第91話 遊、熱を出す。
歓送迎会の翌日は、日差しが柔らかな温かさを連れてくる穏やかな日になった。
未来と、真央は、独り立ちするために町を出ていき、
遊も、ご両親と一緒に部屋を整えると言っていたが、荷物を運びだし、引っ越しも済み、せっかく手に入れた自分の部屋には、引っ越しの当日に一泊だけして、またルポのカフェに戻ってきた。
このところ、加奈子と綾乃の教育係を買って出ている。
せっかくお別れ会をしたのに、なかなか出て行かない遊に、マキノは少々不愛想に尋ねた。
「本当の出発はいつなのよ?」
「真央たちと一緒に遊びに行く約束をしたんだよ。その日の前日に移動するよ。何もそんないい方しなくてもいいじゃないか。」
「未練がましいのはよくないのよ?前向かないとダメだよ?」
「わかってるってー。」
そうして、遊が出発すると言ったその日になった。
以前から原付は自分で乗っていくと勇ましい事を言っていたので、せめてきちんとお見送りしてやろうと思っているのに、何時に出発する気なのか、なかなか上がってこない。
「遊は、いったい何をしてるの?」
様子を見に行くと、まだ布団の中にいた。
「あら、遊・・・具合悪いの?」
「んー・・昨日も具合よくなかったんだよ。なんか頭痛いし・・・起きれない。」
「遊・・・なんて間の悪い人なの。もしかして今日のような門出の日に、うちに来てから1年間で初めての風邪?」
「・・・そうかな。」
「・・何か食べられるの?」
「いらない・・。」
「じゃあ、水分だけとっといて。病院につれて行ってあげるから。」
「病院より・・・寝てたいよ・・。」
「何言ってんの・・インフルエンザだったらどうするのよ。病院だけは行きなさい。」
「・・・。」
「遊は、ますます出発の日が遅くなってくね。ここに置いてあった加湿空気清浄器を持って行っちゃったからじゃないの?空気乾燥して風邪ひいたんじゃない?」
「んー・・もう・・。ぽんぽん言わないでよ。頭にひびく。」
遊は、顔をゆがめながら布団に丸まった。
「はいはい。スポーツドリンク飲んだ?」
「んー・・。」
「下に車回すからね。」
お店をイズミさんにまかせて、マキノは遊を車に放り込み、マキノが病院へと走った。
総合病院では、受付ギリギリの時間だったが、思ったよりも早く順番が来て、おかげで待ち時間が少なくて済んだ。結果、インフルエンザではなかった。
「明日がデートって日に、なんでそうなるのかな。そうだデート・・遊、真央とはどうなってんのよ。ちょっと聞きたかったのよ。」
「なんともなってないって・・。」
「ウソおっしゃい。」
「・・・なんでウソ言う必要あるんだよ・・。」
「なんだか最近仲良く見えるんだもの。私にぐらい正直にしゃべんなさいよ。」
「だから・・頭にひびくんだってば・・・。」
「私にぐらいは報告しなさいよ。」
「・・・。」
多少は病気で弱っているのか、遊はそれ以上言い返してこなかった。
薬を飲んで静かになった遊を見下ろしつつ、夜はどうしようかと迷っていると、夕方に戻ってきたヒロトが遊の様子を見てくれると申し出があった。
「でも・・ヒロトにうつると困るなぁ。」
「オレ、大丈夫だと思いますよ。絶対とは言えないけど、隣の部屋にいるだけだし、元気だし、疲れもたまってないし風邪はひかないと思うんですよね。」
「・・・そう?じゃあお任せするかなぁ。・・いったい遊は、何をして具合悪くなったのかしらね。近ごろは仕事もゆったりしてたはずなのに。」
「んー・・・しらねーよぅ。」
「朝は・・ヒロトが5時に出て行くし・・・私は、7時に来るけどもっと早い方がいい?不安?」
「寝てるだけだし、誰もいなくていいよ。ほっといてくれればいいって。」
「そう・・・そうかなぁ?」
「ヒロト、悪いけど、遊が何か食べられそうだったらおかゆでも作ってあげてね。」
「了解っす。」
マキノは気になりながら自宅へと帰って行った。
翌朝。マキノは、カフェに来るとまず階段を降りて行って、遊に声をかけた。
「具合はどう?」
「んー・・・。」
「何か食べられる?」
「・・・。」
「水分とらないとダメだよ。お薬も飲まないと。」
「んー・・・。」
額に手を当てると、昨日より少し下がっているようだが、熱っぽい。
いつもの元気もないし、まだ具合はよくないようだ。
「何か食べられそうだったら言ってよ。」
「・・・。」
とりあえず、ゼリーとスポーツドリンクをお布団の横のお盆に置いて上がってきた。
豚汁でも作ってあげようかな・・。
今日は真央や未来と4人でデートするはずだった日。かわいそうに・・。
ついていてやりたいと思うけど、そこそこお客さんが入ったので、しばらく遊は放置になっていたが、昼過ぎに真央がたずねてきた。
「あれ、いらっしゃい。」
「未来のデートのおじゃまになりそうだから、私もキャンセルしたんですよ。」
「あー・・・悪いねー。遊のやつ、だらしないよねぇ。」
「病気じゃしょうがないですよ。気になるから覗きに来ちゃった。」
そう言って、いちごとキンカンとオレンジをマキノに渡した。
「ありがとう・・。様子見をお願いしてもいいかしら?」
「はい。そーっと行ってきます。」
真央は静かに階段を降りて行った。
真央が遊の部屋を覗くと、薬が効いているのか、遊はスースーと寝息を立てていた。
髪の毛が汗でおでこにはりついて見えた。
真央は自分のハンドタオルを水でしぼって戻ってきた。
遊の寝ている横に座ると、手でそっと髪の毛をよけて、タオルで汗をぬぐった。
遊がピクッとして、うっすらと目を開けた。
「汗が出るってことは、熱が下がってきてるのかもしれないね・・・。」
と声をかけた。
「真央・・?きてくれたんだ・・今日ごめんな。」
少し眠そうな鼻にかかった声で遊が言った。
「いいんだよ。」
「また今度・・・・あそびにいこうな。」
「うん。」
「真央が・・・まだオレに飽きてなかったらだけど。」
「・・ふっ。他のいい男を見つけてなかったらね。」
「・・悪いな。今、ちょっと眠くて・・。」
「うん。わかってる。そのまま寝てて。すぐ帰る。」
真央は額の汗をぬぐったタオルをもう一度畳みなおして、遊の額に載せた。
「冷たいのが・・気持ちいい。」
「遊・・・手を貸して。」
遊は、また一度少し目を開けて布団の中から片手を出した。
真央は遊の手を取った。
「こうしてても寝られる?寒くない?」
「うん。大丈夫・・・。」
遊は、すぐにまた目を閉じた。
真央は、遊と手をつないだまましばらくの間、横に座っていた。
遊の手は少し熱っぽかったが、山は越えているように思われた。
遊がまたスースーと寝息をたてはじめたのを確認して、遊の手を布団に戻し、真央は階段を上って行った。
「遊、一度起きたけどまた寝ました。汗かいてたから、熱は下がって来てるのかもしれないです。ヒーターは弱くしてあります。食べてありましたよ、これ。」
真央はゼリーの空き容器をゴミ箱に捨てた。
「真央ありがとう。ゼリー食べてあったのね。あ、真央は今日実家?泊まるの?カフェオレ飲んでいけば?」
「ううん。いいです。実家には寄るけど、明日予定してた用事もあるから、今日のうちに向こうへ戻ります。まだ自炊も慣れてないし、頑張らないと・・。」
「そうなんだ。わざわざ・・。遊ったらホント罰当たりだわ。」
「ううん・・・。」
真央はくすっと笑った。
「お仕事中おじゃましました。じゃあまた、遊びに来ます。」
「いつでも帰って来てね。元気で頑張ってね。」
「はい。ありがとうございます。」
マキノが玄関まで見送りに出ると、真央は手を振ってから、背筋をすっと伸ばして実家の方へと歩いて行った。
真央と入れ違いに、お客さんの車が入ってきた。
「いらっしゃいませー。」
「コーヒーふたつ。」
「はあい。」
常連のお客さんは、お店の外で注文してきた。
一緒にお店の中へと戻った。
カランカランと、玄関のベルが鳴った。




