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第80話  残される者のこと

「えっ・・・・。」


電話の向こう側の千尋の声から、暗いものを感じ取れなくて現実味がなく、マキノは次の言葉がでなかった。

『長くはないだろうって・・覚悟はしてたんだけど。』

あらためてよく聞くと、千尋さんの声は疲れがにじんでいる。心配させないようにわざとなんでもない事のように言ったのだなと気がついた。おじいちゃんを心配するよりも、マキノは、真っ先に配達のことを考えた自分を少し反省した。

「すみません・・こういう時なんて言えばいいのか・・・」

『いいのよ・・私もちょっと整理できてなくて。』

「急だったんですか?」

『このところ一進一退でね。今日の午後になってあぶないってお医者様が言って、それからはもう・・・。お義母さんと主人は間に合ったんだけど。子ども達も主人の姉もとても間に合わなくて。今、連れて帰ってくれる車を待ってるところなんだけど・・。』

「ああ、まだ病院なんですね。」

『そう。・・葬儀屋さんと話すこともいっぱいあるし、家のかたづけもロクにできてなくて、いろいろバタバタして・・。とにかく、マキノちゃんにだけは明日からしばらく配達は無理って言っておかないくちゃと思って・・』

「忙しいときに心配してもらって・・お店のことは気にせず。何かお手伝いできることありますか?おうちの掃除、手伝いに行きましょうか?」

『ううん、ありがとう。大丈夫。息子たちがもうすぐ帰ってくるし、こき使うから。また連絡するわね。ヒロト君によろしく言っといて。』

「はい。千尋さんも体に気をつけて。」



電話を切るとマキノはヒロトに向き直った。

「明日の配達は、私が行くわ。」

「はい・・。千尋さんはなんて?」

「おじいちゃんが亡くなったって。明日か明後日がお通夜だと思う。ヒロトも千尋さんにお世話になってるから一緒に行こうか。実家から喪服持って来れる?ある?」

「はぁ・・はい。あります。けど、あんまりそういうの・・・オレ知らなくて。」

「みんながやってるのを真似すればいいんだよ。お香典と数珠、用意してね。・・あっ、シフト見直してもらわなくちゃ・・。」


慌ててカフェに戻ろうとするマキノにヒロトが声をかけた。


「あ、あの、最初に相談があるって言ったのは、さっきの話ですか?」

「ううん。・・・ちょっと違うんだけど、相談と言うより、提案と言うか・・。まあそれは急ぎじゃないからいいや。また今度ね!」

「はい。」






― ― ― ― ―





千尋のお舅さんの葬儀は、最近できたばかりの葬祭会館で行われた。

マキノ達は、少し早めにお店を閉めて通夜式に参列した。

親戚の人達や、千尋さんとご主人によく似た息子さん二人も帰っていて、並んで挨拶をしている。千尋さんは、落ち着いた萌葱色の色無地の和服を着ていた。

家族葬と言うわけではなかったが、香典は受け取らなかった。息子たち二人とも町を出て行ったし、今後つきあいを返して行けなくなるかもということだろうか。

そばにいたイズミさんが、「千尋さん夫婦はここで生活してお付き合いもしっかりやっているんだから、もらっといてもいいのにね。」と小声でささやいた。


近所づきあいをするしないにかかわらず、葬儀の際に個人の家のことに他人の手を煩わせることに抵抗を感じる気持ちはわからないでもない。

自分の父が亡くなった時、母は形式にこだわって葬儀を行ったし、大勢の人が集まってにぎやかにおしゃべりをしていた。「お父さんの魂が・・」と言われたって、自分には見えないし、自分が体験していない不思議な話なんて信じられないし。ここには父はいない。本人は死んじゃったんだから、何したってわからないじゃない。めったに顔も見ない親戚が寄って、お酒を飲んでわいわいと話をして、何の意味があるのか・・。


私も千尋さんとのつながりがあるから、面識のないお舅さんの葬儀に来ているが・・。

自分が死んだとしたら、顔も知らない人にお参りしてもらうってどうなんだろ・・。できれば葬儀も、戒名もいらない・・もっと言えば、お墓もいらないな・・。さっさと火葬して、骨は川か海に撒いてくれたらそれでいい。

あとは、自分を愛してくれてた人が、思い出した時になつかしんでくれるだけで・・。



あ・・・



ここまで考えたところで、また春樹さんの昔の彼女のこと思い出してしまった。

・・春樹さんには、こんなこと頼めない・・。

自分は・・春樹さんより先に逝っちゃダメなんだった・・。


そして、そうか・・と気がついた。

こんな大仰な儀式は・・・、逝く人のためではなくて、きっと残された人のためのものだ・・。

残されて途方に暮れる者たちは、たくさんのしきたりに従って、そうすれば亡くなった人がなぐさめられるのだと信じる。周りの人に助けられて大変な式をこなしていくことで、徐々に心を整理して、「その人がいない生活」を受け入れていくのでは・・。


たくさんの人と、故人の想い出を共有して、なぐさめられるのは、残された人の心だ。



春樹さんは、彼女の葬儀に、参列したのだろうか。

お墓参りには、行ったのだろうか・・。


なんだか胸が痛くなった。

いや・・もうやめよう。もう、このことは考えない。



「ヒロト。」

「はい?」

イズミさんと反対側にいたヒロトにヒソヒソと声をかけた。

「車を停める場所とか、千尋さんから聞いてない?」

「ああ・・この間は、まだ試行錯誤だって言ってましたよ。」

ヒロトも小声で答えた。

「そうか・・でも今は千尋さんに聞きづらい。仕方ないな。」

他の高校生アルバイトたちは参列していない。



読経が一旦途切れてお焼香が始まった。

列に並び、司会の「一回焼香で・・」と言う言葉に従い、1回だけお香をつまんで香炉に落とした。手を合わせて遺影に一礼し、そのあと千尋さんの顔を探したが、目が合ってもにこにこと笑うような場面でもなく、黙って頭を下げてそのまま下がった。


お舅さんの遺影は、何年か前のまだ元気な頃の物のようで、穏やかに笑っていた。

厳しい頑固者のイメージは、その写真からは感じられなかった。







― ― ― ― ―




1月も終わりに近づいたある日。

遊が面接を受けにに行ってから2週間ほどが経った。


郵便配達のお姉さんが、遊あての書留を持ってきた。



遊は、立原の印鑑を押してそれを受け取り、レジ横に置いてあったペン立てのハサミで封を開け、無造作に中をぴらっと出した。

「ほら。受かった。」と言った。

少々ドヤ顔だ。

「ちゃんと確認してから言いなさいよ。・・・ほんとだ。・・おめでとう。遊。」



多少は緊張して面接に臨んだのに、面接官らしき人は若くてとても気さくな人で最初から授業の説明や入学に際してのお知らせのような話ばかりだったらしい。

帰ってきてすぐから「合格してるみたいだよ。面接じゃなくて世間話だった。」と本人は言っていた。

合格はしているだろうけど、ホントにそんなにアバウトなのかしら?と思っていたら、予定より少し遅れて合格の通知が届いたのだ。

「それなら、もうすこし嬉しそうにしなさいよ。」

「だってさ、努力して合格した感じじゃなかったからさぁ・・。」


「そのお手紙、そのまま実家に送ってあげたら?喜ぶよきっと。」

「いろいろ書かないといけない書類がいっぱいあるなぁ・・・親には入学金の払込用紙だけ送るか・・カネ振り込むだけだったら。この用紙じゃなくても普通に振り込めると思うんだけどな。」

遊は、ごそごそと封筒の中身をチェックしつつブツブツつぶやいた。


「とにかく、早く知らせて差し上げなさいって。電話電話。」

「ほーい・・。」


マキノの声に追いかけられながら、遊は低い声で返事をして、自分の部屋の方へと降りて行ってしまった。

母親と話しをしているのを聞かれたくないのだろう。照れ屋さんめ。





今日のシフトは、お休みから復帰した千尋さんだ。

告別式が終わってからもいろいろすることがあり、結局、仕事は5日ほど休んだ。


今は、病院の往復や付添いに着く必要もなくなり、姑の体調も元に戻ったので、習い事やお出かけをするにも一人で町バスを利用して自由に動いてくれるので、千尋の自宅での用事は一気に減った。これまでより身軽になったようだ。



3時の常連さんの注文を出し終わって,自分たちも休憩がてらにコーヒーをいれた。

「千尋さんが配達してくれると安心です。ありがたみは今までから充分わかってたけど、実際にやってみて実感しちゃった。お疲れ貯まってませんか?」

仕事に来てくれるのをありがたく思いながら、マキノが恐る恐る尋ねた。

「ありがとう。ここのコーヒーはおいしいわよねぇ。どうも家では同じようにできないわ。・・・疲労?わたしまったくもって、大丈夫なのよね。もともと体力がある方だしママさんバレーでも鍛えてたしね。」

千尋さんはからからと笑った。

「ほんとに正直に言うと・・・おじいちゃんのこと、悲しくないんじゃないかって思ってたのよね。」

「・・厳しいお舅さん・・だったそうですね。」

「そうなの。めんどくさい人だった。でも、嫌いじゃなかったなって今だから思えるよ。最後に寝込む直前は、褒めてくれたり、労ってくれたり、主人よりいいこと言ってくれてたぐらい。

・・・おじいちゃん、私に嫌な思い出を残さないようにしてくれたのかなぁ・・。昔は大嫌いだったけど、嫌いなままでなくてよかったなって思う。」

「お世話、大変そうでしたよね・・。」

マキノは、トイレ騒ぎを思い出して、・・とちいさくため息をついた。

「うん・・確かに大変だった。おばちゃんはヘロヘロになってたし。・・主人が今まで私に言ってた小言や不服を全然言わなくなっておかしかったよ。私に頼るしかなかったからね。機嫌を損ねないように気を遣ってたんじゃないかしら。」

「自分の親を看てもらってるんですもんね。」

「主人が私に頭が上がらない状態がね、実はまた気分よかったな。あはは。おじいちゃんにとって十分だったかどうかはわからないけど、自分にできるだけのことはしたつもり。そういう点では自己満足してるよ。もし、そうでなかったら、悔いが残ったと思う。」


「千尋さん・・・お疲れさまでした。」

「うん。ありがとう。・・言葉ってありがたいね・・マキノちゃんが聞いてくれて、返事をするために文章にしたら、・・ひとつひとつ整理されていく。・・自分がやってきたことは正しかったのかな?って、わずかに残ってる迷いも、これでよかったって自分で納得できそうだよ。」

「そうですか・・。」



午後4時まで千尋さんは元気よく楽しげに仕事をし、時間通りに帰り支度を始めた。

そこへヒロトが仕込みを終えてカフェへと戻ってきた。

「ヒロト君、お疲れさま。明日から配達またガンガン頑張るからね。」

「はい。お願いします。」

千尋さんはヒロトと美緒と仲がいい。工房に行き来するのも千尋さんが一番頻繁だし、美緒ちゃんとも一緒に配達に行ったりしているから、親身になっているのだろう。



「さてヒロト。今日はここで泊まり?」

「あっ、はい。今日は泊まります。明日の昼から一度実家に戻ります。」

「じゃあ、ちょっと一緒に勉強しようよ。」

「なんすか?」

「確定申告。」

「うえええええ。」

「ヒロトのせいで、ややこしくなるんだからね。いずれ独立するときのためだと思って一緒にやって。」

「この間、計算も営業も期待してないって言ってたじゃないですかぁ・・。」

「期待しないけど、関わらなくていいわけじゃないのよ。」

「ぅぇぇ・・・」


マキノは、座敷のテーブルの一つを隅の方へと移動し、トートバッグに入った書類と伝票の類を広げ始めた。


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