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第32話  新しいスタッフ、ヒロト

遊は、マキノの態度が不思議だった。


マキノは、まるでヒロトが来るのがわかっていたようだ。

・・でも、来たのは絶対初めてのはずだし、この人もアポなしって言ってた。


いつもなら新人さんには、コーヒーの淹れ方をレクチャーするが、やっていることは同じだが、マキノの口から出るのは説明ではなく質問ばかりだ。かわいそうに、たじたじだ。

くっくっ・・。

ヒロトがドギマギとして頭を上げたり下げたり、様子がおもしろくて、つい笑えて来る。

でも笑っちゃ悪いので、こらえつつ千尋さんをこっそり誘った。

二人でカウンターの横から見学だ。


「おもしろそうだから見学しよう。」

千尋さんも心得ていて、うんうんと小さくうなずいた後は、お盆を持ったまま待機の様子。ポーカーフェイスで立っている。


マキノと言えば、コーヒーを淹れながら、やはりマシンガンのように質問攻めをしている。

うちではこうしてるけど、ヒロト君のところではどうだった?どんなお料理してるの?仕事して何年目?ずっと今のホテル?朝は何時から仕事してたの?西洋料理ばかり?和食はやったことあるの?どこで?専門学校行ってたの?特異なことは何?今何才って?私より学年は2個下だね!


・・・でも。肝心な事、ちっとも聞いてないよなぁ・・・。


淹れていたコーヒーをカップに注いで、マキノとヒロトが座敷の方へと移動していった。

「はい、自分で淹れたコーヒーどうぞ。」

「あ・・ありがとうございます。」

ヒロトがカップに口をつけると、マキノは今度は黙って自家製のパウンドケーキを小皿に置いて勧めた。


自分も、さっき千尋さんが淹れてくれたアメリカンの続きを飲んだ。

「んー・・・。」

マキノもアメリカンを味わっている。マキノが黙ると静かだ。

ヒロトは最初は面食らっていたようだったが、マキノが静かになったのに合わせてだんだんチカラが抜けていくのがわかった。



「今のお仕事、辞めたいと思っているって聞いたけど?」

「そうです。もう辞めました。」

「ここには、今日どうやって来たの?」

「車で来ました。」

「えーと、どちらにお住まい?」

「ああ・・一人暮らししていましたが、近々県内の実家に引き上げます。」

「それで、うちの仕事を見に来てみた?」

「あ・・・え、どんなとこかなぁって・・・。」


「ふうん・・わかった。・・・いいなぁ。」

「なにがですか?」

「熊谷君が。」

「え?」

「んもう・・仕方ないなぁ。プロポーズは相手からしてもらう主義なんだけど。」

「??」

「よかったらうちで仕事してみませんか? 見に来てくれるぐらいだから、少しは考えてくれてたんでしょ?」



遊が思わず口を挟んだ。

「マキノさん。まだその熊谷さん、うちで仕事したいなんて一度も言ってないよね?」

「うん。わかってるよ。だから勧誘してるの。」



有希ちゃんが“病んでる”って言ってたのをマキノが忘れてるはずがない。

・・わけあり物件の自分が言えた話しじゃないけど。

マキノにとってはそんなに大きな問題じゃないんだろうか?


「今現在、福利厚生制度は何もやってないないけど、あったほうがいい?」

「え?まぁ・・・できれば。」

「やった。わかった。社会保険は頑張るから、ヒロトくん、よろしくね!」



マキノさん強引すぎるよ!いいの??その人、引いてるよ。

ヒロトさんだけじゃなく、横で見ている遊までたじたじしてしまった。

千尋さんは、何のことかわからないみたいで(当然だけど)ただただきょとんとしてるだけだった。






- - - - - - - -



ヒロトの勧誘は、マキノ自身、ちょっと強引だとは思っていたが、放っておけない本能が働いて、ついつい背中を押してしまった。だって、いつまでたっても煮え切らないような気がしたのだもの。


結局のところ、マキノに押された感じではあったが、ヒロトもスタッフに加わることになった。

この業界は職場が変わることはそんなに悪いことじゃないし、遊んでいる期間があるよりも半年でも3カ月でもうちでお試しして、勧誘は強引だったが、合わなければ気持ちよく解放?してあげればいいと思う。



ヒロトは、ほどなく自分の一人暮らしの部屋を引き払い実家へと戻り、そこから車で40分かけて通うようになった。目が細くて少し目じりが下がり気味、いつも笑っているような顔をしていた。髪は、遊よりも少し明るいぐらいに染めていた。控え目な性格で、適度に冗談も言い、スタッフ達はすぐに好感を持ったようだった。


コーヒーを淹れるのは、専門学校以来だそうだ。

調理の専門学校で基礎知識を学んでいて、日本料理店での経験もあって、フランス料理のシェフ見習いだったっていうだけで優良物件だと、マキノは思っているのだが、実のところ、日本料理店で働いている時に、あまりの厳しさに追い詰められて鬱になりかけたと言い、フレンチの職場の事は「居づらくなったから。」と言っていた。

昔の話はあまりしたくなさそうだったので追及はしなかった。


ま、過去は参考にはするけど、こだわらない。これから仲良くやってくれればそれでいいと思う。



とりあえず保険が整うまでは時給で、バイト扱い。研修期間は他のバイトさんと同じで、特別扱いはしない。どれだけ仕事ができるかなんて、経歴に関わらず、やってみないとわからない。



「遊は横に置いといて、経験ある人がうちの店に来るのは初めてだから、いろいろ教えてもらいたいなって思ってるの。今までやって来たところとは食材も違えばニーズも違うし、まぁいろいろ条件が違いすぎて悪いけどね。比較の話は悪くないけど、それがうちの方針と合ってるかどうか考えてみてね。どちらでもいいような細かいところは多少違和感があっても他のバイトの人達に合わせてあげて慣れてちょうだいね。」


マキノはにんまりと笑った。



先日遊にお弁当の献立を作らせて、そのまま敏ちゃんに見せたら、大ダメだしをくらって却下されたので、今度はヒロトにさせてみたが、輪をかけて大ダメだしをくらっていた。


敏ちゃん曰く。

「ここの調理人はお金の計算できない人たちばかりなんだから!」

「でも敏ちゃん。もうこれ以上は時間もないから、安い材料使いますのでもうこれでなんとかおゆるし下さいな。」

「まったく。お弁当の値段設定が低すぎるのよ。」

「いや、そこは譲れません。」

「わがままなんだから。」

「お褒めいただきありがとう。」

「褒めてないです。・・でも彼は、いい拾い物だったね。」

「あっ。ヒロトくんの事でしょ?そうなの。我ながらよくやったと思ってる。」



ヒロトは,もともと少ないカフェのフードメニューを、あっという間に全部作れるようになった。あとはドリンクメニューの特徴さえ覚えたら完璧だ。


このままアテにできるようならもう安心だが、慣れる、という作業は、短い時間で同行できるものではないし、期待しすぎて変なプレッシャーは与えたくない。表面は楽しそうにしてるけど、笑顔も時にはエネルギーを消耗するものだ。もうしばらくは、自由に泳いでもらおう。

・・なるべくそうしよう。

責任負わせるのも可哀想だし・・・。


・・・。


・・・。


「ヒロトくん。何かやりたいことないの?」

「えっ?」

「うちの仕事なんて、簡単すぎて物足りないでしょう。」

「いや、そんなことはないです。いろいろ奥が深い仕事ですよ。」

「そんなお上手言わなくてもいいよぅ。せっかくの腕なら,ヒロトくんの得意な事ややりたいことをここのカフェで実現できたらいいんじゃない?」

「どんな・・得意な事?」


「限られた条件でどんなことができるか考えてお客様に出せるってのは貴重だよ?・・そういう意味でやりたいことってないの?」

「思いつかないっすよ。今までは、言われたことをやってればよかったですから・・。」

「・・・。じゃあヒロトくんが奥の深いって思った部分はどんなところ?好きな食べ物は何?自分が作ったもので自信のあるものは?最後に残しておいて食べる物。とか。」

「んー、そうだなぁ・・。材料さえよければ・・・」

「そこなんだよねぇ。・・・いい材料は高いのよ?」

「そりゃ、そうですよね。」


「あのね,朝市で手に入る旬の食材を使う事がまず第一。誰にでもウケる定番の物を作るというのが第二。それだけでもいいんだけどさ、実はその次なのよ。うちのカラーを出せる料理。それをお客さんに気に入ってもらうのが理想なんだけど・・。」

「日替わりのランチセットだけでも充分カラー出てると思うけど。」

「そうなんだけどね。日替わりのメニューが充実しているって言うのもカラーではあるけど、なんか“これ”って言うのが欲しいんだよね・・煮込みハンバーグだけでもいけるのかなぁ・・。おいしいけど、普通でしょ?」

「平均点以上ですよ。」

「・・・。」


マキノがにやりと笑った。


「な・・なんですか?」

「ヒロトのオリジナルメニューを宿題にするわ。時間かかってもいいよ。ちゃんとコスト考慮して、うちのカラーが出るようなの考えて!」

「え~。む,むずかしいっすね・・。」



ヒロトから学べるところがあるのであれば吸収したい。

その分は、いずれお給料に反映していく予定。

もっとガッツリ自分でやりたくなれば、サポートもしてあげる。


そう、変なプレッシャーは与えない・・って思ったばかりだったけど、ヒロトを見ていると黙っていられなくなってくる。なぜかしら? ここで働くか勧誘した時もそうだった。

でも、本人もやる気になっているように見えるから、適度な刺激がいいのかもしれない。


マキノは、ヒロトに関しては、今後もじわじわ攻めて行くことに決めた。




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