第27話 わがままを通す
怒るでもない,笑うでもない。
「おかえり。」
父親は、オレに、普通に声をかけた。
仕事の帰りは、いつもならもう少し遅いはずだ。
早めに帰ってきたに違いない。
ただいまと言えばいいのか、おかえりと言えばいいのかわからず、返事をするタイミングを外してしまった。
「早かったんだね。メシ、もうすぐできるよ。」
父親が帰って全員が揃ったので、そのまま料理の仕上げにかかった。
ハンバーグを盛り付けてチーズをのせて、きのこソテーを横に添えた。
スープの味見をして、オリーブオイルを少したらす。
時計を見た。食事が出来上がったのは、6時の10分前だった。
着替えてきた父親が、所在無さそうに台所に入ってきた。
「座れば? オヤジは飲む?」
「いいや。」
母親も自分で呼んだ。
カフェランチではライスをハンバーグといっしょの皿に乗せるのだが、ごはんは普通に茶わんによそった。
「店で作ってる。オレが得意なやつだから。」
スープもカップに注いで並べた。
「どうぞ。」
と言ってから、遊はいつも自分が座っていた椅子に座って先に食べ始めた。
うん。サラダもまぁ・・うまい。
面倒だったから、ナイフとフォークは出さず、ハンバーグをお箸で押さえて切った。
ハンバーグの肉汁がじわっとあふれた。
口に放り込んだ。これも、いける。うまくいった。
少しだけ塩をいれた五穀米も、甘みがあってうまい。
遊は、両親の顔をまともに見れないまま、自分が作ったものを食べていた。
「おいしいわね。」
母親の声が聞こえた。
「うん。」
父親も言った。
・・言おうか。
ここで言わなければ。
「オレ・・・」
ふうっ・・一呼吸おいて
「オレ,あっちの高校に行くよ。」
遊が言った。
両親はふたりともすぐには返事をしなかった。
ダメだと言わないから、いいのだろうか?
ダメだと言いたいが、言えなくて黙っているのだろうか。
「旅館でお世話になっているんでしょう?」
母親が口を開いた。
「住んでるのは旅館の男子寮だけど?」
「お家賃は払っているの?」
「払ってる。板長さんに。」
「お仕事、しているのね。」
「仕事してるよ。それで家賃を払うんだ。」
じろりと母親の顔を見た。
マキノが説明したはずだ。
オレから何を聞きたいのか知らないが・・表情が読み取れない。
母親に自分が思っていることを理解してもらえることを期待はしていなかったが、自分に負い目がある分2倍マシで悪意を勘ぐってしまう。
「カフェのお店から給料をいただくの?」
「あたりまえだろ?」
「カズ君の行ってる旅館って大きいの?」
「結構・・・大きいけど?」
コイツ、何が言いたいんだ?
何が聞きたい?
イラっ・・・としてきた。
そもそも世話になっているのは旅館じゃなくマキノの店だ。
住む場所を交渉したのも、仕事のことも、オレの毎日の飯だって、オレのことを考えてくれているのはマキノなんだ。
家出した未成年を雇っていることか?給料はいくらかとか、言いだすのか?
カズたちは修行中だから給料が安いって事や、オレがそれに居候していた立場でそれ以上もらっちゃいけないとか、家賃の話とかも、オレがマキノの店に変則的に移動したことも、バイクを借り続けていたことも、いろいろ事情が複雑になっていることを・・頭の中で思いめぐらせる。
自分のものさしでしか物事を考えられないコイツに、なんでそれを・・丁寧に説明する必要があるか?
・・・ないだろ。
それまで調子よく箸を動かしていた手が、止まってしまった。
ダメだ。ここで母親の言うことを聞いていたらかき乱される。
旅館のことも、板場のことも、カズのことも、マキノのことも、こいつは何も知らないんだ。
オレが自分の思い通りにならないからって、どんな邪推をしているのか知らないが、今、誰の悪口を言われてもオレはキレる。
オレのことすら、何もわかっていないくせにっ。
おまえなんかに、何がわかるかっ!
「言っとくけど,家には帰らないから。」
我ながら険のある声だ。
まだ何も言われてもいないのに、心の中は完全に戦闘態勢になっていた。
「今はカズの寮に居候してるけど、マキノさんの店に宿直室があるから、近々そこに住まわせてもらうことになってる。住民票もそこに移す。悪いけど高校の学費は出してほしい。生活する分は自分で稼げる。明日マキノさん夫婦が来てくれるから、市役所で手続きして、中退してる高校にも行って編入のことを聞いてそれから一緒に戻る。」
一息で言い切った。
マキノがすでに昨日電話でだいたい伝えてくれているはずだろ?
沈黙が続いた。
遊は、途中で止まっていた箸の動きを再開した。
そのまま食事を終えて「ごちそうさま。」と言って席を立った。
使った鍋や調理器具は、食事が始まるまでに全部洗った。
自分が食べた分の食器を片づけると、その場にいるのがいたたまれなくなって自分の部屋へと引き上げてしまった。
両親の分の食器も片付ける予定だったのに、・・できなかった。
― ― ― ― ―
自分の部屋は、出て行った時の、1年前のままだった。
エアコンがよく効いていた。母親がつけてくれてあったんだろう・・。
散らかったまま出ていったような気もするが、きれいに片付いて掃除してあった。
大きなスポーツバッグを押入れから出してきて、下着やら、持って行くものを物色して詰めた。衣類やCD、自分が使っていたものをいろいろ引っ張り出してきて整理をしようとしたが、すぐに面倒になった。
1年間使わなくてもよかったってことは、・・これらの物は、なくても生活できるってことだ・・。
バレーボール用のシューズをもう一度使うことになるとは思わなかったな・・と少し笑えた。
母親の、あの的外れな問いかけは・・・おそらく深く考えていないのだろう。
息子の状況やその時の気持ちが“わからない”だけなのだろうと思う。
そういう人なんだ。
今のカフェの連中のように、話が通じる人達がいる。
マキノなんて、顔色を見ただけで察してくれる。
それと同じように思っちゃいけない。それだけのことだ。
あのつまらない言動に、同調しようとする必要もない。
オレがオレ自身の妄想に振り回されてはいけない。
翌日の朝もちゃんと自分で起きて、台所に来た。
昨日と同じように、店で出しているようなモーニングセットを用意しようと思った。
父親が出勤する時間は今までと同じだろうか・・。
昨日は変に気負い過ぎて、何も話せなかった・・。
何か言われるまでに防御を張りすぎた感がある。
自分が大事に思っている物を母親の言葉で汚されたくなかったのかもしれない。
まぁ最初から、自分の考えていることを理解してもらえるとは思わなかったけど、頭ごなしにダメだとも言わなかったし否定もされなかった・・。
おやじの出勤時間ぐらい、最初に聞いておけばよかったな。
今7時か・・・簡単なのでいいや。サラダとフルーツを切って盛り付けておいて、顔を見てからベーコンエッグとトーストを焼こう。
冷蔵庫の野菜を出そうとしていて、誰かが来た気配に気づいて振り返ったら、父親が、昨日とまったく同じようにダイニングのテーブルの前に突っ立っていた。
「・・遊の,思うようにしたらいい。」
と言った。
「えっ・・・」
思わず父親の顔を見た。
昨日は無表情だと思った同じ顔だが、少しさみしそうにも見えた。
思いがけない父親の言葉が、頭の先から全身へとしみていく。
のどの奥がヒリヒリしてきた。
遊は、レタスを持ったまま、うつむいた。
「・・ありがとう。」
かろうじて、返事をした。
涙がこぼれそうだったので背を向けた。
ここには、おいしいコーヒーがない。サイフォンがなくて、少し残念だった。




