第42話 いつも、そばにいるよ。
マキノは、処置の苦痛を 黙って耐えていた。
この辛くて不快な時間は、何なのか。何のためのどういう処置なのか。
具体的な意味を考えないように、意識を凍らせる。
処置室の外で春樹さんが待っていて、一緒に病室へと移動した。
しばらくして、看護士が持って来た白い桐の箱の中に何があるのかを、マキノは知っていた。
知っていたのに、その箱から一度視線をはずしてしまった。
仕方がなかったのだ・・と自分の気持ちを整えようと努力をしてみるが、自分のせいで死なせてしまったという罪悪感にとらわれてしまう。
自分のせい?・・ではないのかもしれない。
・・やっぱり自分のせいかもしれない。
原因はわからないと医師が言った。
怖かった。マキノは、いのちの重さを怖れた。
すべてを受け入れるべきだという思いが、怖れと罪悪感に勝ち、もう一度その桐の箱を視界にとらえた。
「見せて・・。」
マキノは春樹さんが持っているその箱へと手を伸ばした。
見なくていい と、春樹さんは首を横に振った。
・・この数時間に起こったことにまったく実感がなくて、箱の中がどうなっているのか思い浮かべることもできなかった。
春樹さんの言葉を聞きながら、だんだんと意識がぼやけていく。
雲がかかったような思考の中で、会わなかったら、後悔するような気がした。
でも、今、何かを判断する力がない。
・・・春樹さんに任せてしまっていいのだろうか・・?
今しか、会えない・・・。
「後悔するなら、2人で後悔すればいい。今はオレが引き受ける。」
迷うマキノに、春樹さんが、静かに、しかし意志は揺るがない固さを込めてそう言いきった。
マキノは、何も決められなかった。
医師が、部屋を訪ねに来た。
「今晩一泊入院してもらおうかと思っていたんだけど、帰りたいかい? 処置も早く終わったし。あともうしばらく・・2時間ぐらいかな。様子を見て、遅くてもいいなら帰ってもいいよ。」
と言った。
「帰ります。」
春樹さんが即座にそう答えた。
一晩一人きりでいるのは心細かったから、少しホッとした。
一度自宅に戻った春樹さんは、イズミさん宅へ報告に行き、ご飯をいただいてから病院に戻ってきた。
マキノには病院から食事が出て、今後の過ごし方について説明を受け、次の通院の日の予約と、3日間は安静にするようにと指導を受けた。
夜11時頃。2人は自宅へと帰ってきた。
お風呂を止められていたので、春樹さんが、熱いお湯でタオルをしぼってくれた。
マキノは、それで体を拭いて、そのままベッドへと入った。
春樹さんは、放り出してきた仕事の後片付けと準備で遅くまでゴソゴソとしていたが、明日の用意ができたのか、電気を消して寝室に入ってきた。
起こさないようにと気遣ってか、春樹さんは無言のままマキノの隣に横になったが、先に横になっていたマキノはまだ眠れずにいた。
「春樹さん・・。」
背中を向けたままマキノは声をかけた。
「まだ寝てなかったのか・・。」
「あの・・箱は?」
「あれは・・・心配しなくていいよ。」
春樹さんが、マキノを背中から抱きしめた。
温かかった。でも、そのぬくもりに身をゆだねることに抵抗があった。
自分の中の、迷いや、つらさや、寂しさや、あきらめや、下腹部の痛みが、言葉の形になる前に崩れて、それが、さみしさになって積もった。
自分がどうしたいのかも、よくわからなかった。たださみしかった。
さみしいのに・・・。
どうして自分で春樹さんに背を向け、ちいさく丸くなって、閉じこもろうとしているのか。
優しくされることを拒否しようとしているのか。
『さみしい』と言ったところで、困らせるだけ。
今は、何の話しをしても、この迷路から抜け出せる気がしなかった。
励まして欲しくもないし、なぐさめてほしいわけでもない。
春樹さんにも、分かってもらえないことがある。いつも頼ったりすがったりしていいわけじゃない。何もかもを背負ってもらえるわけじゃない。
こうやって抱きしめてくれるのに。
包んでくれる春樹さんの腕に、優しさを感じるのに。
抜け出せない。
未来を見ないといけない。
元気にならなくてはいけない。
いつまでも悲しんでいてはいけない。
・・・・。
無理だ。
抜け出せない。
眠れないよ・・・。
こんな堂々巡りに、春樹さんを巻き添えにしたくない・・。
「もう寝る・・おやすみ・・。」
マキノは、春樹さんの手をほどこうとした。
が、止められた。
「今、離れようとしないで。」
「・・・。」
「そっち向いててもいいから。」
「・・うん。」
「あのさ・・」
寝ると言ったのに、春樹さんが話しかけてきた。
「・・マキノと合って、1年4カ月だな。」
「・・? 1年と・・1か月だよ。」
「朝市で、はしゃいでた時から、知ってたから。」
「はしゃいでなんか・・なかったよ。」
春樹さんは、ゆっくりと続ける。
「飛び跳ねてるように見えた。小鹿みたいに。」
「・・・。」
「マキノの笑顔が、可愛いと思った。実はオレね、その瞬間を覚えてるんだ。」
「・・・。」
「たぶんもう、あの時から、マキノを好きになってたんだと思う。」
ぽつりぽつりと、その時を思いだすように話す。
「もうすぐお店を初めて1年か。・・元旦なんかに急にオープンして。そう言えば、バイクの後ろに乗せたら頭突きされたな。」
「・・気を遣いすぎて・・うまくしがみつけなかったんだもん。」
「あの時はね、マキノはオレにあんまり接触したくないんだって誤解したんだよ。今ならどう思ってたのかわかるけど。」
春樹さんは、どうしてこんな話するんだろう。明日も仕事なのに・・・
「もう遅いよ?寝ないと明日に・・・。」
「一番最初のキスは・・マキノからだったよね。」
「う・・」
「オレ、一生忘れないからね。」
「・・そんなこと、今すぐ忘れていいよ・・。」
ふふ・・と笑って春樹さんは続ける。
「オレね、小さいときは弱虫ですぐ泣いたんだ。」
「それは、わかる気がする。」
「失礼だなぁ・・」
「私も、春樹さんの泣き顔は一生忘れないよ。」
「・・・今はもう強いぞ?」
「・・あたりまえでしょ。」
ふふふ・・と春樹さんは、また笑った。
「オレ、麦飯にとろろかけて食べるのが好きだって、言ったっけ?」
「知らない。今初めて聞いたよ。」
「昔から好きなんだ。あれ、うまかった。」
「また作ろうか?」
「うん、明日長芋か大和イモ買ってくる。」
「押し麦あるんだ。じゃあ、麦ごはん炊いておくよ。」
「・・たのしみだ。」
マキノは、一度春樹さんの手をほどいて、丸まっていた体を少し伸ばし春樹さんの腕を枕にして上を向いた。
春樹さんも、同時に上を向いた。
「体が・・体の調子が戻ったら、温泉でも行こうか?」
「そうだね。・・それもいいね。」
「どこがいいかな・・・。」
「春樹さん。そろそろ眠くなってきたよ・・。」
マキノが止めないと、いつまでも話が続きそうだった。
「つらいのを、我慢しなくてもいいんだよ。」
「・・うん。」
「オレがいる。いつもいるよ。」
「・・うん。」
「・・また明日、話そう。」




