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第46話  早退します

マキノはいつも、春樹さんが出勤する時間に合わせて店に入る。

今日は、久しぶりの仕事だ。すこし張り切っている自分がある。

「では、いってまいります。」

「いけると思っても、ゆっくりすること。無理しないように。」

ドアノブに手をかけると、いつもより丁寧に声がかかった。

ぶっ倒れるまで仕事してた前科があるにしても、近ごろ春樹さんは体調管理に口うるさい。

いくらなんでも、もう自分のリミットぐらい把握してますってば。

「はいはい。春樹さんも運転気をつけてね。」

そう言いながら車を降り、手を振って走り去る車を見送った。



月曜日は、遊が学校に登校する日。

マキノと入れ替わるタイミングで玄関から出てきた遊は、この寒いのにマキノの250ccのバイクに乗って出かける準備をしている。

バイクは普段裏口の土間に置いてあるのだが、裏庭から国道まで出すのに急な坂を上がらなければいけないから、国道は溶けているのに、その坂道だけ凍てていてバイクを出せなかったという経験があって、それ以来翌日にバイクを使う時は、前日に玄関前の軒下に出しておくようにしているようだ。


遊が、エンジンを始動した。

ドュルルン ドドドドドドド・・・

おかげさまで、バイクのエンジンは調子がよさそう。

あったかいインナーを着て、風が入らないちゃんとしたバイクスーツを着て、グローブをはめて・・、冬はメットのシールドが曇りやすい。顔を覆う保温マスクもあるらしい。そうして完全防備をして学校に着くと、動きやすいように着替えているようだ。大層な事だ。

斜め掛けのメッセンジャーバッグを肩にひっかけて、バイクにまたがったまましばらく暖機してアイドリングが落ち着くのを待っている。それが遊によく似合う。

「風邪ひくから、中に入れば。」

遊が振り返ってマキノに言った。遊まで春樹さんと同じようなことを言う。

「気をつけてね。凍ててるところがあるかもしれないし。」

「うん。大丈夫。いってくる。」

クラッチを握って、チェンジをカチャンと踏むと、ギヤがローに入った。

ドルンドルルン ボォオオオオオオオ・・アクセルが開きⅤ型エンジン独特の低音を響かせて遊が出て行った。

春樹さんもだけど、男の子がバイクに乗ると、サマになるんだよなぁ。・・・。

悔しいが3割・・5割増しにかっこいい。


遊は、雨の日もレインウェアを着てバイクで通っている。少し早起きしてゆっくり走る。なかなか頑張ってるなと思う。あのルックスだし、学校じゃモテてるんじゃないのかな。本人、何も教えてくれないが。



店の中に入って、開店の準備をしながら、仕込みや在庫の様子を確認していく。

何が残っていたとか、どんな献立をするつもりだったか、すっかり忘れてしまっていたが、ヒロトがノートにメモ書きしたものがあって、入った食材で献立をどう変更したのか、何を仕込んでおいたか、みんなにどんな指示をしたのかも、だいたい分かった。

しばらくすると、ヒロトが出勤してきた。


ヒロトも遊と同じく、給料制になっている。

遊が親の扶養内で仕事する都合でしばらく延期していた社会保険も、ヒロトが来て10月には手続きすることになり、今は正規採用になっている。

ヒロトを見ていると、お料理のことをもっと本格的に勉強したかったなぁと思えてくる。


カランカラン

「いらっしゃいませー。」

今日はモーニング目当てのお客さんがいつもより少し遅め。

「モーニングふたつね。」

「はーい。」


午前中は今日は千尋さんが入ってくれることになっていた。

ヒロトはベーコンエッグとパンを焼いて、サラダを盛り付けながら

「マキノさんが来ると、緊張がゆるみますよ。」とこぼした。

「あら、そんなことないでしょう。充分できてるじゃない。」

「ずっと、次は何をしたらいいのか、何か足りないものがないかってビクビクしてました。みんなボクのほう見てくるし。遊は余裕な顔してたのに。」

「遊は、ちゃんとヒロトが自分より格上だとわかってるのよ。それは年上ってことだけじゃなくてだよ。」

「いやー、ボクの器じゃダメですよ。」

「そうかなぁ、いけると思うけど。強いて言えば私も、自分よりヒロトのほうが格上だと思ってるよ。」

「めっそうもない。」


「マキノちゃん、体調はいかが?」

9時になると、千尋さんが出勤してきた。

「ご心配いただいてありがとうございます。」

話をしながら、お弁当の準備を少しずつ始める。

お弁当は、まだ限られた事業所にしか宣伝をしていないのだが、口コミで少しずつ需要が広がりつつあった。お弁当の盛り付け要員と配達要員が足りないと思ったときに千尋さんが来てくれるようになって、大正解だった。これで、もうすこし厨房が広かったら・・・・。

いや、もうしばらくは手を広げるのは自重。

ヒロトが本気になるか、もっと人手が余ってくれば別だけど。


お弁当の配達も終わって、ランチタイムの忙しい時間帯に、ヒロトのスマホの呼び出し音が鳴っていた。

「出れば?」

「母親だから、あとでいいですよ。」

ヒロトはそのまま仕事を続けた。


「寒いからうどん玉買ってきたんだよ。ヒロト君、肉うどんにしてよ。」

「いいっすよー。」

マキノはカウンターの中で洗い物をしながらまかないの昼ご飯をヒロト任せた。

昼前には仁美さんが来てくれていて、ランチが落ち着くと、マキノは千尋さんに賄いごはんを食べようと声をかけた。その時、今度は千尋さんの携帯が鳴った。

「あら、何かしら・・。」

千尋さんが人のいない隅っこへと移動して話し始めたのを見て、マキノはヒロトの母親からの電話のことを思いだした。

「ヒロト君、お母さんに電話した~?」

「いや、今からします。」


うちのスタッフ達の家族は、仕事中にはめったに電話をかけてこない。

今日はめずらしいなぁ・・と思っていると,

「マキノちゃん。ええと・・おじいちゃんが倒れちゃったらしくて、病院に行ってくるわ。都合によって明日の仕事もどうなるか・・また連絡するけど。」

「うわ・・それは大変。でも、ごはんだけ食べて行けば?」

「そ・・そうね。でも気になるし、悪いけどすぐ行くわ。ヒロト君か仁美ちゃんに食べてもらってくれる?」

「いいけど・・。あっ、じゃあ・・。」

千尋さんがエプロンをはずして荷物をまとめている間に、マキノは塩のおにぎりと、適当にあった残り物をタッパに詰めて千尋さんに持たせた。

「車の中ででも食べて。」

「ありがとう。」

千尋さんは慌てて店を飛び出して行った。



店の中でバタバタとしている間にヒロトも電話していたらしい。

「じゃあ‥もうちょっとしたら帰る。」

スマホをピッと押して通話をきった。

あれ?ヒロトも・・?


「どうしたの?」

「あーいや、大したことではないんですけど、お袋から電話で・・・おやじが家出したらしいです。」

「ええええ??」

「なんか、ちょっと前から予感ってか、まぁいろいろあったんですけど、書き置きがあったみたいですわ。」

「か・・書置き・・?」

「うん、どこにどれだけ借金してるかっていう・・・。」

「しゃっきぃんん?」

「ダムに飛び込んで、保険でカタをつけるらしいですよ。」

「ええええええええ???」

「どうせ、そんな度胸ないですから・・大丈夫と思うんですけどね・・。」

マキノは、ヒロトの口調が、すこし捨て鉢になっているのに気付いた。

「それ大変すぎるじゃない・・」

「んーと、ボク飯食ってから帰っていいですかね?おやじはともかく、おふくろが、本気かもしれないって、思ってるみたいだから。」

「そ・・・そう?」

「今日の仕事、勝手してすみません。マキノさんも本調子じゃないかもしれないのに申し訳ないです・・。えと、カレーの仕込みしようと思ってたのと、それから・・・。」

「やっとくよ。そんなこと。ここは大丈夫だから早く帰ってあげて。」

「マキノさん。ホントに心配してもらわなくても大丈夫ですよ。オレも自分の家の中の事言いたくなかったんだけど、もう限界まで来てるんで・・また今度ちゃんと説明します。」

「・・・。」



ほんとうにいいのかしら・・と思ったが、実際にヒロトはゆっくりと自分の作ったおうどんを食べて、

「明日も、仕事は来れると思いますから。」と言って帰っていった。

事情はよく分からないけれども、ただならぬことのように思える。

本人があまり驚いていないように思うのは、思い当たることがあるからだろうか。


まぁ・・成り行きを見守るしかない。

とりあえず、明日も来れるということだから、本人の説明を待つことにした。


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