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第30話  千尋とチョコと面接と

千尋がカフェるぽに面接に行くと、マキノはまずコーヒーの淹れ方を教えてくれた。

「今ちょうどパウンドケーキを焼いてるところで、お菓子が何もなくて・・」

そう言ってキューブ型のチョコをお皿に出して勧めてくれた。


座敷の方に、ママさんバレーにも来ていた遊君という男の子がいて、マキノがそちらに向かってチョコをひとつポンと投げた。

「お行儀悪かったですか?」

マキノはこちらを向いて、にっ笑った。

「いいえ、大丈夫。」

バレーボールに来てた時も思ったけれど、人との間に垣根を作らない子だなと感じた。

だから、ここの空気が好ましかったのだ。


仕事の説明は簡単に終わって、入ってもらえる時間帯の相談が終わると、会話は自然と雑談へと移行した。

「千尋さんのおじいちゃんて、どんな感じですか?」

愚痴交じりにポロッとしゃべってしまった義父母のことを、マキノちゃんが、尋ねてきた。

「それほど大変というわけでもないんだけど・・・。」

と、千尋はため息をついた。






80歳を超えて、舅はますます頑固になった。


家には、夫と自分と舅のそれぞれが自分の足として1台ずつ車を持っていたが、舅の車はいつも小傷が絶えなかった。去年までは自分で車を運転して姑といっしょに出かけたりもしていたが、ガードレールにぶつけたり、自宅の車庫でこすってしまったりと、つづけさまにヘマをするようになり、最後は溝を飛び越え田んぼに落ちて、とうとう夫と義姉・・いわゆる舅にとっては息子と娘に怒られて、車を取り上げられることになった。


今回の事故を起こすまでにも、歳とともにだんだん運転するうえで反応が鈍っていることも、確認をおろそかにしたりしていることを千尋は知っていた。


大きな事故をするまでに周囲が運転をあきらめさせてくれて、千尋は自分がその引導を渡す役でなかったことに内心ほっとした。

本人は自分が衰えていることを自覚していなかったし、プライドの高い人だ。

同じことを言っても自分の息子が言うのと、嫁が言うのとでは意味が違ってくる。

ともあれ、事故の心配だけは無くなった。

それは安心だが、今度は彼らの足がなくなった分、病院や姑の趣味と習い事、買い物など、ことあるごとに送り迎えをするのが自分の仕事になった。


歳を取ると“言いだしたらすぐ”でなければ気が済まないのがつらいところだ。 専業主婦とはいえ、こちらにも段取りというものがあるし、やりかけの用事もいろいろあるが、人の都合というものを考えてはくれない。


最近はすこし認知症も入っているのか、つじつまの合わないことを言ったり、同じことをくりかえしたりと、言動がおかしくなってきた。

先日は、朝の4時に起きて、自分でお湯を沸かしアツアツのヤカンを、何を思ったかフローリンクの廊下に置いて、ヤカンの底の丸い跡形をつけた。

コーティングしてあったものが溶けたのか、どう磨いてもその跡型がとれない。

腹も立つので、一応「こんな跡がつきましたよ。」と言ってみたが、「わしは知らん。」の一点張りだ。


食事も好き嫌いが多くなり、好みの物でなければほとんど食べてくれない。特に贅沢な物を要求されるわけでも文句を言われるわけではないが、自分が作ったものを毎度毎度却下されると、やる気が出なくなってくる。

おかずが残ると次の日には食べてくれないし、残り物を捨てるのは辛い。やりがいのない事だ。



今日はこれを言われた、こんなことがあった、と毎日訴えていると、最初のうち、そうかそうかと聞いてくれた主人も、「疲れているのにいいかげんにしてくれよ。」と言うようになってしまった。


同じことをくりかえす舅のことを自分がうんざりするように、同じように自分がぼやけば夫も聞くのは面倒であろう。夫の気持ちもわからないではないが、私はどうやってこのストレスを発散すればいいのか・・・。



今年になって開店した古民家カフェの子たちがママさんバレーの練習に来たとき、実は、チャンス!と思ったのだ。

お正月明けて間もないころに一度ランチをしに行ったことがあるけれども、なんの変哲もない古い家が品よくお洒落になっていて感心したものだった。


店主のマキノに声をかけて、すぐに来てほしいと言われ小躍りしてしまった。

これから、少しの時間でも外に出て仕事ができると、すこしは気分が晴れるかもしれない。

本当に楽しみな事だ。


「お弁当が和風の献立の時、買ってくださったらどうかな。」

マキノがニコニコして言った。

「あら、そうね。」

「配達する時に一緒に家に配達してくれてもいいですよ。」

「まぁ、それはすごくいいかも。帰って自分で作らなくていいならありがたいわ。」

「ごはんって、めんどうですよね。ほんとに。」

「ほんとにねー。」


自分は心から同意できるから相槌を打ったが、向こうの方から遊君の小さい声が聞こえた。


「えっ?・・マキノさんお料理めんどくさいの?」

マキノが「ごはんがめんどう」という言葉を使ったのに驚いたらしい。

「お料理は好きだけど、めんどくさいのはめんどくさいです。」

マキノは笑った。

「マキノさんって、いつもあんなに楽しそうにごはんごはんって言ってるのに。今ちょっとカルチャーショックだったよ。」

「わたしは料理が好きですけど。面倒な時もあります。」

わかるよ・・主婦は毎日お料理して当然と思われてるけど、面倒な物は面倒・・・。


毎日毎日、朝昼晩の3食を違う献立の食事を作る。

毎日毎日、洗濯をして、掃除をして、片づけをして・・。これを365日義務として与えられて、ストレスにならないわけがない。


千尋の思考とは関係のない所で、マキノたちの会話は続いていた。

「遊はね、結婚には随分有利だと思うね。」

「なんでさ。」

「家事半分できるじゃない。」

「う~・・・ん。できないことはないな。」

「今どきの男子は家族を養えるほどのお給料がないからね。女性はみんな仕事するでしょ?男の子もお料理ぐらいできて当然でしょ。」

「そんなもんかなぁ。」

「お料理上手な遊の時代だよ。」

「・・・。」


遊はあまりピンと来ていないようだったが、仕事に戻っていった。

カランカラン とベルが鳴って、お客さんが入ってきた。

「いらっしゃいませー!」

マキノと遊の声が揃った。

それだけで、なんだか楽しそうだ。


マキノがおしぼりとお水を持っていくと、注文はブレンドコーヒーを2杯だった。

「千尋さん、もう一度淹れてみます?」

マキノに言われて、さっき習ったばかりのコーヒーをお客様の為に淹れることになった。

緊張する。

「遊が教えてくれて、お運びもするから大丈夫ですよ。」

「はい・・。」

自分の子どもより若い子に教えられるとは、なんともくすぐったい。

とても敬語を使えそうにない。

まあしかし、この子は色が白くてきれいな顔をしてること・・。

「パーマあててるの?」

思わず聞いてしまった。

「天然のくせ毛。」

「へえ~。」

お料理も上手ですって?・・本当にモテるでしょうね。

そんなことを思いながら、遊の指示に従ってコーヒーを淹れる。

さっきマキノも教えてくれて自分の分を淹れてみたばかりだから、今度も失敗せずに淹れることができた。

温めたカップにコーヒーを注ぎ、ソーサーにスプーンを乗せて、ミルクとシュガーのポットをお盆に乗せて、遊が座敷へと運んで行った。


「細いねぇ。姿勢がかっこいいわね。」

「うふふん。本人に聞こえるようにほめちゃダメですよ。調子に乗るから。」

「調子なんてのりませんよ。」

遊は、自然でクールな動作で厨房に戻った。

「遊はバレーボールするようになって,動きにキレがあるようになったね。」

「そうかなぁ・・気のせいでしょ。」

マキノのおだてに動揺もしない。それもまたかっこいい気がした。


千尋は、今度はマキノに尋ねた。

「マキノちゃんって、どうしてカフェすることにしたの?」

「それは~・・・え~っと・・・やりたかったから。」


千尋は、だからどうしてやりたくなったのかを聞きたいんだけど?と思ったが、黙っていた。

それを感じ取ったのか、マキノは言葉をつづけた。

「昔はいろいろ理由が言えたんだけど、最近それが恥ずかしくなったんですよ。」

「あらどうしてかしら?」

「居場所づくり。とか、おいしいご飯をみんなに食べてもらいたかった。とかね。」

「ふうん。立派な理由だと思うけど?」

「ええとね、それ全部、自己満足なんですよ。」

「・・・。」

「自己満足でもいいかな。って思ってるところです。今は。」

「ふうん・・・。」


「千尋さんも,ここで楽しんでもらえればそれでいいんじゃないかな?」

「楽しんで・・・」

「遊は、楽しんでるみたいですよ。もちろん私も。」

マキノはそう言ってチョコをまた一つ、口に放り込んだ。


千尋は、ここのスタッフと同じ白いシャツと黒いパンツを買おうと思った。

みんな若くて、ほっそりしている。

「ダイエットでもするかな。」


そう声に出してつぶやいてみた。



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