第81話 確定申告と大量注文
「マキノちゃん勉強かい?」
「はい。お客さんの横で失礼しまーす。みなさんゆっくりしてくださいね。」
常連のお客さんはみんなマキノに寛大だ。
「まず仕分けから。口に入るもの・・原料の分は、材料費ね。それ以外は、道具類とか、パックとかお箸とか、それは経費。ここにある領収書あるからわけて。」
「はひぃ・・」
「厳密には、備品とか、消耗品とか、項目で分けるんだけどね。」
「・・・・。」
「ヒロト、消費税がほんとバカにならないから。しっかりよけといてね。」
「はぁ。」
「あと・・どうするんだっけなぁ・・。」
「消費税って・・客から預かっている分だから・・仕方ないんすよね・・。」
「うん。そう。仕入の時に払ってるから、給料を除く経費と仕入れ分を、売り上げから引いて、その8%を納めます。これだけ面倒なことするんだから納める手数料をちょっとぐらいお店にくれればいいのにね・・。」
「売り上げの、まんま8%でもないのか・・」
「仕入れる時に払ってるもの。うちの儲けに対しての8%だよ。」
「じゃあ、給料の分も引いてもよさそうに思うけど。」
「私もそう思うけど・・給料は消費税関係ないもん・・。」
「そ・・そうなのか。・・で、収めるってどこに?」
「国だよ。今計算するのは消費税と所得税だけど、あとから住民税と、個人事業税もかかってくるから。ヒロト個人の分も所得税は先に引いてるけど住民税もあとからかかってくるからね。」
「う・・・あの、自分が働いて稼いだ金ですよね?」
「ん?あたりまえじゃない・・。」
「なんか・・なんか・・借金取りより理不尽ですね・・。なんにもしないで、もうけた分よこせって。オレが働いた分なのに・・。」
ヒロトの言い分は、実感がこもっていた。
「気持ちはわかるね。でも、なんにもしてないわけじゃないでしょ。その税金で、道もできるし橋もかかるし公務員さんが役所で働いてるじゃない。国民の義務だからね。」
「はぁ・・そうか。・・国の偉い人って、カネをろくなことに使っていないイメージがあって・・。」
「まぁ、そういうニュースはよく聞くね。でも、そのバカな人を選挙で選んでるのは我々国民だし。」
「国民って・・アホですね。」
「ヒロトも国民でしょ。もうっ、話がそれてるよ。工房の分、これから自分でするんだよ?去年の分は私がするけど。それが解ったら青色申告のソフトに入力。それを商工会の人に見てもらう。2月中にはやってしまいたいからさ。」
「・・オレ無理っす。頭が無理っす。」
「もー・・・。」
ヒロトと不毛なやりとりをしていると、遊が階段を上がってきた。
少々むすっとしている。
「どうしたの?変な顔して。」
「学校、ここからは通えないから近くで部屋を探すって言ったら、母親も来るって。」
「そっかー。いいじゃない。」
「・・・。」
「遊もついに卒業だね・・。」
「・・・学校は卒業できるって言ったろ。」
「家出少年からの卒業だよ。遊って、家出して2年?」
「1年と8か月。・・ってか、家出家出って言わないでほしいな。」
「事実なんだから仕方ないでしょ。親とは仲良くしなきゃダメだよ。」
「わかってるよ・・。離れてるからこの程度で済んでる。」
「そういう顔すると,まだ子どもだと思うわねぇ。」
「なんだよ~・・・。」
「あっこら・・ヒロト逃げたな。」
ヒロトはいつの間にか厨房で洗い物を始めていた。
「いや、逃げてませんてば。ほんとに勉強はします。でも今、マキノさんの手伝いは絶対足手まといになると思うから、自分のするべき1月からのをやります。美緒と。」
「むぅ・・・。」
「今日のまかない飯、オレやります。」
「・・仕方ないなぁ。ごはんは、春樹さんに合わせて7時ぐらいにしてね。」
「了解。」
マキノはそのままカフェのことも夕飯のことも任せてしまって申告の作業を続けた。
「融資の返済は、これどうするんだっけ・・。あと設備投資した分もええと・・とにかくわかってるとこ入れてくか。」
ブツブツと独り言とも文句ともつかない呪文を唱えながら。
最近は夕ご飯を目当てのお客さんも増えていて、7時頃まではコンスタントにお客さんが入ってくれる。
夕方からのバイトは今日は有希だった。
「有希ちゃんはこんな冷たいのに原チャで平気なの?」
「平気でーす。」
「でも凍てると滑るからよく気をつけてね。」
「はい。」
カランカラン。ベルが鳴って6時半に春樹が帰ってきた。
「ただいま。」
「おかえりー。遊に合格通知が来たんだよ。」
「そうか、おめでとう。」
「あざっす。」
春樹は座敷の方へは行かず、厨房のいつものイスに腰掛けた。
「気の早いこと聞くけどさ、遊は、専門出た後はどうするの?」
「んーと・・・。」
遊はしばらく黙ったあと、考えるように首をひねった。
「しばらくは,スキルを積みたい・・かな。」
「オレ、そっちの世界のことはよくわかんないけど、ヒロト、どうなの?」
「そうですね・・。レストランや料亭やホテルとかで修行をつみますね。ずっと同じ場所にいるやつもいないことはないけど。だいたいの奴は渡り歩く感じです。でも飲食の業界って、考えられないくらい厳しいとこあるよ。ここと同じように思ってたらえらい目に合うからね。昔堅気な封建制が息づいてる世界。」
「和食の板場じゃなくても?」
「うちの兄ちゃんも、帰ってくるたびに愚痴ってますよー。」
シェフ見習いの兄を持つ有希ちゃんも口を挟んだ。
今日のまかない飯は、キムチ鍋だ。ニラをザクザクと切りながらヒロトも笑いながら言った。
「オレ、どっちにもいたけどペーペーのあいだはどこも同じようなもんだよ。絶対に先輩がきびしいから。正直言って、今まで働いた職場ではここが一番ゆるいよ。仕事増えた今でもやっぱりゆるい。」
帳簿のデータ打ち込みに嫌気がさしていたマキノが目を吊り上げた。
「失礼なっ!」
「体がいくらきつくなっても精神的に救われる。マキノさんの・・ええと、愛があるからさ。」
「ぬっ?私、ヒロトなんか愛してないし!!」
「たとえ、仕事が今の2倍になってもまだゆるいと思う。」
「・・ほう言ったわね。精神的に追い詰めてあげてもいいのよ?まだできてないあと2週間分のメニュー、もう手伝ってあげないから。」
「いやいや、ちょっと待ってくださいって冗談ですよ・・・ホントだけど冗談ですって。」
「まだ言うか!?できるまで工房に閉じ込めてしまうからね!!営業も経理も今から完全に別にしちゃってもいいんだからね!!」
「冗談ですってば。・・でもこんなふうに騒げるって優しい証拠なんだよ。・・本来なら言い返すことすら許されない世界だからねぇ。」
なおも業界の厳しさとマキノの甘さを語りつづけるヒロトを見て、春樹が笑い出した。
「ヒロトはチャレンジャーだな。マキノの怖さを知らんな?」
「いや、怖いですって。オレ、マキノさんも、春樹さんも、美緒も、みんな怖いですよ。」
「春樹さんまで何言ってるのよぅっ。」
スタッフ達は面白がって、しばらくマキノは怖い怖いとふざけ合った。
― ― ― ― ―
何もかもが順調に回り出したかに見えた1月の終わりごろ、及川社長から大量の予約注文が入った。
この地域には、2月3日の節分に巻ずしを丸かぶりして食べて、福を願う風習があるのだ。
ヒロトはそれまでスーパーに巻寿司らしいものをサラダ巻しか卸していなかったのだが、節分に向けて、今まで出してもいなかった普通の巻ずしを卸してくれということだった。
本店は普通の巻ずしとサラダ巻とを150本ずつ。最近始まったばかりの支店にも、100本ずつ置いて欲しいとのこと。
「これ、大量に残ったりしないのかな?」
ヒロトは少し不安げだ。残ると引き取らなければいけない。
「残らない自信があるからわざわざ言って来てるんでしょうよ。及川さんはそういうところ、見る目もあるし、損をさせない自信があるんだよ。むしろ追加注文に対応できるぐらいの準備があったほうがいいかもしれないよ。」
及川さんはワンマンだけど、いつもちゃんと商売のことを考えてるしっかりした人だ。業者に不利益をかぶせる可能性があるような変な注文をするはずがない。
スーパーを通さずに、サラダ巻が欲しいと言う個人注文も何件かあるので、この際、巻ずしもできるよと一声かけて、押し売り気味に行こうという事になった。
「ヒロトは1時間に何本巻ける?」
「1人でやってたら30本~35本ぐらいかな。2人組になってごはんを乗せる人と具をのせて巻く人との分業制にしてかかりきれば、2倍から3倍、巻けると思う。」
「今で注文の合計がが950本・・・2人でやって一時間に100本ずつできて、飲まず食わずの休憩なしで10時間・・。無理だね。巻ける人育てなくちゃ。」
「主婦組ができそうじゃないですか。」
「この際やってもらうしかない。火曜日か。遊がいる日で助かったわ・・これだけの数になると、なんでもない作業でも一仕事になるからね。おばちゃん達も雇おうか。平日だから真央未来はダメ。そうだな。当日は役割分担きちんとして、数の管理を徹底しないとね。スーパーは半分できたら持って行くことにしようか。個別注文をこなしながらお昼前に第2便ぐらいで。」
スーパーが軌道に乗り始めて、工房の方は新しく悦子さんと,佳子さんというおばさん2人が手伝ってくれるようになっていた。ヒロトが言うには、2人とも仕事がきれいで手早くて、悦子さんはしっかりしてて落ち着いている感じ、佳子さんは明るくておしゃべりな人らしい。
スタッフの配分をどうするか、考えようかと思ったけれども、当日は全員態勢で交代制にすることにした。ヒロトは前日から工房に泊まり込みの予定だ。責任者の乃木坂から座敷で仮眠をとる許可ももらってある。
注文の数がいつもとケタ違いだから、ヒロトに何度も材料の仕入れを確認してしまう。よくよく計算して注文しないと大変な事になりそうだ。自称数字に弱い自覚のあるヒロトも、何日も前から何度も計算し、やっておくべきことを順番に書きとめたりと、準備を怠らなかった。
マキノもヒロトの相談に乗り、疑問や不安な部分は一緒に考え,忘れていることはないか,どうするのが効率がいいか,何度もカフェと工房を往復した。
2月3日が近づいてくると、当日に焦点を合わせてあるので、いつものスーパーの数は抑え気味に調整。
ヒロトは、前々日から、高野豆腐やかんぴょうしいたけなどの純和風な煮物を仕込みはじめ充分に味を含ませるよう準備を始めていた。
前日は、当日のスーパー分や弁当のノルマをこなした後、巻きずしの具を猛然と刻み始めた。
サラダ巻の卵を焼き、きゅうりを切りカニかまのシールをはずしハムを切る。単純な作業だけでも結構な仕事量だ。
マキノは、準備作業からもっと手伝うつもりでいたのだが、なかなか工房まで手が回らなくてほとんどをヒロトがやりきった。




