第51話 言っておくこと
「ただいま。」
「おかえり。」
「どうだった?」
春樹は、靴を脱ぎながら今日の検診の結果を尋ねた。
「・・順調に回復してますよって。」
とマキノが笑った。
「そう。よかった。」
「今日は豚肉の生姜焼きですよ。」
「ほう。」
ダイニングテーブルに夕食の用意ができていた。
「何か飲む?」
「んー・・・今日はいいや。ごはんが欲しい。」
生姜焼きにビール・・合いそうだとは思ったが、たまには休憩。
荷物は放り出して、ちゃんと手は洗って、テーブルに座った。
春樹のお皿のには、存在感のある量の生姜焼きがどーんと乗っていて、マキノの皿は少し軽めだ。
生野菜はキャベツの千切りとトマト。
おつゆはのっぺい汁か。あったまりそうだ。
「いただきます。」
マキノが出してあったドレッシングを野菜にかけて、最初にキャベツをザクザクと咀嚼する。
しかし・・今日のマキノはどうも笑顔が固いな。
何かこっそり考えているのか、病院へ行ったからつらい事でも思い出したか・・
・・・マキノが何か言うまで、知らんぷりしておいたほうがいいのかな。
焚きたてのご飯をよそって「はい。」と手渡された。
その上に生姜焼きを乗せて、ぱくり。めずらしく少し濃いめの味付けだ。甘辛いのがまた、ごはんによく合う。計算してるのかなぁ・・。調味料の計量をしているところなんて見たこともないけど、本能でわかるのかな。
「んーうまいな。」
やわらかいけど、かみごたえがあって生姜焼きとしてちょうどいい感じの肉厚だ。薄切り肉でもおいしいけど、こっちの方がごちそう感があって嬉しい。
マキノは2人でご飯を食べる時は手抜きだと言うが、そんなふうに感じたことはない。
仕事とはいえ、毎日毎日食事の事ばかりしてよく嫌にならないもんだ。
忙しいのに洗濯も掃除も時間の許す限り頑張ってるし・・。
いつか、燃え尽きるんじゃないかな。そうならないうちに、外食にでも誘おうかな。
のっぺい汁のお椀に手を伸ばす。大根、ニンジン、こんにゃく、小芋、ゴボウ、油揚げ・・具だくさんだ。たった2人分のことで面倒だろう。これも生姜が効いてておいしいな。
汁をすすって「はー・・」と息をついた。
「おかわりもあるよ。」
「うん。」
マキノがほっこりと笑った。
あぁ・・さっきより自然な笑顔になった。
やっぱり知らんぷりするのが正解かな・・。
「優香は、今日も元気だったよ。」
「やっぱりね。」
「朝起きるのは苦手か?って聞いたら、苦手だって言ってた。先生は奥さんに怒られるから頑張って一回で起きるって言っといた。」
「まっ。朝から怒ったことなんてないのに。」
「・・いやまぁ方便ってことで。お母さんを困らせちゃダメだぞ、ぐらいしか言ってない。・・・おつゆおかわり。」
「・・子ども相手にのろけっていいの?」
「いいんだよ。ネタだってわかってるから。・・学校に行きたくない云々はあえて聞いてないんだ。」
「ふうん。」
「本人達には、意識させたくないし。様子はしっかり見とくつもり。」
「ごはんのおかわりは?」
「いいよ、自分でよそう。今日のおかず、ごはんに合うからちょっと食べすぎるなぁ。」
「・・・春樹さんって、口が上手だよね。」
「んんん? 何を言うか、俺ほど正直な人間はそういないぞ。」
「ホントに正直な人は、自分で正直だなんて、言わないよ。」
「ははは・・。ところで、ヒロトはどうしてる?」
「今日、朝市工房のこと、敏ちゃんちでおしゃべりしてきたよ。」
「ほう。」
「ヒロト頑張れるかなぁ・・頑張ってほしいな・・・。」
「最初は朝市からか。」
「うん。まずはそこから。」
「あ・・えっ?マキノ。」
「?」
「もしかして,朝市の工房でする予定の仕事全部、ヒロトにまるっと渡すの?」
「うん・・。ヒロトが頑張れるなら、朝市とお弁当は、店から切り離してもいいなと思ってる。」
「ほぅ・・・。随分突然だね。」
「突然でもないよ・・。正直言ってヒロトを助けてあげたいっていう・・ちょっと偏った気持ちも、あるよ。春樹さんに迷惑かけるつもりはないからちゃんと線引きするけど。」
「またはじまったな・・・。」
「何もはじまってないってば・・・カフェのやり方はもう始めた頃からずっと、試行錯誤ばっか繰り返してるし・・。ヒロトが本気だして半分持ってくれたら楽になるかもじゃない。」
「マキノ・・・少し疲れたの?」
「んーそうでもないかな。・・どんどんやるぞーって時もあるし、これ以上は無理だな・・ってしぼむ時もあるし。いろいろ。」
「・・マキノは電池切れを学習したからな。」
「それは・・,根に持たないでよ。」
「いやいや。むしろそれで安心できるようになったからオレは。マキノは猪突猛進だから。」
「・・・・。」
「商売って難しいねぇ・・オレの代わりはいくらでもいるけど、マキノの代わりはいないからねぇ。」
「そんなことないよ。わたしがいなくてもみんなできてるよ。」
「惰力では動くけど、動力源になる存在って、なかなかないんだよ。」
「そうかなぁ。」
「大抵の人はやればできる。でも自分からはやろうとしない。もしくはできると思ってない。誰かがやってるのを見たり自分にできると思ったことしかしない。そういうもんだよ。マキノは責任の有無も失敗することも考えないでやっちゃうんだな。変なやつなんだ。・・ごちそうさま。今日はここ、オレが片付けるよ。」
「えー・・いいの?」
「マキノは他のことすれば?」
「・・うん。ありがとう・・。ん?なんか・・なにげに私の悪口言ったよね。」
「言ってない言ってない。褒めたんだよ。」
くっくっと声を出さずに笑ったが、マキノは気づいたらしい。
「・・んもぅ。」
振り返って見ると、マキノの口がとがっていた。
― ― ― ― ―
ヒロトは休みの次の日も普通に出勤してきて、マキノと敏ちゃんの提案した通り、朝市とお弁当とを担当することを希望した。乃木阪さんとの話は少し進んでいて、「一緒に厨房を使う。」と認識してくれている。まだ実際に運用が始まっていないから読めないところはあるが、最初はそれでOK、今のところいい感じ。
話しの始まりは、みたらしの作業をしていない平日からのつもりだったが、どうせなら一緒にやろうよという事になって、乃木坂さんはじめおばちゃん達がサンドイッチ用のスペースを確保して待ってくれているという打診があった。
いつもなら、カフェのお昼のランチをしながらやっていることだから、山菜ごはんとサンドイッチに集中できるヒロトにとってはかなり楽ちんなはず。今の楽な期間にみたらしの手伝いをしっかりとやるのもいいし、朝市の品数を増やしてもいいし、スーパーに試食を持っていくことを考えたりするのもいいかもしれない。
とにかく最低限、今の間に、おばちゃん達の心をつかんで仲良くなることを期待したい。
年内の朝市はあと土日が2回と、年末は変則的に土曜日じゃないけど28日が最後。
お弁当は調理の道具の関係もあるから、いつから開始かはまだ決めていない。
マキノに将来的な計画を伝えられて、いずれこの工房を自分がまかされることになるという自負のあるらしいヒロトが、改装が必要な部分は自分で負担すると申し出てきた。
しかしマキノは,それはとりあえず却下して、当面はこれまでのるぽのカフェとしての営業を拡張すると言う体裁にしようという事になっている。
「ヒロト君、家の方はどんな感じなの?」
「オヤジはまだ連絡ないですね。警察からもかかってこないから生きてると思うけど。」
「・・・。」
「おふくろはインターネットオークション覚えて、オヤジの物を処分し始めましたよ。」
「お母さんが?お父さんの物を?勝手にしていいの?」
「勝手なことしてるのはオヤジだし。もう入札があったって喜んでました。」
「へぇぇぇ・・。」
ヒロトは平然と言っているが、いちいち絶句してしまう。
その週末、土曜日の朝。ヒロトはいつもは8時出勤だが、朝市工房での仕事が初めてなので早めに来ていて,7時にはもう荷物を積み込み終えて、マキノと遊からエールを送られていた。
朝市に使う食材は、工房でカフェとは切り離して、ヒロトが管理することになった。
「レシートはちゃんと取っとくんだよ。敏ちゃんに怒られるから。」
自分がしてきた道をヒロトが辿っている。
「ヒロト。よく考えてきてよ。朝市工房でどんなことするか、何がいるか、どうやったら効率いいか、改装するなり器具を増やすなり、ちゃんと仕事ができるように。」
「せ・・責任重大ですね。」
「まぁ、ケチって変なもの買って壊れたり使い勝手が悪かったらかえって損だから、大きなことしたいときは相談して。今はカフェで投資するけどその分ヒロトが取り返さなきゃいけないからね。まぁ・・今の状況だからちょっとの我慢ぐらいはしてもいいかもしれないけど、自分の体力気力も考慮に入れるようにねっ。」
「今、マキノさんの電池切れを思い出したよ・・。」
「そうよね。パタンと動かなくなるんだものね。」
横で聞いていた,遊とイズミさんが笑った。
「なんですか、みんなそんなことばっか覚えてて・・。ヒロトは知らないんだから余計なこと言わないの。とにかく、体調には気をつけないといけないんだよ。」
「いってきます・・。」
マキノは、朝市工房へと出発してゆくヒロトに“言っておきたい事”を、ぎりぎりまで続けた。




