるかな。もう一度手の甲の側でも熱を確かめた。

「どぅお?」

御顔色を見ながら声をかけると、遊はふわりと手を動かして自分のおでこにあるマキノの手をゆっくりとつかんだ。

「起きてたの?」

「・・・。」

遊は、何を考えているのかわからないような表情で、ぽーっとマキノの顔を見た。

「なあに?」

力はほとんど入っていなかったが、遊が自分の方へとマキノの手をじわりと引いた。


「え?・・あ?・・え?」


おおいかぶさるような態勢をしていたマキノは、バランスを崩してあっけなく遊の上に倒れ込んだ。

「うぐっ・・なにす・・・。」


遊はマキノの体を抱きしめた。

「・・んの・・。」


マキノがじたばたしていると、遊は自分の体を起こすようにして、マキノと態勢を上下逆転させた。


気がつくと、口がふさがっていた。


「んんん!?!?」


えええええっ? 遊と私が、キス????


「・・んぐぐ・・・。」


遊!!なにやってんのおおおお!!

あっ、手が!!

手が胸に!!こんにゃろぉーーーーゆるさん!

もうゆるさんぞ!

「んぐぐっ。」

渾身の力で遊を跳ね飛ばそうとするが、重い。

はぅっ??

片手が遊につかまれていて、意外と強い力がかかっている。

布団に挟まって動きがとれなかったもう片方の手をうぐぐと引っ張り出すと、遊の顔を押しのけるためにほっぺたにピタンと手のひらを押しつけた。

「んぐぐぐっ・・」

抵抗したマキノの手を、遊がまた押さえつけた。

とりあえず唇の上の唇と胸の上の手は排除できたが、両手を遊につかまえられた格好になった。


えっ?えええっ?


これ絶体絶命!?

じた・・じたばた・・・逃げられない!?

「はぅっ・・」

声をあげようと思うけど、声にならない。

至近距離で、さっきまでと同じ、感情のわからない顔で遊が自分を見下ろしている。

なんなの??

まさかの、貞操の危機??


はっ・・はっ・・春樹さんっ!!!


それにしても、・・遊!!・・遊!!・・なんなのよーっ!


「ゆうううううーーーっ!!!」


ようやく声が出た。

大声って出したい時にすぐに出てこないものなのね。

なんとか逃れようともがいていると、遊の力がふっと抜けて、体が軽くなった。

体が自由になったので、跳ね起きた。遊も布団の上に起きて、そのまま座ってぼーっとしている。


「ゆうっ!!・・・寝ぼけてんの?」

「んー・・・。」

表情からは、何も読み取れない。遊は無表情だ。



はぁはぁはぁ・・・まずは、確認から。

「遊・・あのさ・・。」

「ん?」

「まさか、ファーストキスじゃないでしょうね。」

「・・・ちがうよ。」

こいつっ・・。

マキノは遊の頭を小突いた。


「その彼女は、どうしたのよ。」

マキノに小突かれた頭をさすって、遊はボソボソと返事をした。

「痛い・・・。こっちに来る前・・・とっくに別れた。」

「遊っ、あんたっ、ひどいやつだなっ。」

「ひどくない。オレがフラれたんだから。」

「あっ・・あ、そう。・・こっ、こっ、こんなことするからでしょうが。」

「してない・・。」


「じゃあ、これはなんなのよ!」


「・・えっと・・・わかんない・・・。」

「熱でおかしくなっちゃったんじゃないの?」

「・・・。」



遊は、マキノの顔を見て何か言おうとしたが、そのまましばらく黙っていた。

そして、さっき小突かれてさすった頭を、今度はポリポリとかいた。


「・・・関係ないけど、真央から告られた。」と言った。


急に話しの方向が変わって、かくっと拍子抜けする。

「あら?・・やっぱり。」

「なんで・・知ってたの?」

「春樹さんが、早くから気づいてたよ。」

「へえ。」


「ハッ・・まさか、真央にはこんなことしてないでしょうね!」

「・・してないよ・・。」

「んっ?なにっ!真央にできなかったからって、私にっ!?」

「いや、ちがうって・・」

「むかーっ!!」



遊が、うつむいた。

「・・・ごめん。」

「・・・。」

「悪かったです。」


あやまられると、なんて怒っていいのか、わからなくなってきた。

遊は、しばらく黙ってから、こてっと首をかしげた。

「オレ、なにしたんだっけ・・?」

「えっ?・・・まさか覚えてないの?」

「いや、わかってる。」


「・・・遊・・・寂しいの?」


脈略のない質問だったけど、何か温もりのようなものが欲しいのかなと思ったのだ。


「・・いいや。」


「・・熱は?」

「もうないと思う。楽になった。」



そう言ったきり、遊はまたしばらく黙り込んだ。


「・・えっと・・今、マキノ、寂しいのって聞いた?」

「言ったよ。」



「・・そうだ・・オレ、寂しかった。」

「・・・なによそれ、さっきは、いいやって、言ったのに。」




「うん・・寂しくないと思ったんだけど・・、ホントは、違う。・・オレ、ずっとここにいたいなぁって、思ってた。」



「自分で出て行くって・・・決めたんでしょう?」

「そうだよ。」

「・・・。」

「ここにいるだけじゃ、次に進めない。・・・それは、よくわかってる。」

「・・・。」



「オレね・・、実家の母親が、すげー疲れるんだ・・。」

「・・彼女は彼女なりに、遊の事考えてると・・思うけど・・。」

「そうかもしれないけど・・・一緒にいると、苦しくなるんだ。アイツ、オレの事わかろうとしないから。」

「・・・。」

「自分が思うようにしたいだけで・・オレのことなんて・・」

「不器用なのかもしれないよ・・。」


遊は、ゆっくりと首を振った。

「あの人は、オレのことがわからないんだよ。オレのことだけじゃないんだ。他人がどう考えてるとか、理解できない人なんだ。」

「・・・。」


「マキノは・・・オレの言ってる事を・・聞いてくれただろ?」

遊はゆっくりと手のひらを広げて、何かを数えるように一つ一つ指を折りはじめた。


「オレがわかる言葉で・・・オレがこうしたいとか、望んでることを。」

親指、人差し指、中指・・・

「・・・選べって言ってくれただろ・・・。」

「・・・私は何もしてないよ。遊が自分で、ただ選んできただけなんだから。」

遊は、ゆっくりと両手の指を折ってしまってから、また手のひらを広げた。




「言葉が・・通じた。オレが選んだことを、理解してくれた・・。」



遊の声が、揺らいだのがわかった。



「だから・・・オレ。また、ひとりになるのが怖いんだ・・。」



遊の目から涙がこぼれた。



「ここから離れたくない・・一人で暮らすのはさみしい。」



遊の言葉は、マキノの心にしみた。

でも、かける言葉が見つからなかった。



「真央が、タオルしぼってくれた・・。うれしかった・・・。」

「つきあわないの?仲いいじゃない。」

「・・ううん。今は無理って言った。」

「なんでよ。」

「オレ、ずっと・・マキノが好きだったのかもしれない。」

「・・・。」



遊が、はぅぅと一つ息をした。

「遊・・もう一度横になりなよ・・・。まだ体がだるいのでしょ。」



遊は力なくうなずいて、ゆっくりと布団に横になって、涙がこぼれる目元を自分の手で隠した。

マキノは、真央が置いて行った濡れタオルを遊の目元にかけて、遊の頭を撫でた。

ずっとまえにも、同じことをしたように思う。

病気で弱っている時に言った言葉は、全部忘れてあげなくちゃ・・。


「みんなひとりなんだよ。遊だけじゃない。」

「・・・うん。」


「遊のこと大事に思う人はたくさんいるよ。これからももっと現れる。」

「そう・・かな・・。」


「いつでも、ここに帰って来ていいんだよ。遊の場所は、なくならないからね。」



「・・・それ、ずっと前にも・・言ったね。」


「言ったかもしれないなぁ。」

「マキノに・・・パソコンを叩きつけられた前後だった。オレの居場所は無くならない。って。」

「うん・・言ったね。」



「オレ、料理はおもしろいと思ったし、いろいろ勉強したいって思ったのも本当で・・。このあいだスキル積みたいとか偉そうに言ったのだって、本心だよ・・。」


「うん。・・わかってる。」


「前途洋々で・・・出て行くつもりだった。」

「・・・そうだね。」


「くそぅ・・。」

「・・・。」

「みっともねぇ・・。」

「みっともなくないよ・・。」


「ここには、ヒロトが・・美緒さんと・・,住む?」

「それは・・・そうはならないと思う。あの子たち結婚するよきっと。近々ね。」

「・・・そうなの?」

「ここは、新居にはふさわしくないもの。」

「・・・。」



「でも、居場所って、そういう意味じゃないでしょ?」

「うん・・・。」



「心細かったんだね・・。それはわかった。」




「・・でも、寂しいのと無理やりのキスは関係ないわ。」

マキノは一連の行動の理由がなんとなくわかって、今度は遊をとがめはじめた。


「・・自分でも関係ないと思う。本当にすみません・・。」

遊はまたふぅっ・・・と息をついた。


やっぱりまだ本調子ではないのだろう。ため息が多い。


「・・・怒った?」

「怒って当然でしょが。」


「どうしようもないやつだって思った?」

「・・一番最初から思ってたわよ・・。」



「でも・・やっぱりマキノも悪いよ・・。」

「どこがよ。」

「数分前まで・・オレ何も・・考えてもなかったのに。目の前に・・・」

「な・・なによ。」

「目の前にあったんだもん。・・簡単すぎた。」

「・・・。」


「オレなんか、信用するからだ。」

「だって、遊だもの。」

「オレだって、男だっての・・。」

「・・・。」




「うわぁぁ・・・。」

遊は、突然短く叫んで、目元を覆っていた真央のタオルハンカチをはずした。

マキノが頭をなでるのをやめると、遊はマキノの顔を一度じっと見てから、くるっと背中を向け、今度は頭を抱えた。

「ぅぁぁ・・・。」

「なによ?」


「やべえよ・・・オレ春樹さんに、殺される・・。」


遊の態度が、急に普段どおりに戻っていた。

マキノは ぷっ・・と笑った。


「内緒にしておいてあげるよ。貸しだよ? もう、上行くね。おかゆなら食べられるでしょ。」

「ん・・。」

遊もうなずいた。



マキノは立ち上がって、ゆっくりと階段を上がった。

ゆっくり歩かないと階段を踏み外しそうな気がする。

本当は、遊の不安や葛藤を目の当たりにして、マキノ自身も動揺していたのだ。



寂しくても・・・遊は、進もうとしていた。


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