第4話 入籍しました。
6月に入って、春樹は職場で“一週間後に結婚します!”と突然宣言し、校長や同僚、事務職員を驚かせたらしい。
春樹も習ったことがあるという今の校長は、就任して以来のつきあいで、ぜひ奥さんになる人を紹介するようにとにこやかな笑顔で迫ってきた。子ども達が下校してからでいいから校長室まで連れて来いとまで言われたが、とりあえず断ったらしい。
マキノがカフェをしていることが知れたら、そのうち客として勝手に来るかもしれない。マキノを知っている子どもも何人かいるし、保護者ネットワークがあるからすこしずつ広まるだろう。
春樹は、「入籍と同時に拠点を自宅に移してくれば?」と希望を伝えて来ていて、マキノは「申し訳ないけど、体一つになりますので。」と答えた。
今春樹が一人で住んでいる家に、マキノ一人が加わったところで、何一つ不自由はないと思われるが、妻を迎えるための家財らしきものの準備すると春樹は張り切っていた。
マキノの実家の母さんは、「まぁまぁ忙しい事ね。」と呆れたが、もともと形式にこだわる人でもなく、いつものように「自分の好きなようにしなさい。」と言っただけだ。
春樹が挨拶に来てくれた時も、万里子姉が一緒にいたのだが、こちらは「お祝いが間に合わないじゃない。」とすこし不服気味に言っていたが「マキノの思うようにすればいいんじゃない。」と今年中に式を挙げるということで納得してくれているようだった。
お店では、真央ちゃんと未来ちゃんがキャッキャと理想の結婚について語っている。
「いくらお店が忙しいからって、家具ぐらい自分で選べばいいのになぁ。・・マキノさんの結婚って、なんか女の子らしくないですよねぇ。こんなドレッサーがいいとか、こんなこんな指輪がいいとか、どんな部屋にするとか、どんな式を挙げるのかなぁ・・。私だったらいろいろ考えちゃうな・・。まかせっきりで不安はないですか?」
「だって、家具なんて全部あるんだもん。壊れたときに新しいのを考えるよ・・。」
真央未来は想像を膨らましているようだが、イズミさん達主婦層には違う意見が上がっていた。
「道具なんてそんなに重要じゃないよ。むしろ結婚式も披露宴もそんなに重要じゃないと今なら言えるね。主婦は、とにかく現金を持っておくことが一番。」
マキノはそれぞれの意見を聞いて、肩をすぼめた。
家具や道具も、お金も、どっちもないからなんとも言えない。
6月10日の当日がきた。
朝早くに春樹が迎えに来てくれて、出勤する前に二人で婚姻届を提出して、そのままそれぞれの仕事場へと向かった。
遊が出勤してくると、いつもと変わりなく仕事を始めているマキノを見て、いつもと同じように挨拶をした。
「おはようございます・・。んーと・・・。」
「おはよ。あ、おはようございま~すいらっしゃいませ~。」
遊が何か言いたげにしていたが、お客様が入ってきたのをいいことに、マキノは挨拶をかぶせて遊を黙らせてしまった。
そのまま、モーニングのお客さんが続いて入ってきて、それに対応していると、イズミさんが出勤してきた。
「佐藤マキノちゃん、おめでとう。」
わざと苗字をつけてマキノを呼び、とてもよい笑顔だ。
「・・・・・。」
マキノはすぐに返事せずに・・黙ってしばらく考えてから
「本日入籍してまいりました。ありがとうございます。おねえさん。」
と控え目な笑顔で答えた。
「名前もすぐに慣れるわよ。」
「そう・・ですかね~。」
「普段と何も変わんないから、本当に今日結婚したの?って聞きたかったんですよ。」
と、ようやく遊が横から口を出した。
「余計な事は言わなくてもいいの。」
「なにが余計なんだよー。」
「面白半分でからかわれることは好みません。とくに遊からは。」
「オレにだけ、どうしてそんなに上から目線なんだ!」
「なんとなくだよ!」
マキノと遊とのやりとりを見ていて、イズミさんが小さく笑った。
「式は秋ぐらいよね?」
「はい、まだ決まってないけど、そうしようかって話してたんです。」
今日は特に何もしないし、いつも通りに仕事をするし特に変わったメニューでもない。
朝市のおばちゃんたちの情報網のおかげで、何人かのお客さんから「マキノちゃん結婚するんだって?」とお祝いを言われる以外は代わり映えのない1日だ。
イズミさんは、マキノと春樹が今日記念日的な事を何もしないと知って、仕事が上がってから小さな2人用のケーキを買って一度戻ってきてくれた。
「・・・ただいま。」
玄関から春樹がひょいと顔を出した。
「おかえりー。」
と、マキノと遊とその場にいた3人の声が揃った。
「春ちゃん、おめでと。これささやかだけど、今日のお祝いね。」
「ありがとうございます。」
イズミさんは家族の食事を用意する為にすぐに帰って行き、それを合図に、それぞれが夕ご飯を用意して順番に食べて、7時にはお店を閉め、そのあと片付けと仕込みをして8時にはお店を閉めた。
遊や未来ちゃんを見送り、そこまでは普段とまったく変わらない。
違うのは、今日からはマキノも春樹の家へと・・いや自分たちの家へと帰っていくことだ。
新しく入った家具を春樹の説明を聞きながら見て回った。
今まで使っていたものでいいと言ったのに、冷蔵庫と洗濯機が新品になったらしい。
他にも買い換えたものがありそうでなんだか申し訳なくなってきた。
「そろそろ古くなってたからね。マキノの物がもっといると思うんだけどわかんなかった。」
「お金使わせちゃったね。」
「結納もしてないのに、これぐらいは当たり前の範疇だよ・・それよりも、掃除のほうが大変だった。」
「すみませんね~全然手伝わなかったね。あ・・そういえば借金抱えたまま嫁に来てしまいました。」
「ははは。そうか、そうだったね。オレ全然気にしてなかったよ。」
「自分のことは、自分でします。」
「ま、そう言うと思ったけど、どうぞ頼ってください。」
「ありがとう。倒れそうになったらお願いします。」
「はいはい、でも今はマイナスでも、いずれプラスになるだろうね。」
「・・そうなればいいけどね・・。」
「ま、オレ、マキノがここにいてくれさえしたらどうでもいいよ。」
「・・私の事だからって、考えるの放棄しないでください。」
「放棄してるわけじゃないさ。」
居間のセンターテーブルと、春樹の部屋のベッドも大きくなったようだ。
「あれ、春樹さんの部屋が寝室?」
「うん、2階にするかも考えたけど、ここにドレッサーも置いてみたよ。狭い?」
「ううん大丈夫。やっぱりここが居心地いいの?」
「まあね。」
「ドレッサーなんて用意してもらったらお化粧しなくちゃいけないね。」
「そういえば、最近ほとんど化粧してるとこ見ないな。」
「え~・・・」
「お化粧してもしてなくてもかわいいって。」
「・・・・。」
最近で一番丁寧にお化粧したのは春樹とデートした時だったなぁ・・・。
と、初デートのことを思いだした。
いつからか好きだと自覚して、そばにいたいと思って、お互いの気持ちが通じたと思えた。
今日からずっと一緒に生きていけることになった。
今はまだ、それが夢を見ているようで、実感がない。
「イズミさんのケーキ食べようか?」
自分からそう言って台所に立ってみたが、この家には数えるほどしか来たことがなかったから、何をするにも戸惑ってしまう。
これから自分の家になるんだ・・と言い聞かせながらマキノはイズミさん達にもらったケーキを箱から出して、お皿に乗せた。
「インスタントコーヒーしかないけど飲む?」
「うん。」
明日の仕事の準備をしようとしていた春樹も台所に入ってきて電気ケトルにお水を入れてスイッチを入れた。




