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第54話  おふくろの底力

オヤジが失踪してから一週間になる。

どこでどう過ごしているのやら。


ヒロトは、家に帰ると、とりあえずは、聞いてみる。

「ただいま。オヤジからなんかあった?」


順調に仕事を終えて帰宅すると、最近は6時から7時になることが多い。

遊が学校に通いはじめてから自分は朝早めに出て早めに終わることが多くなった。

自分は比較的自由な体だから、マキノさんと遊の都合を踏まえてシフトは調整されている。

休みもちゃんと取れるし、疲れは溜っていない。快適な職場だ。


「ない。」

おふくろは、あっけらかんと返事してくる。

途方に暮れているように見えたのは、オヤジが家出したその日だけだった。

おふくろは自分が思っていたより強く、図太かった。

オヤジからは連絡もないし、借金関係の電話はたびたびかかってくるのだが、開き直ったのかふっきれたのか、もともとの天然な性格を表に出して、逆に相手に質問したり相談したりしているようだった。


目下のところ、教えてやったオークションをおもしろがって、小銭を稼いでいる。

オヤジが貯めていた本をて手始めに、新品だけど古いもらい物のシーツやら玄関マット、石けんセット、家の押し入れや天戸棚に隠れている物を片っ端から引っ張り出してオークションにかけていくつもりのようだ。

そして、これは家の中を整理できていいわぁ。」と喜んでいる。

その他にも、食品のパッケージについているシールやら、何かの雑誌についていた付録やら、意外なものにも買い手がつくようで、自分なりに調べて次々と出品する物を考えている。。

知らない人とやりとりできるのもおもしろいようだし、もしかしたら適性があったのかもしれない。



今日はめずらしく母親が金のことを言いはじめた。

「ヒロト、明日5万円用意してくれないかな。それで、仕事から帰ったら、T商事まで連れて行ってくれる?」

返せないと思っているからか、“貸して”という単語がでてこないところが何とも言えない。

父親はともかく母親から無心されることは今までなかった。

「いいけど、こんな夕方からでいいのか?場所知らないよ?」

「一度お父さんと行ったからわたしが知ってる。時間は電話しとくから。」

T商事とは、オヤジが馬券を買っていたノミ屋だったはず・・・。

勝てばすぐに現金をくれるんだから、負けたらすぐに現金を払うのが道理というものだ。そんなことはオレでも理解できる。

現金が無くても手軽にできるのが罠。勝った時はあぶく銭で散財してしまって、負けたときは現金これだけしかありませんで済むわけがない。何から何までの根こそぎ持って行かれることになる。

人間の弱さに付け込んだあくどい商売だが、ひっかかる者が一番悪い。自分の感情や欲を制御できない者が悪い。オヤジみたいな奴が、悪いんだ。


架空のお金でも借りは借りだからな。

さて、そこへ行って何をする気なんだろ・・、おふくろは。


翌日、金を下ろして帰ると、じいさんのことを1時間ほど・・と留守番を隣のおばさんに頼んで、おふくろは日の暮れた道をT商事へと車を向かわせた。


T商事までは、20分ほどで着いた。結構広さのあるプレハブの事務所で、建設関係の仕事をしている風だった。

それが本業なのかな・・・。そうか、建設業だからうちのオヤジともつながったのか。

入り口を開けるとすぐに応接セットがあって、50代ぐらいの男がいて、そこへ座るようにと促された。

ぼやくような口調で「オヤジさんは帰った?」とこちらを向いてたずねてきたので「いいえ。」と短く返事をした。


おふくろがまず、オレが渡した金を出してきて、口を開いた。

「今月の分を持って来ました。息子から借りたんです。今後のことをお話しさせていただきたいんですが。」

その男はオレの方をちらりと見てから、封筒から5万入った封筒を受け取った。


「お母さん、ちょっとこっちへ来てもらえる?」

とおふくろをパーテーションで区切られた向こう側へと連れて行った。


自分もついて行くか迷ったが、おふくろだけを名指しだから、踏みとどまった。

パーテーションは真ん中だけだから、向こう側の様子はなんとなくわかる。

ぼそぼそと話をしている声は聞こえるが、内容までは聞き取れない。


・・5分、7分、10分・・もっと経っただろうか。長く感じる。

何を話しているんだ。


少しイライラしはじめたら、ようやくおふくろが戻ってきた。

「それでは、頑張りますので、よろしくお願いします。」

相手には頭を下げ、オレには退室するように手振りで促した。

何がどうなったのか聞かされていないのでモヤモヤとするが、黙って軽く頭を下げてその事務所を後にした。


「どうなったんだよ。」

車が走り出してからおふくろに尋ねた。

「毎月5万円ずつ振り込むことになった。膨れ上がってた利息は勘弁してあげるって。今までついた分も帳消し。これからも増えない。元本だけにしてくれた。だからさっきの10分ほどで500万ぐらい借金が減ったよ。それで、お父さんがもし帰ってきたとしても、その金額は変えないでもいいって。でも,余裕のある時は余分に入れるようにしろって言われた。本当は3万にしてくれって粘ってたんだけど、それはダメだって。」


「すごい心臓だな・・・あんな奴相手に、値切ってたのか。」

「うん・・・。だって、仕方ないじゃない。他にもあるし。無理なこと言われてもできないだけだもの。」

「じ・・じゃあ、利息つかないってことは、頑張りゃ減っていくんだな?」

「うん。減るよ。約束したもの。明日は高利貸ししてるYさんとこに行くから・・・悪いけど、今度は3万お願い。」

「ふう・・・仕方ないな。」


・・・少しホッとした。

相手に話しが通じるという事と、現実的に借りが減らせる可能性もあるという事はわかった。どこでもスムーズにいくとは限らないけどな。



・・そう考えつつも頭の中の考えには母親の前では口にできない一点があった。

もし、オヤジが死んでいたら・・・。

たぶん、返す必要は、ないはずなんだ。

ここのは架空の借金だから。

よく知らんけど、オヤジの借金が家族の借金っていうわけでもないだろうし。

中途半端な責め方をするのもそのせいだろうし、おふくろの変な値切り交渉にも応じてくれたんだろうと思う。

現金を借りた分は、返さなくちゃならんけど・・、それだって、こちらが自己破産すればゼロになるんだ。値切られても生かさず殺さず少しずつでも取り戻せるほうが、マシなんだろう。


「・・他は?生活費は足りてる?」

「うふふ、食べる分は大丈夫だね。あれオークションていうのはおもしろいよ。手作りのこども服とか手作りのバッグが売れることがわかったからね。わたし、ミシンの仕事好きだから、家にある布地を工夫して、作って売ってみようと思ってる。」

「それで食べていけるのか?」

「わからない。今出してるのも、500円とか、1000円とか、ちょこちょこ入ってくるから。オークションで安いものも買えるし。トイレットペーパーも買えるし。おかずぐらいは作れるよ。」

「ふうん。」

「・・まとまった請求が来たら、たちまちお手上げだけど。でも切り詰めて頑張るよ。」

「オレの貯金ももうあんまり残ってないよ。」

「悪いね、ヒロト。母さんね、形がついたら、家の事なんかほったらかして出て行ってもいいよって言いたいんだけど、形がつくのかどうか今は何とも言えないわ。」

「・・・。」


正直な意見だな。

オレも、一生自分を犠牲にするつもりはない。


「今までさ・・電話とかで、怒鳴られたりしなかったのか?」

「怒鳴る人、いたよ。」

「へえ。」

「怖いし、こんな生活いやだ、逃げたいって、その時はすごく思うんだけど。ちょっと時間が立つと、わたしバカだから忘れちゃうみたい。ははは。」

「・・・・あっそう・・・」

「泣いて思いつめても仕方ないしね。」


ちらりと助手席に座っているおふくろを見た。

・・本気で、笑っているみたいだ。・・・こんなおふくろで、オレも助かるわ。

おふくろは、こっちまで笑えてくるほど、お気楽だった。



その時、チャララーチャラチャラー・・自分のスマホが鳴った。




・・・・。


オヤジだ。



車を道の脇に止めて、出た。


「はい。」


「ヒロト・・。 とうさん財布に、50円しかない・・・。」


「・・バカじゃないの?」

「・・・。」


「まったく。・・さっさと帰ってくれば。」

「うん。」


やけに素直な“うん”だ。


「おふくろに替わるよ。」

「・・うん。」


そう言って、おふくろにスマホを渡した。



オヤジのやつ、帰ってこいって言ってくれるのを待ってたんだろうな。

不思議と怒りは湧いてこない。



怒るべきなのか?・・怒鳴りつけたらどうなる?

怒らなかったら、ダメなのか?

怒ったら何か変わるのか?

拗ねるのかな・・。

めんどくさいな。どうでもいいや・・・。



おふくろの声は小さくて、隣に座っているのに、何も聞こえない。

ふう・・・。

オヤジなんて、オレにとってはどうでもよかったんだよ。

まぁ死にやがれとは思わんし、実際に死んだらそれなりに悲しかろうし、頑張るんなら助けてやろうとは思っているけどな。世話がかかりすぎるんだよ、バカおやじ。


そんなオヤジでも、おふくろは心配してるんだぜ?

帰ってきたら、しっかり働けよ。


・・・就職先が・・あればだけどな。




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